12:図書館司書は涙する
私の名前は、キース・エンゲル。
東の大国バルナバーシュでは古い血筋を繋げる、エンゲル伯爵家嫡男として生まれ、現在は皇宮図書館司書長を拝命しています。
皇宮図書館は皇帝陛下の許可証がなければ入室出来ない、バルナバーシュでも宝物庫扱いの由緒正しい場所です。
世界の貴重文献を所蔵しているこの図書館での私の仕事は、本の管理、整理、修繕、リクエストに対しての文献探し、入出管理、入室者管理など多岐に渡り、中でも一番の重要な仕事は貴重な本を守る事です。
毎日決まった時間に図書館の扉を開錠し、決まった時間に施錠し、本を守り抜く。
それが図書館司書長としての、私の誇りでもありました。
あの。
図書館の主が現れるまでは………。
「グレイ・ブラッドフォードと申します。西の国で学者をしていました。宜しくお願い致します!」
そう言って手を差し出した黒髪黒目の美しい人は、自分だけ名乗ると私の名乗りを聞く間もなく、くるりと背を向け本棚にダッシュして行かれました。
大変申し訳ないですが、図書館内では走らないでいただきたいデス。まったく聞いてないですね……。
眉目秀麗な姿とは裏腹なシャツのボタンを全てかけ違ったわちゃわちゃな着こなしは、斬新という一言で片付けて良いのでしょうか?
入室確認すら忘れ、口を開けて立ち尽くす私に、皇帝陛下からの「グレイ・ブラッドフォード図書館フリーパス」の通達が届いたのはこの後すぐのことでした。
あの日から、彼は図書館の主に、いえ、図書館の王になってしまったのです。
ええ。あの日から、図書館には鍵なんて一度もかけていません。
かけれないと言った方が正しいですが。もう、諦めました。
彼は図書館内中央の大机エリアを占拠し根城とし、本を積み上げ要塞を建て、ほとんど図書館に住み着いてしまったのです。
ですが、物資と食料の補給がなければ、籠城戦はこちらが有利――――。
勝利は我にあり!そう考えていた日も、ありました。
なんということでしょう。彼には……最強の補給部隊がいたのです。
私みたいなたかが一介の図書館司書などが太刀打ち出来るはずがない高貴な方々。
そうです。
最強の補給部隊のメンバーはお察しの通り。
誰も勝てないし、止める事すら出来ません。
「キース。グレイはどこの本棚に居ますか?グレイの巣に姿がないのですが」
巣。って言っちゃうんですね?………宰相閣下。
私は図書館司書長であって、図書館の王の管理は管轄外となります。
毎日正午前後に必ずバスケットを携えてやってくる宰相閣下が、本の砦の中に姿がない図書館の王を探されています。
バスケットからは、ここからでもわかる良い匂いが薫って参ります。
図書館は本を守るため、飲食禁止なのですが、そんなこと口が裂けても言いません。
「―――お前なあ。毎回、朝議が終わるなり姿を消すと思ったら」
おう。本日は将軍閣下までいらっしゃいました……。
図書館の王が降臨するまで、その凛々しいお姿をここで拝見したことなどありませんでした。
一度お聞きしたいと思っていたのですが、将軍閣下は、読書をすると5分で寝る。という逸話は本当なのでしょうか?
「昼食時間に昼食をとるのは当たり前でしょう?」
「そのことに問題はない。問題は、場所と相手だろう。え、ダグよ。そのバスケットはなんだ?」
「昼食です」
「おいおいおいっ――――」
将軍閣下が私の言葉を代弁してくださっている!
ああ、涙が溢れてきそうですっ――――。
「そういう貴方は何故ここに?脳筋の貴方に一番不似合いな場所ですよ、ここ」
「俺は最近忙しかったから、エネルギーチャージにきた」
「はい?」
「だってよ。あの学者と寝ると疲れが取れるんだよ」
私の涙が違う意味に変わりました。
先日も、「風呂に入ってこないと、ベットに入れない!」と、皇帝陛下が図書館の王に吠えていらした――――。
これは言葉の通りに受けとって良いのでしょうか?
誰か教えてください。
自分の立ち位置がわかりません。一回人気のない場所で叫んできた方が良いのでしょうか?
「あ、居たぞ」
将軍閣下が親指を向けたのは、図書館の王の巣から少々離れた、古書を傷めないため日差しを遮ったエリアにあるライティングデスクの下。
すらりと長い脚が二本、机から生えている。靴下すら履いていない裸足の足が白く艶めかしくて、うっかり息を飲んでしまいました。
流れのまま、お二人と一緒にライティングデスクに近付き覗き込むと、デスクの床下に上半身を突っ込み、貴重文献を抱きしめて爆睡している図書館の王の姿がそこにありました。
「ああ……。またむさくなってるな。風呂入ってないのか?ちゃんとしてれば綺麗なのにもったいないなあ」
「グレイ。ご飯ですよ。起きてくださいって――――ヒュー!潜り込まない!」
床下は木組みで大机エリアの大理石よりは気持ち柔らかいと言っても、床ですよ?
天下の将軍閣下が、床に膝をつき図書館の王の横に潜り込もうとしています。
「いや、俺はもともとエネルギーチャージに来ただけだし」
「グレイはこれから私と昼食をとりながら、政教分離の原則に関し論争をする予定なのです。起こします!」
「あ~眠くなる話だなあ。最適だ」
この国のナンバー2とナンバー3と言われる、宰相閣下と将軍閣下が、図書館の床で膝詰めでを図書館の王を取り合うなど、私には、何も見えても聞こえてもいません。
我が身を守る為には、それが一番の良策だと、私の中の私が、叫んでおります。
図書館の王は、相変わらず貴重文献を抱きしめたまま寝息を立てて幸せそうに眠っています。
顔だけ見たら、眠りの森の美女もかくや。というほどの美しさなのですが、シャツの前身ごろが相変わらずわやくちゃです。
キースの頭の中に嫌な予感が広がっていた。
着衣の着こなしに五月蠅いあの方が、光臨されたら大変だ。
逃げるか。と、キースが心を決めその身を反転させたそこに、今、一番お姿を見たくなかったその方が、憮然とした冷たい表情で口を開いた。
「揃いも揃って、一体、何をしている?」
皇帝アルベルト・ミリアン・バルナバーシュ様の光臨に、ついにキースの目から涙が落ちた。
床に座し揉めていた宰相閣下と将軍閣下を、それからライティングデスクの床下に上体を突っ込んで爆睡する図書館の王を見下ろして、皇帝陛下はぼそりと言った。
「こいつに、誰かシャツのボタンの閉じ方を教えてやれ」
私も、そこに関しましては常々何とかならないかと、思っておりました。皇帝陛下。




