9:将軍閣下の入眠チャレンジ
皇帝陛下の「第一回入眠チャレンジ」は失敗に終わった。
大変遺憾です。
図書館に籠りー住み着きーむさぼるように本を読み、たまにふらりと現れる宰相閣下と古代古語の本に関しての解釈談義に盛り上がる―――。あの幸せな時間は終わりを迎えてしまったようだ。
「お前は捕虜で人質という現実を理解しているのか?そもそも初日にあれだけ小奇麗にしてもらったというのに、もう元に戻っているではないか?!」
小奇麗とは程遠い、むっさい外見に戻ってしまった感は否めないが。それで誰が困るというのでしょう?
「ええと、これが俺のスタンダードですよ?」
皇帝陛下のいつものロングブレス溜息を浴びせ掛けられ、「スミマセン」と本に目を通しながら返答をしたら、ここにきて最長となるお小言を頂いてしまった。
いえね。
捕虜で人質の自覚なんて、ありますよ。
だってここは敵国「東の国バルナバーシュ」。
生きて祖国の地を踏めるとは思っておりませんとも。
「ああ!もういい!お前に説教しても無駄だとはこの2週間で良く分かった」
「16日です。週にすると2週と2日―――」
「まず、聞け!」
これもまた、皇帝陛下からよく聞くフレーズである。
「グレイ、よろしいですか?陛下はすでに限界です。あなたには再度陛下の寝かし付けを―――」
宰相閣下が話しているというのに、皇帝陛下の手刀が彼の頭に入り、言葉が切れる。
う~~ん。
まず、聞け!と言ったのはあなたでしょうに、陛下。
「寝かし付けだと?俺は一体どこの子供だ?!もう一回この学者を使って実験をするだけだ。いいな、レイ?!」
「グレイです」
この問答もすでに何回目か?と思いながら名前の訂正をしたら、宰相を打った皇帝陛下の手刀は返す刀でグレイの頭に入った。
「まず!風呂に入ってこい!風呂に入らんと俺のベッドには入れないと思え!!」
瞬間通りがかった図書館司書が顔を赤くしてそそくさと走り去っていく。
うん。このセリフだけ聞いたら誤解しますよね?良くわかります。
でも、その言葉の指すところは、あなた方の皇帝陛下のただの寝かし付けですよ……。
宰相閣下と将軍閣下に両腕を引っ張り上げられて、グレイは風呂場へと引きずられていくしかなかった。
・・・
アルベルトの考えた入眠シークエンスは、様々な組み合わせでテストが行われたそうだ。
だが、そのテストは全て失敗に終わり、薬での入眠はすでに体が受け付けず、無理矢理に体を酷使し、失神に近い形での強制的な眠りでしか、彼は眠りにつくが出来なかったそうだ。
それも、良くて日に数時間。
悪ければ、それすらも出来なかった日も多かったとのこと。
そう、聞いていた―――。
「「―――瞬殺だったな」」
皇帝陛下の寝室のキングサイズのベットの直ぐ側で、将軍閣下と宰相閣下の呆れ声が揃う。
ええ、一瞬でしたね。
我ながらびっくりしてしまいました。
ベッドの中の皇帝陛下はまるで死んでいるかのように、ピクリとも動かず眠りについていた。
安らかな寝息に合わせるように胸が緩やかに上下する様を今、大の男三人で瞬きも出来ずに凝視しています。
図書館から風呂場に連行され、グレイは濡れた髪もそのままに、皇帝陛下の居室に強制連行された。
不眠の限度を超え、それでも体を休めることが出来ない酷い顔色に三白眼。麗しい御尊顔が台無しです陛下。
アルベルトがごろりと横になった枕元に、グレイがのそのそと乗り上げた。
「本気で、一緒のベッドに入る気か?」
将軍閣下の右手が剣にかかるのを見て、グレイは苦笑をこぼした。
「前回と同じ状況でテストをと―――降りましょうか?」
乗り上げた体制のまま、映像を巻き戻すように後退し始めるグレイをアルベルトが制した。
「いや。いい、同じ状況でテストしたほうがデータがとりやすい。ヒュー大丈夫だ。この学者の手を見ろ、剣など握ったこともない手だ」
皇帝陛下に右手を取られ、二人に向け手のひらを広げさせられる。
ええ。右手はペンしか持っていないので、あるのはペンだこだけですね。
「まさに。ペンしか持ったことのない手ですね」
宰相閣下の言葉に頷き、ヒューは両手を上げた。
「一応敵国の捕虜だからな。我らが皇帝陛下のベッドに上げるなど、本来危険極まりない」
「これはアルが眠る為の実験ですし、グレイの人となりに危険性は見受けられません。私が保証します」
おお。さすが本を愛する同胞です!
うっとりと宰相閣下を見つめていたら、皇帝陛下に小突かれた。
「で、今回はどうする。テスト対策は考えているのか?」
近くで見ると顔色も酷いが目の下の隈がもの凄く黒い。
よくもこんな体調で皇帝という激務をこなしているものだ。とグレイはアルベルトへの同情を感じ始めていた。
「テスト対策も何も、前回だってなんの手立てもなく、精神疾患の診断統計マニュアルを使って睡眠障害の診断をしようと説明しているうちに、陛下は寝落ちされましたからねえ―――どうしたものか。あ、前世の世界観とか、この世界にないものとか話したらいいですかね?出来るだけ意味の分からないお話をした方が――――――」
話ながらも手持無沙汰で、つい、本当にいつもの癖でつい、隣に横になっている寝かし付け対象者の背中をとんとんと宥める様に叩き、流れのままにその髪を柔らかく撫でた。
幼い頃から寝付きの悪かった妹クレアへの、兄の所作。
同じ寝床にはいったら隣の相手には何も考えずに、その所作を行ってしまうグレイは、微かにうめいた相手の声とさらりとした感じたことのない髪の感触に、現実に引き戻され血の気が引いた。
この人は、東の国の皇帝陛下である!!
「っ申し訳ございません!!手がすべっ―――――――――………へ?」」
とっさに下げた頭の下から、安らかな寝息が聞こえてきた。
まさかでしょう?
と薄く目を開いたその先に、皇帝陛下の安らかな寝顔が、見えた。
「ありえん………」
本当に不眠症状に苦しんでるのだろうか?
ものの数秒で寝かし付けを行った本人であるグレイは、首を傾げて、皇帝陛下の側近二人にギギギっと顔を向けた。
「本当に―――不眠、なんですかこの方?」
グレイからしたら、瞬殺で眠る皇帝陛下しか知らない。
前回も、気付いたら寝ていたし、今回なんて、気付く間もなく寝落ちしている。
「いやいやいや!お前、なんか魔術とか妖術とか使ったんだろう?!瞬殺だったぞ!瞬殺!!」
ぐわっ!っと大声を上げる将軍閣下の口を宰相閣下が抑え込む。
「ヒュー!!せっかくアルが寝たのにそんな大声上げたら―――?!」
起きてしまうと言いたいのだろうが、皇帝陛下はピクリともせずにすやすやと眠ったままだ。
ふたりの顔色が変わる。
「魔力や妖力を使用したのならば、私が気が付かないはずがありません………。一体、どうしてこんなことが?!」
信じられないと声を上げ、皇帝陛下の様子を伺い、瞼を引っ張り、鼻をつまみ、両頬を引っ張り―――って。
宰相閣下、そんなことしたら、せっかくお眠りになった皇帝陛下が起きてしまいます。
ああ、将軍閣下……。ベットに上がるのは良いですが、皇帝陛下に馬乗りなって両手を持ち上げ脇をくすぐるなんて、安眠妨害も甚だしいと思います。
あなた方は、大切な皇帝陛下を眠らせたいのですか?それとも起こしたいのですか?
―――俺は、図書館に帰って宜しいでしょうか?
「よし!」
何がよしなのか?
将軍閣下がその一声と共に、グレイを挟んで皇帝陛下と逆サイドの左側にごろりと体を横たえた。
「俺も寝かし付けてみろ。なんかの成分でもお前が出してるかどうか、検証だ!」
「何がよし。で、何で検証するんですか?」
げんなりとするグレイに、ダグラスが溜息を漏らす。
「申し訳ないですグレイ。ヒューは脳筋ですからね、身をもってしか事態の理解が出来ないのです。ちょっと付き合ってもらえますか?私は詳細を見分し、分析をさせて頂きたいと思います」
言うなり、ベッドサイドの椅子に腰を下ろしダグラスは紙とペンを手にこちらを鋭い目で見てきた。
ふたりとも正気なんですね?
これが東の大国の皇帝陛下の両翼と言われる最側近のお二人なのですね。
まあ、皇帝陛下も皇帝陛下ですが………。この騒ぎの中で大熟睡たあ、本当に不眠で苦しんでいるのでしょうか。
「なんか話せ。お前の話と体温がポイントじゃないかと、アルが言っていた。実験だ実験!」
「いきなり話せと言われましても、将軍閣下は睡眠障害もないので診断は不要でしょうし」
それよりも、国のトップの皇帝陛下のベッドに皇帝と将軍と捕虜の男3人で川の字になって、それを見守るのが宰相閣下ってのは、これは現実なのでしょうか?
「興味のない話の方が眠気が来ますかね?それとも興味のある話の方が良いですかね?どちらにしても、この状況で主君のベットに寝っ転がって、睡眠チャレンジなんて、平和なのか俺への罠なのか―――一体何の冗談でこんなことに―――」
そんなことを言いながらも、常の習性とは恐ろしいもので………。
実験体である将軍閣下の背中をとんとんし、流れのままにその髪を撫でてしまう。
自国に居た時もそうだったが、寝具の上で共寝する対象にはつい手が出てしまう。
クレアは可愛かったから、いつでも一緒に眠っていたし、カンの虫が強く夜泣きの酷かったクレアの寝かし付けはグレイの担当で必殺技だったのだ。
「確かにクレアの寝かし付けはに関してはプロでしたが、大の男の寝かし付けんなんて―――」
ぐだぐだと管を巻き、だらだらとどうでも良い話をしていたら、「―――グレイ」と、宰相閣下に名を呼ばれた
「―――ヒューが寝てます」
グレイの左脇には、いびきを上げて爆睡に入る将軍閣下の姿があった。
これは、両手に花。と言っていいのでしょうか?




