002 三四復活2
「真白ちゃん?」
「………」
濃い薄闇の中で、安宅真白の大きな瞳は貴重な温かさを灯していた。
その目は三四郎に少しの安心を与え、そして次に大きな不安を呼び覚ます動きを見せた。
咄嗟に出た三四郎の声に反応したのか、真白の視線は三四郎の両眼を外れると、そのままゆるゆると流れ始めた。
流れ始めた真白の視線は、優し気とも取れる胡乱気な気配を滲ませ、まるで今起床したかのような芯の無さで眼前に現れた壁の胸板を舐めていた。
肉の隆起に沿った視線のその不確かさは、意志の薄弱を匂わせるに十分な不審さであった。
「んあぁ…」
「大丈夫か…? 真し、ろ…」
三四郎の独り言に近い問いかけに数舜空き、真白の視線が再び起き上がった。
数秒、三四郎の視線とがっちりカチ合う。
そして、遅々と閉じ始める瞼の動きに合わせ、真白の顔も同じように……
「真白ちゃん! 目を覚ませ!」
「痛ァアっ!! 何!?」
バチンと響いたのは、三四郎の両手に挟まれた真白の頬だった。
上げた顔が落ちぬよう、さっと手を出した三四郎はその力加減を誤っていたのだ。
炸裂音に適う痛みに両頬を潰され、軽いパニックに目に驚嘆を浮かべた真白。
両側から掛かる圧力に負け、口がぽかっと開き、その端正な作りの顔が台無しになっていた。
「!! うぉぉ! 真白ちゃん! 大丈夫か! 怪我はないか! 大丈夫か! 大丈夫か!?」
「痛い! 痛い! 三四郎さん!?」
三四郎は、真白の両頬を挟んだまま極太の腕を小刻みに揺らして意識の覚醒と安否の確認をするが、体が枝に巻かれ固定されている真白にとってはただの暴力に違いなかった。
あわや首が引っこ抜かれてしまうのではないかと思う程には乱暴だったが、好転の機を感じて小走りにやってきた城下町少年がなんとか三四郎を宥めた。
…………………………
「えっとね、説明すると…」
真白の無事、ひいては彼女の覚醒そのものは大変に喜ばしい事であった。
集まった皆々はそれぞれに胸を撫で下ろし、緩められずにいた緊張の糸に少しの余裕が出来ていた。
とは言え、絡みつく極黒の枝の様子は依然変わりなく、力強く、真白の体をその場に留めていた。
「多分みんな分かってると思いますけど、この黒いのは三四ちゃんで」
「うん」
「私が部屋に入って近付いた時に飛びついてきて」
「おん」
「で、こうなったんです」
「何場面か展開飛んでへんやろか」
真白の説明に一同キョトンとし、城下町少年はもう一度の説明を求めた。
「この黒いのは、三四ちゃん」
「うん」
「で、私が近付いたら飛びついてきた、泣きながらね?」
「おん」
「それで、こうなったの」
「変わってへん、変わってへん」
再度の説明は一度目となんら変わりなく、埒が明かず途方に暮れた。
「ほな、もうそうなった事はそうなった事で置いといてやな、なんで気絶しとったん? …怪我とかは」
「怪我はないよ、ちょっと締め付けが強いかな、くらい。気絶……はしてないかな、あのね、三四ちゃんの体温かくて、私も動けないしやる事もないし、三四ちゃんのお母さんは驚いて部屋から飛び出してっちゃうし……そしたら、ね? そのままウトウトして寝ちゃってただけ」
「お袋……」
「あら? ……あら?」
三四郎に見咎められ、バツが悪そうに頬に手を当てるミ一。精一杯の言い分はその全てが「あら」で構成されていた。
「はぁー、心配したわぁ」
「おぉ、真白ちゃんに大事なくて本当に良かった」
「皆さん、御心配かけました…」
その場にドスンと座り込む城下町少年。
緊急事態の緊急度が薄れ、時間を急ぐ必要がなくなった。
何が起こるか分からない状況に、少しの明かりが見えた気がした。
「とは言っても……やっぱりこの状況は私的にも早く何とかしたいっていうのも本音で」
「そうやんなぁ、ほんでも害はないんやろ?」
「ないんだけどね、そうなんだけどね?」
「おん?」
「ね? 例えば、ほら、ね、トイレとか、ね?」
「あ、そ、そっか」
「それに、こんな状態で抱きしめられてる?所為か、三四ちゃんのこうなっちゃった理由とか、思いが流れ込んでくるんだけどそれがしょうもなぁあだだだだだだだだ!」
キチキチと締め付ける音が聞こえて来たかと思いきや、真白が慌てて苦痛を口にした。
『しょうもない』という言葉に三四が反応したのだ。
「ゴメンゴメン三四ちゃん! もう言わない! もう言わないから、しょうもなくないからっ!」
ホールドが緩まり、木が大きく揺らぐ。
そこから強く締め付ける事はなかったが、ズルズルと音も無く擦る動きは、抱きしめられたいがために胸へ潜り込もうとする小動物か赤子の様に見えた。
「…………ね?」
「"ね"、やないけども」
「三四郎の兄さん、ちょっと」
「あん? なんだ」
「三四のお嬢ちゃんの事でやんすが…」
一連の茶番を眺めるに任せ、肉の強張りをなくした三四郎にスッと近寄った伊吹。鼻から下を隠す黒布をもごもごと動かし、そのまま三四郎に喋りかけた。
「あっしの能力、『因子断ち』はその名の通り、『化物因子』の流れを断ち切る事ができるでやんす」
「知ってる、それがどうした?」
「そのおまけ、と言いやしょうか。因子を断つため、あっしは遮二無二に竹竿を振り下ろしてないでやんす。断つためには、確かに、因子を認めないとダメでやんす」
「? だからそれがどうした」
「あっしは、『化物因子』の流れを少しだけ見る事が出来るでやんす」
「……?」
要領を得ない会話に三四郎の頭には「ハテナ」が広がり、会話の内容に考えを巡らそうにも一度解れた緊張から思考の回転はそう速くならなかった。
「能力と言えないレベルでやんすが、あっしはこれで三四のお嬢ちゃんを改めて見てやした」
「……」
「三四郎の兄さんみたいな純正の化物は、『化物因子』の流れが濃くて、そのうえで体全体を構成し、視覚的に表現するんであれば真っ黒が体の形を構成してるでやんす。あっしらみたいな準化物は、『化物因子』が薄く、それでいて体中、手足に至るまでに点滅するように存在しているでやんす」
「三四は?」
「三四のお嬢ちゃんは、混血…? 強いて言えば、あっしら準化物に似てるでやんすが、煙草の煙が広がる様な充満の仕方をしてるでやんす。が、問題はそこでないでやんす」
頭から「ハテナ」の消えない三四郎は、静かに次の言葉を待った。
城下町少年をはじめとした他の面々も同様だった。
暗く、狭い部屋で、静かさが再度姿を現し始めていた。
「何故か、三四のお嬢ちゃんの一部……。あれは顔? でやんすかね、右目あたり……。煙が薄いでやんす」
「右目…? あっ…」
伊吹の言葉に真白の心当たりがあった。
過去に三四がグパック教員にあげた、右目だ。
「薄い所に辻褄を合わせようと煙が渦巻いて、『化物因子』の流れがかなり不安定な状態でやんす。『化物因子』は化物そのものを構成する重要な要素でやんすから、それが不安定という事は、話に聞いたここ最近の情緒の不安定はこれに起因するんじゃないかと」
「右目…? なんか最近そんな話があったような」
「三四郎さん! グパック先生にあげた右目ですよ! 前話しましたよね!?」
「え?! あれが影響してんのか?」
三四郎は驚嘆し、バッと三四を振り返った。
振り返った先は相変わらず、真白を抱いた立体感の無い黒色の樹木が聳えているだけであった。
「じゃあ、三四の右目をグパックから返してもらったら」
「もしかしたら状況は改善するかもしれないでやんす。少なくとも薄い所は補完される、と思うでやんす」
「でも、試すとしてもグパック先生をここに呼んでこないとダメですよね…」
「いや、グパックは」
『いるぞぉぉおおおおおお!!!』
どこからか絶叫に近い応答が聞こえて来た。
ここではない、まるで別の次元から聞こえてくるような遠い遠い仄かな大声。
ガツン、ガツンと、何かに当たる音もする。
いやに硬質で、低音の混ざる生々しい打突音。
『俺は林檎を額で割る男!』
近付いてきている。
『林檎以外、我が道塞ぐ壁にも成らぬ!!』
意味不明の言葉とともに。
『林檎こそが最硬! 林檎こそが行止まり!! 林檎こそが物事の最終地点、最後の砦! 壁! 打ち破るべき尊い強敵!!』
「こ、この意味不明な見栄は…」
「先程の、おじ様…?」
三四郎の右側方向、丁度顔あたりの高さの空間に亀裂が生まれ始めている。
亀裂の伸びるに従い、ガツンガツンと音も大きく鳴る。
時々、厳つい拍子に合わせて赤い飛沫も舞った。
『俺はそんな林檎すら額で割る男!!!』
やがて、その様子を呆けながら眺めていた三四郎にゾワリとした既視感が登って来た。
破られそうな亜空間と現実世界の壁。
なぜ、こうも厄介な連中ばかり現れるのだろうか。
思わず後ずさるも、波は既にその脅威を現わしていた。
最後の一際大きな音は、厚い硝子の破砕の声にも似ていて…。
「林檎を額で割る男だぁッ!!!」
「」
三四郎の顔面に着弾した頭突きは、今までのそれよりも明らかにキレていた。
ミサイルかロケットの様な勢いに巻かれる三四の部屋。
声も無く吹き飛んでいく三四郎に、重さを預けたままのグパック教員。
一体と一人、部屋の端までは瞬き分の時間も必要なかった。
「ヌハァー! 俺は勝った! 俺に勝った!!」
木造が災いし、三四郎の巨躯に負けじと大きく拉げた壁。
煙を上げる埃と共に立ち上がったグパック教員の顔には、出所不明の自信が漲っていた。
真っすぐな瞳の上、額には大きな赤い潤いが滾々湧き出しており、溢れた水はツタツタと顎先に向かって流れ落ちていた。
「遂に化物の技を破った! もう俺を防ぐ手立ては無いに等しい、今なら何でも出来る気がすンヌゥ!?」
はしゃいでいたグパック教員の目に、巨大な樹木が映った。
それを黒色と表すには、あまりにも言葉の力が足りなかった。
深く、光をも受け付けない、立体感の無い暗闇が天井にまでその枝葉を広げていた。
「なんだこれは、これもまた化物の仕業か!? しかも我が生徒が、未来ある宝の象徴がその自由を奪われている!! ここに教師は俺ただ一人! 俺だ! 俺が救う他ない! もう救うしかないぞッ!!」
今まさに走り出さんと前傾になりかけた前に、城下町少年が急いで小さな身を滑らせた。
「ま、待った! 待った! グパック先生、ちょっと待った!」
「なんだ彦根城下町君! ………なんだ彦根城下町君じゃないか。こんな所でどうした? 俺を防ぐ手立てはないんだぞ? なぜ俺の前に出て来た?」
「クダ巻いとる場合ちゃうわ! はよ三四ちゃんの目ぇ出しぃ!」
「ん? 話が読めないな、会話が苦手なのかな? いいか、会話というのは」
「オッケー馬鹿、端から話したるわ!」




