17:寵姫だけは勘弁してください
「………あの日に帰りたい」
そう呟いて涙を拭う。
ああ………。俺の楽園が近くて遠い。
つい最近まで、オカン三人衆からのご指名を受けない時は夜通しどころか、お呼びが掛かるまでずっとず――――――っと………図書館で本に囲まれていたというのに。
今の自分の周囲は蔵書の代わりのオカン三人衆……いやいや。西の国の三英傑様が外堀を埋め取り囲んでいらっしゃいます。
赤髪の侯爵様のひと悶着の後のこと。
グレイはアルベルトの私室に連れ込まれていた。もちろん、宰相閣下と将軍閣下も一緒です。
「どうだ。今後我々三人でこいつを『溺愛』してみるのは」
皇帝陛下。何ですか『溺愛』って?
言葉としての意味は知っていますが、今この状況でその言葉が出てくる意味が分かりません。
一体何をおっぱじめようとしてるんですか?
「古今東西、傾国の美女や寵姫にかまけて国を亡ぼす王もいますからね。『寵愛』は確かに罠を張るにはいいかもしれません」
宰相閣下。『溺愛』と『寵愛』は似ているようで意味が違うことをご存じで微妙に方向修正を行っていますか?
『溺愛』は、愛した対象に向けて理性が残っていない時に使う言葉であり。
『寵愛』は、愛した対象に向けて理性が残っている時に使う言葉です。
今回のウィナーは宰相閣下ですね?
どっちも嫌ですけど、理性は残していただきたい。
「あいつらの炙り出しには最適だな。よし、乗った」
将軍閣下……。そんな泥船に乗らないでください。
勘弁してください。俺は全力で飛び降りますよ。
問答無用で連れてこられたというのに完全に放置され、ぽつんと佇むグレイを置き、お三人様が声を荒げて議論していた。
理解を超える『溺愛』『寵愛』という言葉に、もはやこれまで。と、図書館からの連行時になんとか手にして抱えてきた蔵書を開きグレイは読書に没頭することにした。
とっさに抱えたにしては良いものを持ってきたと自分を褒めてあげたい。
「現代国家の経済白書」なる人殺しの鈍器になりそうな分厚い本は、大変読みごたえがありそうだ。
「学者」
「グレイ」
「珍獣」
本に夢中で先の惨状などすっかり忘れていたグレイは、三人三様の呼び声を同時に掛けられ顔を上げる。
「今後の指針が決まった。密命を指示する―――」
「え、嫌ですよ。俺はただの捕虜で、陛下の部下では」
「まず、聞け!!」
いつもと変わらない流れである。
「嫌です」と顔面に文字を浮かべるグレイに苛立つ皇帝陛下をいなし、すいっと前面に出てきた宰相閣下がふわりとした笑みを浮かべ手を差し出してきた。
「グレイにとっても悪い話ではないはずです。恒久的に皇宮図書館に住み着くことが出来る良き提案となりますが、それを聞く気はありませんか?」
「あります!!」
リフティングのように「現代国家の経済白書」と書かれた鈍器を掲げあげ、満面の笑顔で返答する俺の顔は誰よりも輝いていたに違いない………。
「―――珍獣の扱いが完璧だな。ダグ。見習うよ」
煩いですよ将軍閣下。
仕方がないでしょう。東の大国バルナバーシュのその名は伊達ではなく、こんなに世界中の貴重文献を揃える図書館などこの世にないのですよ。あなた方は図書館の蔵書を収集し守り抜いた先人を、もっともっともっと、敬う必要があります。
「つまり、なんですか……。赤いあんちくしょうが、お三人が俺を取り合ってる。と考えているのを逆手にとって、国内の反対勢力の潰しあいをさせたいと―――」
ぶっ?!っと将軍閣下が噴出し、皇帝陛下は無の表情となりー口元が歪んでますがー、宰相閣下は口元を押さえてあらぬ方向を向いた。
赤いあんちくしょう。という赤髪のグレイブル侯爵に急遽付けた呼び名が存外ツボだったようです。
「―――簡単に言うと、そうです」
ゴホンっと一息ついて宰相閣下が頷いた。
「………ひとまず国の安定を先に取った結果、やつらを潰すのが後手に回った」
「お三人はまだ若いですからね。国の頂点が青二才だと、老害がしゃしゃるのはどこも同じでしょう」
「青二才だと―――」
額に青筋を立ててこちらを殺さんばかりの覇気を向けてくるアルベルトと、仲裁に入ろうと動き出すダグラスとヒューバートを、グレイはつまらなそうに見つめた。
「そういうトコロですよ。更に、初動が遅い」
三人はグレイの言葉に目を見開いた。
その顔には「お前は何様のつもりだ?!」という文字が読み取れる。
ほら。そこです、そういうトコです。
若く粗削りなのは若者の若者たる所以ではあるが、腹芸が必要な政治の世界では身を滅ぼしかねない最大のウィークポイントとなる。
ヒューバートとダグラスが顔を歪める程のアルベルトからの殺意を一点集中で浴びているというのに、グレイは涼しい顔で小首を傾げるのみ。
「真実を述べたまでです」
神々しいまで清々しい笑顔でアルベルトを見据え、グレイは彼らに初めて見せる策士の顔をちらりと覗かせ静かに語った。
「東の大国バルナバーシュの銀狼王たる貴方様が、何を攻めあぐねておられるのか。老害など軽くあしらい操るこなど造作もないでしょうに?」
ちょちょいのちょいでしょう?と先刻一瞬見せた策士の顔などどこへやらで、グレイはヘニャリといつもの胡乱な顔で笑って見せた。
「お前―――一体何を考えている?」
アルベルトの問いかけに、彼らの言う「うらぶれた学者の顔」で笑って見せてグレイは口を開いた。
「先程の図書館でも言いました。他意はありません。俺の望みは、ここの本を読破することだけです」
プラス、クレアに害が行かないことが重要だ。
この国が安定してくれないと、西の国が、ひいては、世界で唯一大切なグレイの宝物であるクレアがまた戦場に出ることになる。それだけは何としてでも阻止したい。
「俺は、皇帝陛下御所望のわが妹の身代わりでここに来た、ただの戦争捕虜ですよ。自分の命を長らえ、皇宮図書館の本を全て読破するまで、今の立場を守りたいだけでございます」
その為に、誰にも気づかれない水面下で、あなた方の有益になるようにヤツラを動かそうと、そう決めたところだったのですよ~。
「なら、丁度いいじゃないか。やっぱり、さっきのでいこう」
場の空気を和ませ、そして瞬時に切り裂いた、将軍閣下の言葉に思わず眉間が寄る。
「―――さっきの。って、本気で言ってますか?」
「うん」
悪びれもせずにヒューバートは腕を組んで胸を張った。
「俺らが珍獣を取り合って、三枚岩にヒビが入った。と思わせるのが、赤いこんちき―――でなくて、カーティスを油断させ行動を起こさせる布石になる。あいつも存外単純だからな」
本を開いて5分で寝る貴方様にだけは言われたくないとは思いますが。
まずはそれは横に置いておく。
「無理が有りすぎでしょう」
呆れるほかない。
皇帝陛下、宰相陛下、将軍閣下の三人が、俺を取り合い仲互いって………有りえないにも程がある。
「実際今は取り合ってますからね」
ええええ?何をどうしてそうなってるんですか、宰相閣下?
「お前らがほいほい連れてくのが悪い。優先順位は俺のはずだ」
優先順位ってなんの話ですか、皇帝陛下?
「皇宮の侍従と女官には最早有名だからな。俺らが珍獣を取り合ってるって」
はい?何処で何が有名になってるんですかね、将軍閣下。
「いったい―――何のお話をしてるんですか………皆さん……?」
やっとの思いで手を上げて声を振り絞って尋ねると、三英傑様がゆっくりと振り返り宣った。
「「「夜のお前の取り合いの話だ」」」
そのお言葉は―――――――――――――不適切にもほどがあると思う。
「………あの日に帰りたい」
もう、涙が溢れて前が見えません。
「恐らくは、図書館の一件で赤い―――カーティスがグレイを寵姫と広めてくれるだろうから」
「はい??」
「我が寵姫。と俺が言ったからな」
ああ……確かに言われましたね。寒イボでそうなあの一言がありましたね。
「わかりたくないですが、わかりました。が、ひとまず寵姫は止めて頂きたい。そんな看板背負いこむのは、クレアならそのままずばりですが、俺には無理です。百歩……いや、千歩、万歩譲って、『ご寵愛』でお願いします」
「「「大丈夫じゃないか?」」」
えええ?、絶対に嫌です。
そして、声をそろえるのも今後一切お止めください。




