002 化物の長男
昼食を平らげると、三四郎と三四は庭先へ出た。夏の陽は頭上高くから地上を焼き、それを見ながら更に高く肥大してゆく夏雲。三四郎にとって五回目の夏は、今年も全く容赦ない大熱で最高気温を更新し続けていた。
「カレー美味しかった?」
「なかなか美味かった。上達したな!」
自身の料理を褒められ、三四はニンと軽い笑みを作り、御満悦の様子だ。料理上手の母に手解きされながら作ったカレーは、父三一からも好評だった。
「ところで、ジョージが帰って来るのは本当か?」
「うん、もうちょっとで見えると思うよ。あっちの山の方」
そう言いながら三四は南東を指差し、三四郎もその指を追って顔を動かした。
三四は『監視』の能力を持っており、是は他の生命体の精確な位置情報を取得することができる非常に有用な神通力である。更に特筆すべきは、同時に幾つもの個体に対して是を発動でき、またその様子の俯瞰を可能とする点だ。
「今ね、丁度山の真ん中くらいを上がってきてる。あっ、動物用の罠を踏んで痛がってるよ」
能力を活用し、早速長兄の無様を俯瞰する三四。三四郎は助けにいった方がいいのではと提案するが、その間に難を逃れたようで、南東の山に変化が起こった。
山の頂上付近から何やら砂埃が舞い上がり、こちらへ近付いてくる。遠目ながらも恐るべき速度で接近する砂塵。これが本日日本本土をザワつかせた黄砂注意報の原因だと思い至らなんだのは、二人にとっては長兄参上においていつもの景色だからであった。
砂を舞い上げる犯人は、数分の間を取り三四郎達の目の前で急停止した。その際、三四郎は急停止による砂の波状攻撃を正面から受ける形となり(三四は超身長故に被害はなかった)激しく咳き込み始めた。やがて砂が晴れると、一つの化物の姿が現れた。
「元気だったか! 三四郎、三四!」
「ゴォホッ! ゴホッゴホッ!」
「お帰り三兄ちゃん! 久しぶり!」
「三四! また大きくなったか! ガーハーハー!」
悪びれもなく言葉を掛ける化物はピカタ三三、三四郎からジョージと呼ばれるピカタ家の長兄、その人である。
サーファーパンツに便所サンダル、頭部は説明するまでもないが、背の低い長方形で白色だがこけた影が射す。体の方はピカタ家の化物とは思えぬ程生命力に乏しく、枯れ枝のように頼りない腕や脚は、浮き出たアバラも相俟って間違っても健康とは程遠い。
「ジョージ、毎回もう少しどうにかならないか?」
「無理だ! 十六倍の速度だからな! ガーハー!」
三三の言葉通り、化物の神通力『超速』は、人間の身体動作速度をベースとし、その十六倍の速度が発揮される能力だ。この能力は常時発動しており三三本人にも制御する術がなく、三四郎の言では特殊能力ではなく呪いの方が妥当とのこと。尚、喋る際にもこの能力は非情にも発動しており、三四郎が家族として三三を迎えたその年はまともな意思疎通すら不可能だった。今、この化物たちの会話が成立しているのは、ひとえに三三の弛まぬ努力によりその速度を力尽くで抑え整える方法を身に付けたからであった。
「三兄ちゃん、お父さんとお母さんもいるから家入ろ! まだカレーも残ってるし!」
「おぉ! お袋のカレーか! 美味いんだよなぁ」
「今日は私が作ったの!」
「そうか! 三四が作ったのか! きっと美味いんだろう、沢山頂くとするか!」
「あと一杯くらいだよ」
「そうだったか! ガーハーハー!」
上機嫌で家中へ消える二人。三四郎は一人煢然として陰気臭くなっては堪らないと、二人を追って玄関に向かった。
…………………………
「おぉ、ジョージ! 今年は早いではないか」
「親父、久しぶりだな!」
毎年、ピカタ三三は一年に一度だけ大晦日に帰省する。それがこんな早くに帰ってきたものだから、三一は大変喜んだ。毎日の大部分を仕事に充て自室に籠っていたが、それを放り投げてドタドタと居間に出てきた。手にはいつもより、ちょっとだけ値段の張る焼酎の瓶が握られている。
「いや、ちょっと厄介な事が起こるみたいでな」
「『予知』で見たのか?」
「いや、違うんだが…兎も角皆も集まってくれ、報告しておく」
三三のもう一つの能力は『予知』、読者も察しの通り未来予知を指す。これから起こる天変地異、流行病、株価変動など世界の変化・変革の発生時期を秒単位で把握できる。実に面白味のない能力だ。
「なぁに? 改まって。そんなに酷いことなの?」
「酷いかはその時々による。お袋は人間だが、まぁ聞いてくれ。ピカタ家として、恐らく直面することもあるから。三四郎も早く来い、三四はもう座ってるぞ!」
「なんだ、そんな急ぎか」
三三は皆を居間に集めると、再会の祝福もそこそこに、尚早の帰還を余儀なくされた出来事について話し始めた。
…………………………
ピカタ三三もまた、人界を楽しむことを第一に、それでいて自由に行動できることを好んだ。結果、旅と言えばまだ聞こえは良いが言ってしまうとただの放浪である。
生まれてから一年目は、北海道と東北に集中し住民らの文化・生活、季節の移ろい方と四季の美味を堪能した。二年目には関東で季節・時間関係なく忙しく活動する多種多様な人間を観察し、人の妙な時間の使い方を覚えた。三年目は中部・近畿を一気に周り宗教的文化背景や車の製造現場、急激な四季の変化模様を体感。そして近江にて湖ではしゃいでいたところ、三四郎達と出会った。四年目にして中国・四国をしめやかに行脚し、翌年に九州・沖縄で豪遊した。
そして本年、遂に世界の中心アメリカに足を延ばす。アメリカはニューヨークに、三四四一という親戚がいるらしい情報を三四から事前に仕入れていたので、一直線に向かった。
「oh! キミ、じょーじデスネ! さんしーごーカラ聞イテルヨ!」
「そういう君は三四四一だな! さんしーごーは三四郎のことかな?」
「ソウダッタ! さんしーろーダ! 些細ナ事ヨ! HAHAHA!」
「面白い奴だな! ガーハーハー!」
三四四一はニューヨークで能力『模倣』で得た『亜空間操作』を使い、マジシャンとして活動する化物だ。そして、おぉ、何ということだ、頭が直方体ではない! 肉体こそピカタ家特有のバルキー、然しその頭部、なんとなんとまさかの三角柱ではないか! 目も糸屑だが青い、三四四一はアメリカで生まれた日系アメリカ化物なのだ!
「折角ダ、本場ノあめりかんふーどヲ紹介スルヨ! オススメノばーがーしょっぷガアルンダ、日本ジャ味ワエナイわいるどナ味ワイデ極楽ヨ! 奢ルカラネ、着イテキテヨ!」
「そうか! 本場の味か! きっと美味いんだろう、沢山頂くとするか!」
…
…
「成程! ソレデ、じょーじハUSAニ来タンダネ」
「そうなんだ! 日本だけでも全然違うからアメリカなんざ国が違うレベルで何もかもが違うんじゃないかと思ってな!」
「イタズラノ徒歩カラス、ダネ!」
「当たらずも遠からずか?」
「ソウダッタ! 小ッチャイ事ヨ! HAHAHA!」
「確かにアメリカと比べれば蟻みたいなもんだ! ガーハーハー!」
店内は、突然の異形来襲に静まり返っていた。騒がしい音楽が流れているのが幸いし、化物たちは人語少ない違和感に気付くことはなく、目の前のバーガーを食しながら会話を楽しんだ。
二体の化物が訪れたのは"FULL MEAT BURGER"ブルックリン本店。目玉商品はバンズ代わりのポークパティで極厚の和牛パティを挟んだ物で、店長自慢のオリジナルBBQソースは程良いバランスで調合された香辛料とフレッシュな野菜のコクを混ぜ込み、それらを特注のXO醤と南国産の果物から抽出した果汁で纏め上げた、正に逸品と呼んで相応しい"ULTIMATE MEAT BURGER"、頭文字を取り通称「UMB」。化物二体は、これに少し熱を入れたモッツァレラチーズを挟んだ"UCB"(ultimate cheese burger)をナイフとフォークで食していた。
「そっちの方はどうだ? マジシャンをやってると聞いているが」
「oh! 亜空間操作まじっくハ、モウあめりかニトッテ外セナイ"しょー"ダヨネ! オ客サンイッパイ! オ金モタンマリヨ!」
「そうか! こんなンマい飯が食えるんだものな、納得だ」
「…デモネ」
三四四一の手が止まる。突如訪れた空気の変化に、三三も肉を切るナイフを止めた。
「最近、変ナ客多イヨ」
「変な客?」
「ソウ」
「そうか! どんな客だ」
「私達ト、チョット空気ガ似テル」
バーガーと一緒に頼んだ冷たいコーラで口を濯ぐと、碧眼の化物は続けて語る。
「じょーじ、良イたいみんぐデ来テクレタ。今日ハ私ノ"しょー"ガ有ル。見テ貰ッタ方ガ早イ」
…
…
「皆様、相お待たせしました。今世紀最大の…いや、人類史上最"不可思議"! タネや仕掛けなんて全く無い! 今宵も魅せるアンチアインシュタイン! 人の身に余る"超"能力、亜空間の使い手! 三四四一・ピカタの登場です! 拍手を! 皆様、盛大な拍手でお出迎え下さい!」
照明が落とされた暗黒の劇場、鮮やかな赤色の幕が開けると、サーチライトは黒のタキシードに身を包んだ化物の姿を照らす。この時を今か今かと待ちかねていたオーディエンス達は、それを見るや拍手や警笛に似た口笛を吹いて化物を歓迎し、会場のボルテージはショーも始まらぬまま最高潮を迎えようとしていた。
甲高い喝采止まぬうちに、慎ましやかに頭を下げて見せる三四四一。その佇まいは洗練され、纏う静寂の空気はこれより起こる嵐を予期しているかのようで、観客たちは恭しい化物の姿に固唾を飲んで一斉に沈黙し始めた。
「Ladies and Gentlemen. 大変、オ待タセ致シマシタ。オ詫ビト言ッテハ何デスガ、マズハコノ三四四一、古来ヨリ日本ニ伝ワル斬腹ノまじっくヲモッテ、コノ非礼ノ許シヲ頂ケレバト思イマス」
三四四一が演説を始め、第一の魔法に取り掛かる様子を舞台袖から見つめる三三。舞台の前に、「絶対ニ分カルカラ」と言われてはいたが、特にすることもないので事の進行を見守っていた。何の躊躇もなく己の腹部に長剣を深く突き立てる三四四一。その実、刃先が腹部に当たる直前に刃幅分だけの亜空間を展開、そこに剣の身を通し、血の一滴をも流さずその場を遣り抜け、観客の詠嘆だけを見事に搔っ攫う手腕に、三三は「なかなかやるな」と感嘆した。
マジックショーは何事もなく二つ三つと披露され、その度に驚きの叫声と称賛の溜息と興奮のままに狂った拍手の雨が降り注いだ。八方から様々に飛び交う騒々しい音の数々。三三もその熱に浮かされ、そんな気もなかったはずが気が付くと感心に唸っているのであった。紛れもない「楽しい」に心が満ちる三三。自発的ではない、ただ見て与えられる興奮に三三も惜しみない拍手で次のマジックを心待ちにした。
そんな中、三四四一の言った通り、違和感に気付くのは必然だったのであろう。驚嘆に湧く歓声に混ざり、称賛とは別の囃し立てが聞こえる。広い客席のど真ん中、異変を身近に置くことを嫌った複数の観客がそこを避け、鮨詰めの観客席に不自然なサークルが生成されていた。