推理落語 一銭洋食の幇間
食事にまつわる昔話でございますか。
さようでございますな……。
そうそう、アタシがまだ駆け出しも駆け出し、馬鹿みたいに意気がっていた時分、鰻屋の座敷でちょいとばかし面白い経験をしたことがございます。
宜しければ、ひとつ暇潰しに御耳を拝借。
そして只の暇潰しというのもナンですから、話がサゲに入る前までの間に、アタシがやらかしちまった『とんだ手抜かり』をピタリ御指摘いただくという趣向で参りましょうか。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
奉天会戦大勝利の、提灯行列あとの出来事でございます。
若気の至りと申しますか、当時アタシは乙種合格の籤外れというやつで、己が不甲斐なさに荒れた生活を送っておりました。
もっともアタリを引いておれば旅順か遼陽辺りで、見事に名誉の戦死を遂げていたかもしれないわけで、人生は塞翁が馬、還暦を迎えた今にして思えば、その場限りの幸不幸に一喜一憂しても詰まりませんな。
おっと話が逸れました。
それでアタシは実家の材木問屋を飛び出して、野幇間の真似事なぞを始めていたのでございますが、ちょうどその日に取り巻いた赤坂の御隠居から
「師匠もイジケてばかりいないで、今日ばかりは大勝利を祝おうじゃないか」
と、お誘いを受けましてね、枯れ木も山の賑わいと提灯をかざして、バンザイを呼ばわったりしたのでございます。
御屋敷までお送りした帰り際、御酒で赤い顔をなさっていた御隠居が、ふっと真顔になられまして
「そうそう師匠、この辺りには昔、ぬっぺらぼうが出たんだそうだよ。赤坂から四谷に抜ける坂道なんだけどね」
と気味の悪いことをおっしゃいました。
「京橋の商家の大旦那がね、道端にかがんで泣いてる女を見つけて、親切心から『どうしました?』と声をかけたら、顔が無かったそうなんだ」
アタシが「うへぇ御隠居、勘弁して下さいまし。拙はこれから、そこを歩んで帰らなくちゃならないんで」と申しますと、御隠居は「いやいや、それだけじゃ終わらないんだ」と先を続けられました。
「思わずキャッと逃げ出して――しかも手にしていた提灯は投げ出しちまってる――暗闇の中を這うように蹌踉て、ようよう見つけ出したのが夜鳴き蕎麦の屋台の灯りだ。御維新から此の方は、ちょいとは賑やかになった道だがね、当時は日が傾くと猫の子一匹通らないような寂しい場所だったんだな」
「地獄に仏でございますね。それで目出度し目出度し、市が栄えた、と?」
アタシが胸を撫で下ろすと「そうじゃないんだ、師匠」と御隠居が怖い顔をされました。
「屋台に駆け込んで『とんでもないモノを見た』と、息も絶え絶えに口に出すと、屋台の親父が『お客さんが見たのは、こんな顔じゃなかったですかい?』と己が顔を撫でた。するとどうだろう、蕎麦屋の顔も剥きたての茹で玉子みたように、ツルンと目も鼻も無くなっちまったんだ」
「くわばら、くわばら」とアタシは両の手を合わせました。
「顔無し女と蕎麦屋とは、両方ともがバケモノだったんで?」
アタシの怖がりぶりが可笑しかったのか、御隠居はカラカラと笑われて
「桑原は雷公除けの呪いじゃないか。貉には効かないよ。師匠は存外小心者だな」
と、おっしゃいました。
「貉? ぬっぺらぼうは貉が化けていたんで?」
アタシが恐る恐る訊ねますと、御隠居は「ヘルン先生は、そう書いているな」と満足そうに頷きました。
「東京帝大で英語を教えていたパトリック・ヘルン先生だ。著書の『Kwaidan』の中で『Mujina』という題で記しておられる。もちろん英字で」
◆
これは脅かし賃、と御隠居から過分な心付けを頂戴し、懐は暖こうございます。
また祝祭の余韻も有ってか、その日の帝都は夜が更けてからも浮き立ったような雰囲気でありました。
良い心持ちでぶらぶらと四谷へ向かう道を辿っておりますと、何を食わせる店なのか道ッ端に明々と洋灯を灯した屋台が一軒出ております。
気分は良いし懐は重たいしで、ちょいと握りでもつまむかな、それとも蕎麦でも食ろうか、なんでも良いやと深く考えもせず、屋台を覗き込みました。
すると箱火鉢の上に広めの鉄板を載せるという、妙な具合の造りの店でございまして、ソースの焼けた良い残り香が漂っております。
今でこそ下町の味になってはおりますが、その時分はまだ”もんじゃ”は巷に普及しておりませんで、メリケン粉に黒蜜を溶いた甘い”文字焼き”ばかりの時代だったということもあり、焦げたソースの香りというのは、すこぶるハイカラに感じたものです。
アタシが「大将、なんとも旨そうな匂いだね。ここは何を商ってるんだい?」と訊いてみますと、豆絞りの手拭で頬ッ被りした年若い店主が「へい、上方で大評判の”洋食焼き”を出さしていただいております」と愛想よく教えてくれました。
「京の都では”一銭洋食”なんぞとも呼ばれておりましてね。舞妓さんも御座敷がはけてから、好んで召し上がっておられやす。アッシも噂を聞き付けて、それなら箱根の東ッ側でも商売になるだろうと、道頓堀で修行して戻ったばかりで」
「そりゃあ初耳だ。話の種にも是非試してみなくちゃならないねぇ」
と、一枚焼いてもらうことになりました。
屋台の前には背の高めな縁台が据えてあり、客は腰掛けて店主の手元を眺められるようになっておりました。
ちょうどアタシの他に客はおりませんでしたから、縁台のまん真ん中に腰を据えて焼きの作業を注視します。
主は広口の壺に杓子を入れて掻き混ぜると
「この中に、メリケン粉を玉子と出汁とで溶いたものが入っておりますんで」
と、トロリとした乳白色の汁を見せてくれました。
「吝な店だと『どうせソースの味になるんだから』と、粉を只の水で溶いたりと、安く上げようとするんでございますが、それだと素材相応の出来上がりで、味も安っぽくなってしめぇやす。いくら手軽な食いモンだとしても、手を抜かないことが肝要で」
「いや、立派な心掛けだ」と、アタシは店主の心意気を称えました。
「料理人は、そうでなくっちゃ店の看板に傷がつく。商売は一時の儲けよりも、なにより信用が一番だからね」
今思えば自分の半端ぶりを棚上げにして、よくもまあエラソーに言えたもんだと汗顔の至りでございますが、その時は正直腹の底からそう思いましたし、なんと申しますか……洋食焼き屋の意気地ってヤツを応援したかったものでして。
アタシのホンキが通じたものか、主の講釈にも力が籠ります。
「具には、上方だと色鮮やかな青葱を、ケチらずタップリ散らしやす。ただしそれは大阪だったら難波葱、京都であれば九条葱と味に定評のある青葱があるからで、コッチの深葱だと味なら負けはしやせんが、色味が白髪の白一色。仕上がりが単調で見栄に面白さが欠けやす。そこで一つ工夫を凝らしやした」
そう言うと主は、笊に盛った細長に刻んだ色の薄い菜っ葉を取り出しました。
「甘藍と申します。横浜が数少ない開港地だったころから、異人さん向けに植えられていた西洋玉菜でございまして、英国さんはキャベジとかキャベイジと呼ぶそうでございますよ。健胃の薬効があるとかで、味と歯触りが良い上に滋養も申し分なしなんで」
主は鉄板に油を引きながらキャベイジの説明をすると、杓子で掬い上げた生地を垂らしました。
じゅううぅぅ、っと、食べる前から旨そうだと分かる芳香が立ち昇ります。
すかさず、一掴みの千切りキャベイジを投入!
キャベイジに軽く火が通るまでの短い間、「焼け過ぎると味が落ちますんで」と、主は油断なく鉄板に目を配っておりました。
頃合いよし、という所で、主は両の手で箆を器用に操り、だし巻き卵を巻くように平たい洋食焼きを筒状に整えました。
これだけで充分に旨そうでしたが、更に主は太い刷毛で手早く、しかもタップリとソースを塗るのです。
鉄板に垂れたソースが油に爆ぜ、ガツンと脳髄を揺さぶる匂いが屋台に充満いたします。
「へい。お待ち」
主は焼け上がりを経木に盛り、魚粉と七味をパラリと振ると箸と一緒に寄こしてきます。
「ここで熱ツ熱ツをお召し上がりになるのが一番でございますが、お土産になさっても美味しゅうございますよ」
「良い匂いがするからね、帰り道で貉にでも化かされたら詰まらない。ここで頂いて行こう」
と箸を手にしますと、えええ? と主が妙な声を上げました。
「先のお客様も、確か”ぬっぺらぽう”がどうとか仰っておられやした。『親仁、貉の蕎麦屋が今でも出るかと肝を冷やしたぜ』とかなんとか」
◆
ハフハフと絶品の洋食焼きを頬張りながら、アタシは
「実は御維新前に、この辺りで貉に化かされた大旦那が居てね」
と、先ほど御隠居から教わったばかりの、顔無し女と蕎麦屋の怪談を講釈しました。
「しかも根も葉もない噂噺じゃあないんだ。ヘルン先生というお抱え学者様が、蟹行文字で記しておられるとか」
「そいつァ、魂消やした!」
主は驚いて見せましたが
「けれどそのヘルン先生とやらも、貉の怪を信じてはおられますまい。おおよそ本邦のバケモノ噺を、面白く思って書き残したんでごぜぇましょう。たぶんカラクリには気が付いておられるハズで」
と続けました。
「カラクリ?! 貉のバケモノには裏が有るって言うのかい?」
アタシが訊き直しますと、主は「では黒岩涙香ばりに、謎解きをして進ぜましょう」と洋灯を吹き消し、替わりに行灯に火を入れました。
電灯よりは明るさの劣る洋灯を――当時は明るく感じたものでしたが――これまた更に暗い行灯火に灯し代えたのですから、屋台の中は心細いほど薄暗くなりました。
◆
主は背中を向けて、なにやらゴソゴソやっておりましたが
「お客さんが見たのは、こんな顔じゃなかったんですかねェ」
と面を突き出しました。
頬ッ被りの下にあったのは白一色の、目も鼻も見分けが付かない溶け崩れた顔!
アタシが、ヒイイイ! と、だらしなく悲鳴を上げますと
「大丈夫でございます。ようよう御覧になって下せえまし」
と、主は被っていた手拭でゴシゴシ顔を拭きました。
見れば……ちゃあんと目鼻が在る。
「洋食焼きの汁を、面に塗りたくっただけの、ただの手妻でござい」
ホントウだ、とアタシは大きく息を吐きました。
「白塗り顔を見せられたときは、喉から心の臓が飛び出すかと仰天したよ」
主は「どうも申し訳ありやせん」と頭を下げ
「商売モノの出し汁を、手妻のタネに使ったのも、不埒千万でございやしたが」
と平謝りに謝ってきました。
「けれど被っていた手拭は豆絞り。白手拭の持ち合わせが無かったもので、しょう事無し、と云うことで」
「白手拭? すると大将は、女が手拭を顔に被せて大旦那を驚かした、と考えたわけか!」
アタシが問い返すと、主は「へい。ご明察の通りで」と返して寄こしました。
「夜の夜中の道ッ端、灯りと言やぁ大旦那が手に持つ提灯ひとつッキリでごぜえやす。この屋台の中より暗うございやしたでしょう。女が懐に予め、湿した白手拭を忍ばせおいて、面に被せて不意に振り向いてみせれば、顔無し女の出来上がりでござい」
なるほど! とアタシは膝を打ちました。
「暗がりで不意打ちされりゃあ、咄嗟のことだ、粗は見えない。こりゃあ大旦那が、のっぺらぼうと信じ込むのも無理はないか」
主は顔を拭いた手拭を懐に捻じ込むと、ニコリと笑いました。
「蕎麦屋の顔が消えたのも、同じ仕掛けでございましょう。『こんな顔では』なんぞと言いながら丸めた白手拭を額に載せ、『なかったですかい』で広げてみせる。既に大旦那は顔無し女に仰天しておられたわけですから、再度の怪に魂消ねェはずが有りゃしません。初っ端が蕎麦屋でしたら、まだ簡単に見抜けた仕掛けなんでございましょうが」
◆
主の水際立った謎解きには感じ入りましたが、女と蕎麦屋が大旦那に向けて、そんな――手の込んだとは言えませんが――一銭にもならない手品を披露した訳が分かりません。
「いや恐れ入った。大将のいう通りだったんだろうねぇ。……けれども女と蕎麦屋とは、なんでまたそんな芝居を打って見せたんだろう」
「恐らくは」と、主は湯呑の白湯で己が喉をチョイと潤し、「美人局の悪党どもだったのに間違ェねえでございましょう」と応じてきました。
「しかし大将」とアタシは首を傾げました。
「脅かして追い払ったんじゃあ、銭にならないだろう。大旦那が、”顔有り”の女を親切誤化して、何処ぞ如何わしい仕舞屋へ連れ込みでもしない限り」
すると主はニコリと顔を綻ばせ
「大旦那は――大旦那と呼ばれるくらいでごぜぇますから――結構な御歳だったはず。既に枯れた御面相で艶っぽいハナシとは、ご縁が遠い見た目だったのでございますよ」
なるほど、そうか!
鈍チンのアタシにも、やっと合点がいきました。
「老い先短い年寄じゃあ、色恋沙汰なぞ有ったもんじゃない。相棒の蕎麦屋も『オイ、俺の情婦にナニ手ェ出してやがるんでぇ!』と凄んで見せることが出来ないねぇ」
主は「美人局が網を張って待ち構えていたのは、ちょいとした小金を懐へ入れていそうな気障でニヤケた若旦那、と云ったところでごぜえましょう」と頷きました。
「親切な御老人が引っ掛かってしまったのは――仕方がねえとはいえ――仕事には邪魔ッ気なだけ。早々に追ッ払ッちまいてェところでやす。美人局の二人組は、予め獲物に成りそうもねぇ雑魚が喰い付いて来た時には、脅かして追っ払う算段を付けていたのでございましょうな。のっぺらぼうのバケモノを出して」
◆
アタシは主に「洋食焼き、旨かった。世辞抜きで気に入ったよ。これなら箱根のコッチでも繁盛間違い無し」と代金を払い、そして「これは謎解きを聴かせてもらった御礼だよ」と別に心付けを握らせました。
「アタシを贔屓にしてくれている御隠居が居るんだが、今度ご案内してきても構わないかえ? 今の謎解きを聴かせてやってもらいたいんだ。いや、たいそう喜んでもらえるだろうと思ってね」
主は「へい。これからもどうぞ御贔屓に」と笑顔を見せ
「近頃は夜な夜なこの辺りに屋台を出しておりやす」
と頭を下げました。
けれど、洋食焼きの屋台とは二度と出逢えませんでした。
提灯行列の二日後、「こないだの夜、貉の坂で面白い屋台を見つけましたんで。ぜひぜひ」と詳しいことは告げずに、御隠居と一緒に屋台を探したのですが、猫の子一匹居やしません。
御隠居は特に怒りもされず
「オイオイ師匠、屋台どころか何も無いよ。狐にでも抓まれたんじゃないか? いや、紀伊国坂なら貉に化かされた、か。大正の御代になって、近頃とんと怪異は聞かないがね」
と笑われました。
「まあ、化かされた慰労だよ。ちょいと一杯やりに行こうじゃないか。美味い鰻を食わせる店がある」
◆
そして鰻が焼き上がるまでの間、座敷で繋ぎのお新香と洋食焼き屋がした貉の謎解きを肴に、旦那と野幇間とという立場は脇に置いて、無礼講で差しつ差されつ銚子を傾けました。
「うむ、見事だね。師匠が惚れ込んだのも無理はない」
と御隠居は満足気に頷きました。
「『Kuwaidan』に注釈として書き加えたいくらいだよ。……まあ、怪異譚としての妙味は失せてしまうだろうが。ヘルン先生には無粋だと叱られそうだが、ドイル卿なら手を叩いて喜びそうだな」
アタシが「そのドイル様と申される御方は?」と伺ってみますと
「大英帝国のお医者さんで、かつ探偵小説家でもある。シャアロック・ホームズという名探偵を生み出したんだ。そのうえ三年前に英国王から騎士に任じられてね、今じゃあ貴族の仲間入りを果たされておられる」
と教えて下さいました。
それから御隠居は、ちょっと悪戯者っぽく微笑まれて
「それじゃあ師匠、一緒に洋食焼き屋の屋台が『居なかった』謎を解いてみようじゃないか。ホームズ探偵みたように、小粋にはいかないかも知れないが」
と腕を組まれました。
「二晩前には『夜な夜なこの辺りに屋台を出している』と言っていたにもかかわらず、だ」
こんな時、みっちりと芸や話芸を磨いたホンモノなら、パッと気の利いたコトが口を衝いて出るものなのでございましょうが、悲しいかなアタシの場合は真似事の素人芸。
「そりゃあ、御隠居」で一旦口籠り「あの夜なら提灯行列の騒ぎに浮かれて、久々に貉も屋台を出してみる気になったに相違ありません……なんちゃって」と誤魔化しました。
我ながら酷い出来だ、と穴があったら入りたくなりましたが、御隠居からは
「ふんふん、悪くないね」
と御評価いただきました。
けれども直後に
「ただし、『なんちゃって』は余計、というより無粋かな。そこは『ありゃあ屋台探偵だと見せかけて、実はホンモノの妖だったに違いありません。くわばら、くわばら』と怖がってみせた方が華がある」
と駄目出しを頂戴いたしました。
先に貉の話を伺った折り、アタシが「くわばら、くわばら」と怯えたのと重ねていらっしゃるのでございますな。
「勉強させていただきました」
と、膝を正して一礼いたしましたところ、御隠居は「あはは、師匠。そんなに畏まらなくていいんだよ」と手で制されまして
「地回りと諍いになって、浅草か横浜あたりへプイっと宿替えした、なんて外連味皆無の興醒めな読み筋より、余程味が良い」
と頷かれました。
その時ちょうど、鰻が焼き上がってまいりまして、御隠居は追加の銚子を頼むと
「さ、さ。膝を崩して、熱いうちに御上がんなさい。蒲焼きには山椒、白焼きには山葵が付き物だけれど、この店では蒲焼きに七味唐辛子、白焼きには生姜か大蒜を添えて出す。殊に大蒜は――初めはどうかと思ったがね――野趣が有って悪くないんだ。騙されたと思って試してごらん」
と薦めてこられました。
「それでは遠慮無しに」と身の厚い結構な鰻に箸を付けますと、香りが邪魔をしない七味は兎も角、白焼きに大蒜は――ピリリとした刺激は悪くないのでございますが――臭いと後味が強い。
鰻に山椒は、鰻の匂いに慣れない客に寄せたものでございますが、それが大蒜ともなると、せっかくの鰻そのものの、そそる匂い全部が持って行かれて、まるで鯛の活け造りを酢味噌で食うような勿体無い気分に成っちまいました。
「あはは、師匠。武悪の面みたいな面になっちまったね」
と御隠居は大笑いされ
「そうだろう、鰻に大蒜は――まるっきり合わないとまでは言わないまでも――初めて口に含んだら妙な心持ちになる。これは常陸あたりの食い方で、それも山葵が手に入らなかった時の代用なんだ。ま、慣れるとこれはこれで悪くないと思えてくるんだ。精も付くし」
そして「その『これじゃない』って心持ちというか気分を、違和感と呼んだりするんだけれども」とお続けになると
「先ほどの師匠の話、実に面白く聞かせてもらったんだが……こう、ちょっとばかり違和感を感ずるところが有ってね」
と真顔になられました。
「洋食焼き屋の件、あれは師匠の創作なんだろぅ?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
さて、ここまでで『データは全部出揃った』というわけでございますな。
御隠居に創作だと見破られた『とんだ手抜かり』を、御考案いただくと致しましょう。
探偵小説で言うところの、読者への挑戦状というヤツでございます。
……え?
簡単に分っちゃった?
さようでございますか。ははは参りました。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
言い当てられて、心底びっくり致しました。
自分では考え抜いた筋であった心算でおりましたから。
今度は両の手を畳に突きまして
「畏れ入りました。御明察の通りでございます」
と平伏いたしました。
「新橋で一銭洋食と幟立てた店を見掛け、なんぞ話のタネにと入ってみて、掛け小屋の親父が洋食焼きを焼いているのを見ている最中に、ふと”のっぺらぼう”を夜道に出す方法を思い付きました次第で」
御隠居は「まあまあ、土下座なんぞ止めて楽になさい。別に怒って問い詰めようというんじゃないんだから」と御赦し下さいまして
「それもこれも、この年寄りを楽しませてくれようという工夫だなんて事は、ちゃあんと分かっているから」
との御言葉。
「師匠が躓ったのは只の一点。それさえ無けりゃあ、不思議屋台の件、ホントウだったかと信じていたね」
と御隠居は猪口を干しました。
「けれども、師匠の企みを見破ったことまで含めて痛快至極。名探偵になった気分だよ。いやぁ実に、愉快愉快」
◆
アタシは慌てて銚子を手に取ると
「どこで”やらかし”ちまったんでございましょうか?」
と御酌いたしました。
「ええと……参考までに、ぜひぜひ御教授いただきたく」
すると御隠居はキュいと一息に盃を干されて、杯洗で濯ぐとニヤリと笑い、アタシに持たせました。
そして「屋台の亭主が火を灯し替えた件りだよ」と御酒を注いで下さいました。
「洋食焼き屋の亭主、師匠は『利発で抜け目の無い出来た男』という設定で創作したのだろうから、洋灯が不具合になったときの用心に予備の灯りを備えていた、というのには無理が無い。そこは自然だ」
そして「師匠、猪口を空けてしまいなさい」とニコリとされましたので、アタシは「へい」とばかりに御酒をいただき、御返杯いたしました。
「一度洋灯の火を吹き消してから、行灯に火を灯した、という手順でございましょうか? その間、屋台が真っ暗闇になっちまうという……?」
「いや違う」と御隠居は御酒をお含みになり
「江戸の昔とは違って、今なら燐寸という文明の利器があるからね。暗いのはホンの一瞬だ。明かりを灯し替えるのに、紙燭や付木に火種を残しておく必要は無い。増してや燧石を叩くなんて言い加えたら、それは時代錯誤そのものだ。だから手順が不味かったわけじゃない」
とおっしゃいました。
「問題なのは、灯し替えた先が行灯だった、という部分さ」
◆
「行灯という物は、掛行灯にしろ八間行灯にしろ、なにせ嵩張る物だ。それに本体だけではなく行灯皿や灯心と云った付随物も用意しておかなくちゃならない。行灯だけで店の明かりを賄う江戸の昔の夜鳴き屋台なら兎も角、頻繁に場所を動かさなくちゃならない屋台では、今の時代に洋灯の予備に行灯を用意しておくのは筋が通らないんだよ。抜け目の無い亭主なら、蛇腹の胴を蓋の中に畳み込める仕舞い寸法の小さな小田原提灯と蝋燭なんかを選ぶだろうさ」
◆
御見逸れいたしました、とアタシが再び平伏したところで洋食焼き屋の件にはケリがつきまして、その後は上機嫌の御隠居あいてに無難に座持ちが叶いました。
さて酒席がお開きになった後、御隠居を御屋敷にお送りしての帰り際、御隠居は心付けをアタシに握らせてから「師匠、今度こそ正直に言ってごらん」と含み笑いをされました。
「ちらりと見せた行灯の瑕疵、実は師匠の”誘いの隙”だったんだろう? この年寄りを無理なく謎解きの正解に導くための、さ。まあ、有頂天にさせてもらったから文句は無いが、それでも御強にかけられたままだとすりゃあ業腹だ。正直に言やぁ怒りはしないから」
ここまで詰められてしまいますと、アタシとしても
「御隠居は、実にホンモノの名探偵であらせられますな。そりゃあもう、ホームズ探偵とやらも裸足で逃げ出すほどの。……よくぞ全ての罠を見破った」
と怪盗めかして不敵に笑うしかありません。
――実は、そこまで深い筋書きを書けていたわけでは、なかったのでございますがね。
けれども”ここ”は、御隠居の読みが優れていたとするほうが、より華がある。
御隠居の買いかぶりです、と否定するのは興醒めでしょう。
「やはりな」と御隠居は真顔で頷かれ
「師匠の才、埋もれたままにしておくには実に惜しい。野幇間稼業からは足を洗って、ちゃんとした噺家に弟子入りしてみる心算は無いかい?」
と身の振り方を案じていただきました。
「新作落語を研究している新進気鋭の噺家がいてね、ナンセンスなだけじゃない、理詰めの落とし噺を考案しているんだが、なかなかオマエさんと相性が良さそうなんだよ」
お断りする道理はございません。
と、申しますか、ここでアタシの一番太い贔屓筋だった御隠居の興を損ねてしまったら、オマンマの食い上げになってしまいます。
「へい。どうぞ御引き回しのほどを」
と最敬礼いたしましたら、御隠居は「よし、善は急げだ。明日にも連れて行こうじゃないか」と決めてしまわれました。
◆
ええ、それから幾星霜、名人上手と呼ばれるには至りませんでしたが、なんとかオマンマの食いっぱぐれが無い生活をさせていただいております。
あの提灯行列の翌日、たまたま新橋で洋食焼きの掛け小屋に入っていなかったら。
また鰻屋の座敷で、白焼きの大蒜添えにありついていなかったら。
今頃どうなっていたことでしょうな。
『縁は異なもの味なもの』なんてことを申しますが、御縁ばかりでなく、その時々の食べ物の”味”もまた忘れがたいものでございます。
Fin