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【1】



「いやいやいや……は?」


 昭和三十年代のサラリーマンのような男だった。身体にぴったりな襟元が詰まったスーツを着て、髪は七三に分けている。眼鏡は丸い。これ、ロイド眼鏡っていうんだっけ? 年の頃は三十代……いや、四十代前半かもしれない。

 そんな男が部屋の中に勝手に入ってきて、目の前で正座をしている。しかも……なぜか背中には、宗教画などでよく見る天使の白い翼を生やしている。どうなってんだ、これ? 背負ってるのか? なんのコスプレだ?


「ですからね、あなたはお亡くなりになりましたので私がお迎えに上がりました」


 男は至極まじめな顔でさっきと同じことを繰り返した。


「いや、だから、俺は死んでないし」


「皆さま同じことを仰るのですよね。今は混乱されているのです。よく思い出してみてくださいね」


 諭すような優しい語り口調と表情。それがかえって怖い。

 

「あの、帰ってくれませんか? どうやって部屋の中に入ったのかは知りませんが、これ以上居座られると……警察を呼びますよ?」


 本当は今すぐにでも通報したい。だけど、こういう類いを下手に刺激するのも躊躇われた。急にキレられたらなにをされるかわからない。


「うーん。それは困りましたね」


 そんなことを言いつつも、困った様子もなくにこにこと微笑んでいる。……やっぱり怖い。


「では一緒に思い出していきましょう。そうですね……まず、昨夜のことから」


「いや、そういうことではなくて……今すぐに出ていってほしいんですけど……」


 そこまで言ってふと、昨夜は何をしていたかと反射的に考えた。とは云え、考えるまでもなく……毎日はルーティーンのようなものだ。いつでも同じ。変わったことは何も起こらない。仕事終わりにいつものとおりに駅前のスーパーに寄って、割り引きのシールを貼られた弁当といつもの発泡酒を買って、部屋に帰ってきて食べて、風呂に入って寝た……よな。


「夕食はなにを召し上がりましたか?」


「……いつもの弁当ですが」


「なんのお弁当ですか?」


「それは……」


 ……あれ? なにを……食べたっけ? 


「たぶん、いつものミックスフライ弁当だと思いますが……」


 ミックスフライ弁当。値段の割には微妙な位置にいる弁当だ。とりのから揚げ、ポテトコロッケ、小さな白身魚とイカリングのフライがひとつずつ。薄いハムカツが半分と、小指よりも細い海老を二倍以上の厚さの衣に包んだエビフライがひとつ。それに黒ごまをふりかけた白米ときゅうりの柴漬け。

 がっつり食べたい者にはいささか物足りなく、普通に食べたい者にはいささか油が重い。野菜は申し訳程度の漬け物のみ。結果として値引き対象の常連品だ。

 俺にとってはありがたい限り。同じことを考える手合いも多いのか、その時間に割り引きシールを貼られたミックスフライ弁当を手に取るのはだいたいいつも同じ。鏡に映った自分のように見慣れた面子だった。


「思います? はっきりとは憶えていないのですね?」


「ど忘れしちゃって……」


 昨夜の食事の内容がとっさに浮かんでこないなんて、よくあることだろう?


「では、昨日は会社を出る前に誰かとお話をされましたか?」


「……いや、していないと思いますが」


 俺が帰るときにはまだ、営業部には出先から戻っていないやつもいたし、直帰のやつもいて……。あれ……? そうだったっけ? 営業事務のアシスタントさんはいるはずで……。アシスタントさん? 誰だっけ? 名前はおろか顔までも思い出せない。


「ほら、だんだんと思い出してきたでしょう?」

 

 目の前の男はにっこりと笑う。


 いや、思い出すどころか逆に何も思い出せない……。どういうことだ? イヤな予感が全身のうぶ毛を逆立てる。


「では、あなたは今、どこにいるのですか?」


「どこって……俺の部屋ですけど」


 勝手に侵入して居座り、ヘンなことばかりを言いやがって。一体なんなのだこいつは。


「本当に? よく見てくださいね」


 よく見ろ……? 

 ここは大学を卒業して就職してから、十八年間ずっと住んでいる部屋だ。ボロいアパートだが、駅にも会社にもほどほどの距離が丁度いい。不法侵入の不審者に、わざわざそんなことを言われたくもないくらいに俺の部屋だ。


 相手をするのにもいい加減にうんざりしてきた。さすがにもう付き合いきれない。


「あのですね……! もう、いいです。警察を呼びますから」


 手に持っていたスマートフォンのロックを解除しようとすると……手のひらの中からスマートフォンがすうっと消えていった。一瞬にして、ではなくて、徐々に透明になって消えたのだ。目の前で。手の中で。

 確かに覚えていた重量感もカバーの感触も、きれいさっぱりとなくなってしまった。


 は……?


 何が起こったのか理解が出来ずに、ロイド眼鏡の男を思わず見てしまった。


 男は相変わらずに、にこにこと薄気味の悪い笑いを浮かべている。


 ……あれ?


 いつの間にか男と目線が対等になっていた。


 ついさっきまでは、ベッド代わりにしているソファに腰をかけて、男を見下(みお)ろしていた……はずだった。部屋の角には縦長のガラスケースがあり、キャラクターのフィギアが三段になってキレイに飾られていた……はずだった。洋服掛けにはスーツやネクタイやシャツやジーンズが吊るされていた……はずだった。テーブルの上のノートパソコンには電源が入っていて、お気に入りの画像が待ち受け画面になっている……はずだった。床には本棚に入りきらないコミックや文庫を積み上げていて、一昨日に出し忘れたプラスチックゴミの袋がキッチン脇に置いてある……はずだった。


 それなのに今は、フローリングの床に直に座り、壁に背中を持たせていた。

 目の前のコスプレ不法侵入の男はそのまま正座をしているが、部屋の中には何もなかった。

 何も……なかったのだ。


「まあ、ちょっと落ち着きましょうかね」

 

 男は上着の懐のポケットに手を入れた。


「申し遅れました。私、こういう者でございます」


 取り出した名刺を恐る恐る受け取る。


 『いつでも真心サービスの安心案内 あなたのお心に寄り添います。

 霊界ガイド課 主任 スズキ タロウ』


 そこには古印体で印刷された、そんな文字が並んでいた。

 



 


 






読んでくださってありがとうございます。

ほぼ描き上がっています。4話~5話の予定です。最終話を分割するかどうかで悩み中です。

よろしければ最終話までお付き合いくださると嬉しく思います。

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