007 感染拡大4
現内閣総理大臣である石場は、めくるめく母国の諸問題について今日も頭を痛めていた。
加速する少子高齢化、一方通行に言い渡される関税、苦肉の策と国民に課する税金、迫り来る災害、両極端化する経済の揺らぎ。
考え抜いた先にあっても、次の問題は湯水の様に湧いてきた。
日本国旗を背負ったデスクに構え、石場は眉間に皺を寄せままジッと考えていた。
これまでに打ち出した日本国を慮った政策の数々。
問題に対する対応、熟考して先回りした対策…………、賛同と同じか、それ以上の数の批判があった。
時代が移ろうと、時が流れようと、彼の立場にぶつけられる文句は言葉やをは変えただけで歴史の変遷をなぞっているまま、まるで新鮮味がなかった。
が、甘んじて受け入れた。
己の非を認めつつも、動き出した策はその効果の果てを見るまで止められない。
非常事態は常だった。
国民を守るために費やされる時間は、唐突に襲い来る疫病・災害などに引き起こされた混乱の処理作業に横槍を入れられ、そうでなくともちょっかいを出し惜しまぬ諸外国の相手を務め、時折社会に多大な支障を及ぼす愚かな人間への対処に忙殺を余儀なくされた。
然し、そういったものによる被害に苛まれた当事者以外の人間にとって、それはただの小火であり、事実から他所に逸らした目線の先にある隣の芝生は青々と輝いて見えていた。
対岸に登る火を背に、待遇改善・生活指数の向上への熱意は元より、国民の己の悲痛を叫ぶ声は彼に休息を許さなかった。
これをやっては叱咤、あれをやっては叱責、要求、非難、雑言。
ここ十数年におけるSNSの発展の影響もあるのだろうが、今を流れる歴史の経過を辿りその渦中にある者たちの幾つかは、その時その時の一瞬の高下を取り上げ無責任にもその思想を表明し、無思想な国民の無意味な国家批判を冗長させていた。
案はある。
あるにはあるが、どれもが全て膨大な時間を必要とした。
立場・世代・前代首相からの課題・自然環境・世界情勢・価値観の変化等々、ともかく様々なものが複雑に絡み合い、それらの一つ一つに向き合うには時間がどれだけあっても足りなかった。
国民の総てに損害がなく、国内の経済にも好影響を齎し、誰もが、或いはどれもが等しく幸せになると言う輝かしい公約の発信は、諸外国との外交の末に身に着けた面の厚さを以てしても非常に難しかった。
時間だ、ゆっくりと国内全体に浸透するまでの多大な時間が必要だ。
国民からの理解を待つ時間ではない、その状態が当たり前になる時間だ。その在り方が基準となるまでの長い長い時間だ。
政策を打って、何年何十年と掛かって、もしかすると己の命の最後の刻をも超え、効果の芽が出る頃には百年は経っているかもしれない。
それでも少しの一歩、少しの前進が望める。
全員が全員、幸福ではないかもしれない。
或る者は泣き、或る者は血を流しているかもしれない。
それでもその責任を一身に負い、いつか自分の生まれ育った国に大きな利益が生まれた暁には、雲の上のそのまた上で漸く少しは自慢話が出来るはずだ。
改革だ、国の在り方を一撃で変貌させる破壊と再生の物語こそが必要だ。
国民から発せられる意見を聞く時間はない、国全体で統一された再建への気概が全てだ。分散を重ねた意志の再構成こそが不可欠だ。
政策を強行し、国民の意識が高まり、もしかすると己の命の最期の刻は彼らに委ねられていて、変革を遂げた頃には国賊としての烙印を押されているかもしれない。
それでも大きな一歩だ、未来への道が開ける。
全員が幸福なんてことは有り得ないだろう。
或る者は怒り、或る者は暴徒と化しているかもしれない。
それでもその責任を一身に負い、いつか自分の生まれ育った国に新たな誇りが生まれた暁には、地の下のそのまた下で漸くしたり顔が出来るはずだ。
思考を巡らせる石場の目は、清らかに研ぎ澄まされていた。
視線を落とす先である書類は脳に映っておらず、時間・空間・未来・試算・概念………目に映らないものに対して脳への最大を超えた負荷を掛け続けていた。
スっ、と視力の無くなった事に気が付いた。
超高負荷の思考に耽るあまり、石場の脳は無駄な容量を圧迫する視力のシャットダウンを決行していた。
「……ふぅ」
眉間をつまみながら椅子に仰け反った石場は、ここで今日初めての休憩《タイム》を取った。
一時の間、首・肩回りに酷い凝りの発生に気が付いた。
目を閉じたまま肩をグルグルと数回回すと、淀んでいた血流の蘇りがジワリと感じられた。
加えて、後頭部に手を回して首を前へ伸ばすと、背中の中央からググっと引き伸ばされる感覚を堪能した。
さ、まだやる事は山積みだ。国のため、国民のため、己が立場の仕事を遂行せねば。
最後に首を左右へ一回ずつ回すしてから石場は目を開けた。
「こんにちは!」
「え? ……こんにち、え……?」
「皆さん、こちらの方ですよ! わたしたちの政治…? を、えーっと、なんだ。政治をやっている? ……せいじを、やってる…………。えー……、政治を執り行っているないかしゅ、ないきぃか、しゅ、な、な・い・か・く・総理大臣の、えー石場すュそー………石場しゅ、しょー! 首相です!」
「き、君は…?」
「すいません、ちょっと噛んじゃったんで、もう一回いいです?」
…………………………
『内閣総理大臣です!』
『え?』
「え?」
真白から送られて来たメッセージを見て、城下町少年は急いでパソコンを立ち上げた。三一からのPINEメッセージも見たが、反応を返す時間が惜しかった。
真白のメッセージに記載されていた配信サイト、該当題名のライブ配信を開くと、素っ頓狂な声をあげてしまった。
『なんとか成功しました! 内閣総理大臣の下へ、無事、辿り着きました!』
『君、君。なんでこんなところにいるんだい? ここは娯楽施設ではないよ、国のこれからを考えていく大事な場所なんだ。そんなカメラなんて持って、一体何を企んでいるんだい?』
『こんにちは!』
『話の通じないタイプかな? 今までも何人かいたよ、ほんとに厄介だ。それとも話を聞かないタイプなのかな? それもそれで厄介なんだよね。護衛呼ぶから大人しくしててね?』
『護衛さんたちはですね、今みんな大人しくしててくれてますよ』
『??』
『止まって、って言ったらみんな止まってくれました!』
『そんなわけないでしょ。思い込みを現実と取る一番ヤベェタイプじゃないか。まだ若いというのに』
『でもじゃあ、だったらあたしがここまで来れたのも思い込みってこと?』
『いいや、それは紛れもない真実だよ。なぜなら現に君は私の目の前にいるのだからね。だからこそ滅茶苦茶困ってるんだ。内閣総理大臣をこれ以上困らせないでくれ』
画面には、何かしら危機を察知したのか石場内閣総理大臣がスッと席から立つ映像が流れていた。
机を挟んで対面。
内閣総理大臣の顔がわざとドアップにされていた。
『いつもテレビとかで見る時は敬語なのに、ここでは優しいおじさんみたいな喋り方なんですね』
『うん、何せ君はまだ若いし、ともすればフレンドリーな方が説得に応じてくれるかなって。でもいつまでもこの優しさを維持できるわけではないからね。そのカメラ越しに話すのもやめてくれないかな? すごい腹立つんだよね』
『わぁ、これが生の本音……。もっと! もっとそういうのが欲しいです! そっちの方がインタビューももっと面白くなる!』
「あかん、こんなん多分準化物や、こらあかんで」
異常の察知からの結論は早かった。
城下町少年は机に置いていたスマートフォンを素早く手に取ると、ピカタ三四郎への連絡を試みた。
登録されている電話番号にコールするが、珍しい事に出ない。
電波は入っているようだが……。
「何しとんねん三四郎……! ここってあれやろ? 多分、官邸ってとこやろ? そんなとこに乗り込むアホ放っといたらまずいやんけ! 三四郎、出ぇや…!」
城下町少年の焦りを無視するかのように、画面には二人の遣り取りが垂れ流されていた。
『ふぅぅん……、お嬢ちゃん。記者ごっこはそこまでにして、私とちゃんと成立する会話をしてくれないかな? このまま話をしていても私が疲れるだけだよ、不毛だ』
『そうそう、その歯に布着せぬその本音!』
『惜しい、布じゃなくて衣ね』
『いいツッコミ! 総理やるぅ~』
『褒め上手じゃないか、ボケに対応すれば話が成り立つのかな? あー、なんか仕事なんてどうでも良くなってきたな(あれ?)』
『お、それは問題発言じゃないですか総理!?』
『いいよいいよ、私がどれだけ思いを込めて仕事をしていても、来るのは苦情ばかりだからね、もう辛くって(何だ? 私の口が勝手に)』
『どんな苦情が来るんですか?』
『日本を貶める非道とかスケベ親父とか』
『うわ、ひど』
『だよねぇ!? こんなにも国の事を考えて、こんなにも国民の事を考えて、こんなにも身を費やしているというに、メディアは悪い事だけ放映して善行はさらっと流すんだから(ちょ、ちょっと待て、止まれ、私の口! 止まるんだ!)』
『心中お察しします』
『ありがとう。そんな言葉も知っていたんだね、優しい言葉をかけてくれた一般人は君が初めてだよ(い、意識もだんだん…)』
『いえ、いつも日本のことを考えてくれてありがとうございます!』
『くっ……、今ジぃ~ンと来たよ。思わず泣いてしまいそうだった。ありがとう、本当にありがとう………。君に、何か報いないといけないね』
目元を拭う仕草を見せると、石場はいやに澄んだ瞳でもって目の前のカメラを見詰めた。
ドアップのまま映し出される首相の顔は、月面の隆起に似た肌を皮脂にテカらせたままカメラに向かってゆっくりと前進して来ている様だった。
画面越しにも臭いそうな加齢の色が、足音とともに濃くなってきていた。
『総理! ご無事ですかっ!?』
突如の声に画面が部屋の入口へ向くと、スーツ姿の人物が映し出された。
城下町少年には見覚えのある顔、ニュース番組等でよく見た議員の一人だった。
渋くも高価であることが分かるスーツと、滲み出る自信を身に纏った老年。
足腰の不安定な歳に至りつつも、一国のトップが危険に晒されている状況を知るや否や、形振り構わず走って来たのだ。
急いで馳せ参じたために浮かんだ汗は彼の洗練されたイメージからは程遠く、乱れたスーツに傾いたネクタイは彼の泥臭さが表れているようだった。




