11:宰相閣下の実証実験
名門大公家であるハミルトン家に生を受け25年。
あまり人に興味を持つことなく生きてきたダグラスが、目の前の珍獣から目が離せなくなっていた。
珍獣の名は、グレイ・ブラッドフォード。
西の国の将軍家に生まれた学者。らしい。
皇宮謁見の間で初めて見た時のよれよれの学者の風貌はもうなく、ぴかぴかに洗われたその姿は戦場で見た光を具現化したように輝いていた女将軍に瓜二つだ。
双子とはいえ、男女の一卵性であるはずが、綺麗で怜悧な美貌はそっくり同じ。よくも今まで隠しきれたものだと思う。
だが、同じ姿とは言えグレイには女性的な印象はまったくなく、女将軍を男にしたらこう。とうような男性的な眉目秀麗さがある。
「現在の歴史教育では、東と西の2国はもともとひとつの国であり、二人の王子が世界を発展させるために2つの国を興したと学びますが、それは偽証だとわかりました!―――ここです。この文章に兄王子バルトサールと、弟王子バルナバーシュの決裂の記述があります。2つの国が出来た本当の理由は、王子同志の兄弟喧嘩で、おまけに喧嘩の理由が夕食の肉の量が発端って?!ありえなさすぎて凄い!」
彼は興味のある話を始めると止まらない質のようだ。
頬を紅潮させ、手元の3冊の本を突合し解読しているグレイの目は輝いていた。
その輝く黒曜石の瞳に見惚れてしまったことは、誰にも言えない。
もともと戦争捕虜となるはずだった女将軍クレアの代理として皇宮にやってきたグレイだが、先だっての閣議決定の後、正式に皇宮での滞在許可を与えた。
閣僚には開示していないが、アルベルトの睡眠障害解消への一筋の光明となったグレイを、逃がすわけにはいかない。閣僚達にはもっともらしい適当な理由を盾に、グレイの必要性を説いたのだ。
宰相であるダグラスの弁に、異を唱えるものは出なかった。まあ、ヒューに睨みを効かせてもらって、誰にもノーを言わせないようにしたのだが。なにせ、今は、アルベルトの体が第一だ。国の先頭に立つアルベルトに倒れらえるわけにはいかない。
皇宮内での居室は―――グレイが皇宮図書館希望といってきかないため、寝泊りは許可し別室も確保したのだが、案の定グレイはほぼ図書館で生活しているらしく、あらゆる意味で目が離せない。
目が離せない理由は二つ。
ひとつは、滞在の許可は下したが、グレイは敵国の、そうとはひとかけらも見えないが将軍家という武門の出自である。ないとは思うが、スパイ活動の抑制は必要である。
もうひとつは、2-3日放置すると、初日のよれよれの学者姿に戻ってしまうことだ。もったいないので女官と連携し、適時にグレイの面倒を見てもらっている。
出来れば、美しい姿を保持してほしい。これはダグラスの目の保養の意味合いもあった。
政務の間を割き、グレイの巣と化している皇宮図書館の一角を訪れ、彼の姿と動向を確認することがダグラスの最近の日課となっていた。その度に交わすグレイとの古文書解読の会話とティーブレイクは、正直楽しいものだった。
古い文献や自分の知らない学問の解読は、幼い頃からのダグラスの趣味であり楽しみでもあるが、こんなにも語り合える相手は今までにただの一人もいなかった。
グレイは博識で、ダグラスでも解読することが出来なかった古代文献や、単独では学べなかった学問等を、次々に翻訳、指南してくれた。
参考図書を開き説明を続ける横顔は見とれる程に美しく、目を奪われてしまう。
さらりとした真っすぐな黒髪が揺れ、黒曜石の瞳がダグラスを覗き込んできた。
「宰相閣下?」
どうかしたのか。という顔をグレイが向けてくる。
見とれていたことは、どうやら気付かれてはいないようだ。
「いえ……簿記論というものは初めて指南を受けましたが、大変面白くて、どんどん目が冴えてきて―――実験になりそうもないな。と」
本日二人は同じベッドの上に車座に陣取っていた。その理由は、アルベルトの睡眠実証実験である。
昨日、1分を切る速度でアルベルトを入眠させたグレイの手腕を調査する。それが、宰相でもあり、従兄でもあり友でもある、ダグラスの本日の仕事である。
「………もう一人は、速攻で寝落ちしましたね」
「脳筋に簿記論は―――子守歌に同意なのでしょう。その手は?」
今日はグレイと二人で睡眠実証を行うはずだったのに、何故か現れたヒューバートがグレイの右側に大きな図体を横たえ、今やすやすやと寝息を立てている。
グレイの腰に回した左腕を自らの枕にして幸せそうに眠るヒューの背中を、グレイが一定のリズムで優しくとんとんしているのが、ダグラスのカンに触った。
「あ、ああ。これは―――もう癖だな。うちの妹、クレアが幼い頃から寝付きが悪くて、寝かし付けを長年やっていて、あいつは背中をとんとんして髪を撫でてやらないと、眠りに入れなくて。寝床に誰かが居るとつい」
「私には?」
つい、口をついて出てしまった言葉に焦り、口に手をやり視線をずらす自分に、グレイが小さく笑う声が聞こえた。
「宰相閣下とは、話が合いすぎて会話が弾みすぎていけませんね。俺の必殺技が効くかどうか、実験してみますか?」
グレイが彼の左傍らにある枕をぽんぽんと叩いた。
「どうぞ?」
これはまずい。
すでに、抗えないぞ。
この国の宰相として、これはヤバいと思いながらも、ダグラスがグレイに言われるままに枕に頭を乗せ体を横たえた。
すぐ右隣に、グレイの体温を感じ胸がそわそわしてきて、どうしようもなくて、目を閉じる。
するりと髪を撫で滑る手が背中に落ちた。
とん。とん。と柔らかなリズムで背中に落ちるあたたかな手に、なんだか瞼が重くなる。
何故だろう感じる不思議な安心感に、安堵の息が漏れる。
「これで、宰相閣下が眠りに入れたら、俺の手は本当に眠りの神の手かもしれませんね」
くすくす笑う耳に心地よいグレイの声すら、子守歌の様だ。
これは、寝るだろう。
わかるよ、アルベルト――――――。
「――――宰相閣下?」
「………ダグで、いい」
そこからの記憶は、もうない。




