16:皇帝陛下の悪乗り
「顔でしょうかね」
図書館内に響き渡ったその一言が耳に入った瞬間、吹き出しそうになったアルベルトの口元をダグラスの右手が押さえた。
正直言うと助かったのだが、それを知られないように少々睨みを効かせて隣のダグラスに視線を向けると、ヤツは空いた左手で自分の口元を抑え肩を震わせ笑っている。その隣の、ヒューバートも同じく。だ。
そうだな。これは笑うなと言う方が無理だ。
赤毛のカーティス・セラト・グレイブル侯爵といえば我々でも手を焼く敵対勢力のナンバー2だ。
その侯爵を手玉に取り、昼行燈の学者がコトの真意なぞどこ吹く風とばかりにヘラリと笑い躱す様は、見事としか言いようがない。
侯爵の問いの真なる意図を読み、我が陣営の不利益を回避しているのか。それとも、本当に何もわからずへらへらしているだけなのか―――。
人質としてここにきて、宮廷の勢力図を誰から聞くわけでもなく理解した上で、あのとぼけた対応をしているのだとしたら、アイツは本当に侮れない。
ここに来てすぐの頃であれば、ただ単に何もわからないうらぶれた学者で、へらへら笑っているだけ。と見過ごす所だが、今は違う。
この俺が全幅の信頼を置くダグラスとヒューバートが、その存在を認めた男だ。
前世がどうとやらといった真意も含め、只者であるはずはない。アルベルトはグレイの事をそう評価していた。
執務中のアルベルトに図書館司書長キースからの緊急連絡が入ったのは、朝議を終え昼食も済んだ午後の事だった。
「カーティスが動いたか」
そろそろだと予想はしていた。
外務卿と侯爵という位に満足せず野心を隠そうとしないあの男が、いつまでもグレイを放置するわけもない。
人質にして捕虜という立場であっても、これだけ自分と最側近の二人に絡んでいるグレイだ。
グレイから何某かの情報を得て、我々の弱みを握ろうと動き出すだろうことは最初から織り込み済みだった。
国内に未だ不特定多数存在していると思われる、アルベルトの敵対勢力と不穏分子の洗出しに使えそうだと、アルベルトとダグラスはグレイを寝所に呼びつけていることを皇居内であえてオープンにしていた。
皇帝の希望で隣国から虜囚とした佳人。
美しく眉目秀麗な姿のグレイはそれだけで注目を集めた。
―――実際のグレイ本人の残念度を知る者は宮廷内にまだ極少数だからこそできた情報戦ではあるが、こちらの意図通り噂が噂を呼び、ついには『皇帝の寵姫』という爆笑ものの二つ名が与えられたのはつい先日だ。
キースからの一報に丁度居合わせたダグラスは血相を変え、俺に確認する間もなく走り出した。
……こうなるようにわざとグレイの噂を流した張本人が、そんなに慌ててどうする?
俺はというと、半場呆れながらダグラスを追いかけ走るしかなかった。
珍しく動揺しているダグラスが、直でその場に突入しては、敵陣営の動向の洗出しが台無しになる。
「ダグ。待て、想定通りだ、状況確認後突入しよう」
「――――すぐ突入だ!あんの野郎、グレイにひっ付きすぎだ!」
図書館の大扉前でダグラスに追い付き押さえたというのに、何処からか突然現れたヒューバートが怒りの形相で大扉に手を掛け、扉が人ひとり通れる位に開く。
カーティスのグレイを侮辱する言葉が漏れ聞こえてきた。
「皇帝陛下の寝所に侍り、宰相にも将軍にも、寝所に呼ばれているとか―――――。ああ、4人一緒に皇帝陛下の寝所に籠り、朝までご一緒のこともあったとか?どうやって我が国自慢の三英傑を垂らしこんだのか、是非お聞きしたいのですよ」
「「――――――!」」
皇帝である俺の「待て!」にも耳を貸さずに、側近であり無二の親友である二人が図書館に突入する波に、我知らずアルベルトも乗ってしまっていた。
「顔」発言に三人して声を殺して笑ってから、アルベルトは標準装備の冷酷皇帝仮面を被った表情で、カーティスの背後に立った。
「我が寵姫を口説くのは止めて貰おうか、侯爵」
現れるはずのない我々に、振り返るなりカーティスは顔色をなくし凍りついた。
おお。
目に一切の感情が見えない、いつもの侯爵は何処へやらだな。
これを引き出したのがグレイであるならば、あっぱれだ。
すいっと視線を向けると、半眼の呆れ顔をしたグレイがアルベルトを見上げていた。
なんだ、その顔は?
ああ。「我が寵姫」に対する抗議だな。
この世の中で、最高に残念なものを見るような目付きのグレイが余りにも面白く、興が乗ったので、もうちょっと燃料投下してみようとアルベルトは決めた。
「俺のモノに手を出すとは、いい度胸だ」
グレイの後ろに歩み寄り、肩口から手を伸ばして顎を引き上げる。
わざと口角を引き上げグレイの顔を覗き込むと、カーティスから見えないと踏んでか、げんなりと眉を寄せて「いい加減にしてください」とその目が語ってくる。
我慢しろ。ここからが肝だ、ちょっと付き合ってもらうぞ。
ゆっくりと顔を伏せて、グレイの頬に唇を近付けあえて聞こえるようにリップ音を鳴らし、カーティスに目だけを向ける。
「―――俺は、コレを手放す気はない。死にたいか、侯爵?」
「も、申し訳ございませんっ!そのような意思は全く!ございません!私は、ただ―――陛下をお守りする側近として、この者を見定めようと――――――」
俺の側近だと?笑わせてくれる。
玉座を狙う者の最側近なのは確かだが。どう皮肉ってやろうかとアルベルトが眉をミリ単位で上げた瞬間、「我が寵姫」が悪魔の笑顔でのたまった。
「え?さっき、グレイブル卿の手を取れば、西の国に戻してやる。とおっしゃってましたよね?」
悪魔から鬼の一言である。
「ななな―――なんという戯言を陛下の御前でっ」
「ああ、こちらの三人をどう誑し込んだか聞きたいとも言ってましたよね?丁度お揃いなので、聞いてみたらどうですか?」
光を発しているかの様に輝く美しい笑顔は女神の様だが、空気と時勢を読めないお頭が偏った学者を演じる?悪魔の申し子についにカーティスは鳴き声混じりに怒声を上げた。
「いっ、言うに事欠いてなんて妄言を?!卑しい西の国の学者風情が!―――」
カーティスが怒りのままにグレイに掴みかかろうと手を伸ばすのをダグラスが取り押さえ、カーティスの守護に回ろうとする護衛官をヒューバートが剣を向け制す。
「我が寵姫を、愚弄するか?その命捨てる気があるのか、カーティス」
椅子に座ったままのグレイを背後から両腕で懐に抱き込み、カーティスに冷たい目を向け告げる。
「この場で首を落とされたいか、カーティス・セラト・グレイブル?」
玉座に座る皇帝としての冷たい宣言に、カーティスは血の気を無くした顔で最敬礼で床に膝を付いた。
「―――御寵姫様を愚弄する意図などございません!身命を賭してお詫び申し上げます!」
「次はないと思え。失せろ」
がたがたと全身を震わすカーティスを射殺す程の目で睨みつけ、全身を切り付ける覇気を向け吐き捨てるように告げると、一礼と共にカーティスは踵を返し走り去った。
思いのほか足の速いカーティスに遅れ、焦りまくって後を追った護衛官の姿が扉の向こうに消えたのを見送っていると、空気を読めないはずの学者が小さく呟いてきた。
「政敵が多いのはわかりますが、やり過ぎでしょう」
抱き込んでいた腕をそっと外しながらため息を吐くグレイに、こちらとしては笑うしかない。
「どこまで読んでいた?」
「あなた方の弱みと、俺の利用価値の確認に来たのでしょうね。最初は鉄面皮でポーカーフェースと思ってましたが、思いの外、崩すのが簡単でした」
「あなたの笑顔は凶器ですからね」
ダグラスの言葉にヒューバートが頷いている。
うん。俺もそう思った。
「俺の陣営についた、意図はなんだ?」
こいつには遠回しに質問するよりストレートの方が早い。
頭が切れるこの目の前の異国の男を、アルベルトも最早認めるしかなかった。
この男は、使える。
睡眠障害に対してだけではない。この俺の「駒」として、使えるかもしれない。
成功報酬との等価交換を持ち掛ければ、寝返ることはない。とアルベルトが考えるのには理由があった。
「他意はありません。俺の望みは、ここの本を読破することだけなんで」
この皇宮図書館の蔵書をすべて読破するまでこの男が裏切ることはないと、我々はもう知っているのだ。




