20:グレイと分厚い兵法書
カーテンの隙間から差し込む白白とした薄い明りに、目を瞬かせる。
いかん――――――もう夜明けか………。
半眼を窓に向けて、グレイは呟いた。
「完徹してしまった…....」
静かな夜明けの薄明かりすら、目に痛い。
いえね、ヒューから借りた兵法書が本当に面白かったんですよ。
兵法書って言うより、内容記述が軍事策略ミステリーみたいな文章で、図解解説まで入っている。
作者は余程の知力と軍事策略と、人を楽しませる娯楽にとんだユニークな人だったに違いない。
先日の鈍器の様な「現代国家の経済白書」に似た、人を殺傷出来そうな銀をあしらった装丁のぶ厚い立派な本は全20巻のシリーズものだ。この先を考えるとワクワクが止まりません。
昨夜、ヒューが寝落ちした後から1巻を読み出して、読破したのは、今しがただ。
直ぐに2巻に手を出したい所だが、面白い本はコンディション良く読む。というのがグレイの信条である。
読み掛けで寝落ちなど言語道断だ。本に申し訳が立たない。
幸い傍らで爆睡したままのヒューからは規則正しい寝息が聞こえて、目覚めの兆候は全く見受けられない。
それを良いことに暖を取ろうと掛布を被ると、心地よい温かみに徹夜の瞼が直ぐに落ちてくる。
少々仮眠を取った方が良さそうと目を瞑るが、それが悪かった。
やわらかく体を引き寄せられて抱き込まれたのにも気付かずに、グレイは瞬時に眠りの中に落ちていた。
どれくらい、経ったのか――――――?
すいっと髪を梳かれる感じに、意識が戻り、瞬いた。
「意外と、寝汚いなお前」
目が覚めたら、ベッドに横たわるのは自分だけで、傍らに腰掛けすっかり朝支度を終えたヒューが、呆れ顔でグレイの頬を引っ張った。
「おはよう。寝顔は大変麗しかったが、頭が鳥の巣だ」
「………おはようございます」
少々の仮眠で先に起きるつもりだったのだが、やってしまった。
「ダグは、ベッドでお前の寝顔を見たことないって言ってたが―――」
寝癖が残る黒髪を、整えるように撫でてくる手にされるがままで、少々悔しいグレイである。
オカンからの、おこちゃま扱いか?うむむむむ。
「図書館の巣とか、デスク下とかでの寝落ちは良く見るが、ベッドで眠る姿を見るのは俺も初めてだな」
男臭い美貌が口端を上げて笑う。
「捕虜の矜持として、必ず後には起きない信条を守ってきたのですが、面目ないです」
何だそれ?と大きく笑って、側らの兵法書をヒューがぺしぺしと叩く。
「まさかの徹夜とか言わないよな?」
「そのまさかです」
「ほお~。どこまで読んだんだ?これの読破は難しかろう」
それは難しいでしょう。百科事典2冊分位の厚さで内容も非常に濃い。
ですが、それどころではない面白さがあるのも確かなのですよ。
「あまりに面白くて読み進んでしまいましたが、徹夜しても1冊しか読破出来ず朝を迎えました」
「って、読み切ったんか?!スゲ~な!!」
その時、ドカン!と壊れる勢いで、執務室からのドアが蹴破られた。
「ヒュー。『グレイは俺のだ』と宣言されたと聞いてます。アルと私に喧嘩を売ってますか?」
鬼の形相の宰相閣下が、良い薫り漂ういつものバスケットを小脇に抱え現れました。
いつもの昼食ではなく、もしかの朝食ですか?
本当にいつもありがとうございます。
「あ、ああ。言ったような気がしないでもない。かな?てか、早耳だなあ。誰がチクりやがったんだ」
「あなたの素行が悪すぎなんですよ。グレイ、大丈夫でしたか?まだベッドの上だなんて、ヒューに無体な目にあっていないですか?」
お母様がわたくしの左手を上げ、右手を上げ尋ねてくるが、無体って何ですか?
朝からハードな質問だと。乾いた笑いを浮かべるしかない。
だが、良いタイミングで宰相閣下と将軍閣下が揃った。
どう伝えるか気を揉んでいたのだが、この兵法書に伝達のヒントがあった。
最近の図書館で小耳に挟んだ東の大国内の反乱情報。
今までの自分であれば、達観し、今を生きる人たちに任せ、自分は絶対に介入することはない。
だが、グレイは世界の傍観者であることは、もう辞めた。
自分の欲望には勝てないって、先人も言っています。
もう、無理することは止めました。
正直に言おう、我慢の限界です。
東の大国が崩れれば、また世界を巻き込んだ大戦が起こってしまう。
戦争なんて百害あって一利もない。
皇宮図書館の蔵書の全てを読みたいのも本音だが、戦争を起こしたくないのも本音だ。
ましてやそれが、最愛のクレアを守る最大の防御ともなる、
もう、選択の余地はない。
宰相閣下とヒューと三人で囲む、将軍閣下の執務室での朝食会で、コトの口火を切るタイミングを見計らっていたグレイは、ヒューが最後のスコーンの欠片を口に投げ入れたところで、二人に向かい口を開いた。
「東の大国の北側ってバージス辺境伯の領地ですよね?」
いつものうらぶれた学者フェイスを忘れない。
ほんわり。と紅茶を口にしながら世間話を始めるグレイに、二人の表情が一瞬険しくなった。
うん。やっぱり若いなあ。顔にすぐ出しちゃあダメですよ。
「……相変わらず博識というか、我が国の領地編成にまで興味が?」
「図書室は意外と人の往来が多いので少々気になることが耳に入りました。その中の一つから、こちらに来る前、西の国で学者と並行で図書館司書をしていた時に聞いた噂話を思い出したもので」
バージス辺境伯領は険しい山の稜線に国境警備の軍壁が連なり、辺境伯の最大の仕事はその軍壁を守護し、北夷狄の動きを止める事だ。
だというのに、当の辺境伯様は、若き皇帝アルベルトへの反乱準備を行っているらしい。という噂が宮廷にまことしやかに流れている。
単独犯と見せながらも、赤いあんちくしょうことカーティス・セラト・グレイブル侯爵の口車に乗せられたのは、明らかだ。
だが、尻尾がつかめない。
辺境領が遠すぎることが最大の理由ではあるが、それを隠ぺいし守護するカーティス他アルベルト廃帝派が壁となっているのだ。
真相を掴むために連日、アルベルトとヒューとダグラスが血眼になっていることも、実はグレイは知っている。
そして、彼らも知らない情報も―――。
「西の国で、バージス領の噂が?聞いていいかグレイ?」
考え込み口を噤むダグラスに代わり、ヒューがグレイに尋ねてきた。
よし。
よく聞いてきた。おりこうさんだ。
「バージス辺境伯が軍壁に金銀財宝を貯めこんでる。って噂です」
もちろんガセですが。
「「―――は?」」
宰相閣下がいつも食事を用意してくれて飢えることはなく、ヒューが実は裏で手を回しそれとなくグレイを外敵から守ってくれていることも知っている。
だから、これはそんな二人へのグレイなりの、礼だ。
そして、アルベルトの治世を守り、東の大国が崩れることなく、世界に大戦が起きないための布石でもある。
グレイはふにゃりと二人に笑った。
「朝食をご馳走様でした。二人とも執務のお時間でしょうし、俺もそろそろ、図書館に引籠もらせてもらいます。あ、ヒュー!兵法書のお約束をお忘れなく!2巻からで良いので、図書館の俺の席まで配送の程、宜しくお願いします。1巻はもう読んだので、結構です~」
はい。とずしりと重い兵法書をグレイはヒューに手渡した。
そのまま手を上げて、顔も洗わないままスタコラと図書館に足早に消えてしまうグレイを呆然と見送り、二人は顔を見合わせた。
「いきなり何を言い出すんだアイツ。軍壁の中に金銀財宝を貯めこんでるって、噂話にしてもありえんだろう」
「――――――――」
ヒューバートが思うよりもグレイの知力を買っているダグラスは、何か腑に落ちないモノを頭の片隅に感じ、呟く。
「兵法書?」
「ああ、俺の執務室にあった蔵書だ。アイツは朝まで徹夜で読んでて――――――これだ」
グレイから手渡された兵法書の1巻を持ち上げて―――ヒューバートは「あれ?」と首を傾げた。
「読破したという割に、途中に何挟んでるんだ?」
「何ですか?」
ヒューバートが兵法書を開くのを、ダグラスも覗き込んだ。
本の間には、どこから拾ったのか小刀が挟まっており、ヒューバートはその小刀が気になり、ダグラスは開かれたページが気になった。
「刃が黒い―――」
黒い刃は反逆の印。と、ヒューバートが何かに気付く。
「第5章ジェラルディ将軍の知力兵法。手も汚さず人員も使わずに敵城外壁を破壊する方法―――」
何物かが辺境伯城を崩せば、それを名分に、内部突入が可能になると、ダグラスが顔を上げた。
「辺境伯城から反逆用の軍事物資を確認できれば、物証が抑えられる―――!」
二人はアルベルトの執務室へと全速力で走りだした。




