010 準化物の鎮静化5
「ンオーッホッホッホ! 伊吹も大分お世辞がうまくなりましたわね!」
「へい」
疲労の見える顔で伊吹が答えた。
我儘なお嬢様に振り回された結果なのは、態々言うまでもない。
陽の落ちかかった長大な道路の歩道に、虎姫の大きな笑い声が響き渡っていた。
「段々と従者らしくなってきて喜ばしい事ですわ」
「本当でやんすか? こんな事で?」
「本当ですわよ、主人を喜ばす事も立派なお仕事ですわ!」
左手を腰に当て、右手を口元近くに腕ごと持っていく。
こういったポーズ、分かるだろうか。
漫画等の表現で見られる、お嬢様が高笑いをする際によく使用する恭しい所作の一つ。基本的に、虎姫は笑う際にこの姿勢を取る。
そして今、またもやその姿勢を取りお嬢様虎姫は高笑いを煌びやかに打ち出そうと大きく息を吸い始めていた。
「主人冥利に尽きますわ! ンオー…」
「おう! 虎姫!」
「オ゛!?」
笑い声を上げるその手前、虎姫の眼前に亜空間が展開され三四郎がぬっと顔を突き出していた。
あまりにも突然の事態に、虎姫はお嬢様とは思えない濁音の滲む声を上げてしまい瞬間的に体ごと顔を後方へと逸らした。
「な、な、何ですの! 驚きましたわ!」
「おー、すまんすまん」
「三四郎の兄さん、何の用でやんすか?」
虎姫と違い、大きく驚く事のなかった伊吹は頭部のみを現した三四郎に声を掛けた。
「ちょっと試して貰いたい事があってな、すまない協力してくれ」
「?」
「ちょっと! 私を置いて話を進めないでくださる?!」
虎姫がわぁわぁと騒ぎ立てる傍ら、亜空間はその口を徐々に広げ続け三四郎の屈強な身体全体が露となった。
十分に広がった亜空間から三四郎がのそりと歩み出て来ると、亜空間にはまだ誰かが入っていた様で三四郎の後を追って二つの人影が出てきた。
「城下町の少年、それから…」
「む、俺か? 俺はGeorge Pitman - "Apple Crusher"、皆からは尊敬と親しみを込めてグパックと呼ばれている。特技は林檎を額で割る事、好きな事は林檎を額で割る事だ。林檎を額で割る事を日課としている、初めましてだな」
「あ、準化物でやんすね」
三四郎らと共に出てきた中年の意味不明且つ支離滅裂なる言を聞くや否やその正体を看破すると、伊吹は何となくではあったが彼らが自分たちを訪ねて来た理由を察した。
グパック教員の自己紹介に伊吹と虎姫も軽く自己紹介を返し、それから改めて三四郎に顔を向けた。
「伊吹。話をすっ飛ばして悪いんだが、こいつ斬ってくれないか?」
「何となくでやんすが、そう言われると思ったでやんす。良いでやんすよ」
「俺は良くないぞ? いきなりなんて物騒な事を言い始めるんだ」
「グパック先生、ちょっと黙ってくれやらんか?」
「いいや、黙らんぞ」
三四郎と城下町少年の目的は、グパック教員の準化物化を解く事である。
元はと言えば、城下町少年の実妹・彦根りんご少女がグパック教員に絡まれたのが事の発端であった。
襲い掛かって来るグパック教員の攻撃を躱し、制圧したりんご少女は実兄・城下町少年に「何とかしてくれ」と声を掛け、城下町少年が案を模索した結果『因子断ち』の能力を有する白王伊吹を当たる事になったのだ。
伊吹の『因子断ち』は化物・準化物の体内に潜在する『化物因子』を一時的に不能状態にする能力であり、先刻には大君ケ畑に対してその効力を遺憾なく発揮している。化物に振るえばその生命活動に決定打を与える事が出来る強力な能力であるが、準化物に対して振るう場合は発現した異常行動や異能力の完全封殺が出来る対化物戦における重要な切り札だ。
この伊吹の能力を以てしてグパック教員を斬ってしまえば、暫くの間は大人しくなる。そういった算段を打っていた城下町少年であったが、ここに来てグパック教員から反抗の意思が見え始めた。
実は、城下町少年と三四郎は事ここに至るまでに、グパック教員へ伊吹の能力であるとか、準化物であるとか、その辺りの説明を何一つとしていなかったのだ。それどころか何のためにグパック教員を連れ回しているのかさえも明かしていなかったために、この状況になるのは誠至極当然の事であった。グパック教員のみならず初対面の相手に突拍子も無く『斬る』と言われ、即同意の声を上げる者はあまりにも少数派であろう。
「『斬る』とは何だ? この日本と言う法治国家において殺人すら視野に入るような殺傷行為の一つである『斬る』を提案し、受け入れ、『斬る』相手である俺の意思を無視して話を淡々と進めるとは何事だ? 俺は教員だぞ、未来ある少年少女達を教え導く善導を旨とする指導者がそんな違法行為、犯罪を見逃せるはずもない。しかもその行為がまさか、今、この俺に向けられている。有るまじき事だ、そんな事、許されない。俺は俺の全身全霊を以てムガムガ」
「やかましいから早よ斬ってぇなぁ」
興奮して口数の多くなったグパック教員の背後に回っていた城下町少年。小柄であることが災いして少しばかり背伸びの状態になってしまったが、自身の両手を回しグパック教員の口を抑える事で話を強引に進めようと努めた。
然し、此度のグパック教員はいつもと違った様で、口元に絡みつく城下町少年の両手を直ぐ様払いのけると、くるりと振り返り城下町少年の両肩へとがっしり組み付いた。
「なっ…」
「彦根城下町君、ふざけている場合ではない。状況をよく見て、考え、それから行動するんだ。この伊吹とかいう奴はそこの化物と共謀し俺を殺傷せしめんと、何処に隠していたかも分からん謎の長物を手に持って今にも襲い掛からんと猛禽類の如き眼光を俺に向けている。あの得物が仮に鋭利な刃の付いた長物であれば、最悪、俺は死んでしまうかもしれない。そう、犯罪が今ここで起ころうとしている! そんな最中、君は俺の口を封じ、剰えその犯罪行為を手助けするかのような恐ろしい行動を犯したんだ。もう一度言う、よく見て、考え、それから行動してくれ。俺との約束だ」
一息に捲し立てると、グパック教員は再度くるりと背後へ姿勢を戻し伊吹を睨みつけた。
一方で城下町少年は、いつもの調子と全く違うグパック教員の真剣な眼差しと剣幕に体を凍らせてしまい、何かを言い返そうにも口は虚しくカチャカチャと空回りするだけであった。更に真摯な態度を見せるグパック教員に対し何となく悪い事をしている様な、そんな気持ちを起こしてしまっていた。
「伊吹さん、だったかな。君は人を斬るという事がどういう事なのか、考えた事はないのかね?」
「? ……もしかして、三四郎の兄さん達から何も聞いてないでやんすか?」
「質問に質問で返すのはマナー違反だ。聞くも聞かぬも、問題は人を斬る事を当然とするその精神の在り方だ。そのような悪逆非道を通す神経、俺には到底理解出来ん」
「伊吹、何か厄介なおじ様ですわよ。用件はなんであれ、準化物なんですからさっさと斬り捨ててしまいなさい」
「そこのお嬢さん……まるで、まだ収穫には適さない様な青く瑞々しい林檎の様なそこのお嬢さん。君もか、君も人を斬るというその意味を簡単に捉えてしまっているのか。嘆かわしい。日本の教育は一体どうなっているんだ。ここは世界でも安全のワードとその実績で取り沙汰される清廉で素晴らしい国ではなかったのか。くそっ、どういう事だ。仕方ない、こうなっては仕方ない。さっきは正に林檎そのものと言える様な少女と一発ヤったが、お前達ともやらねばならないらしいな」
「言い方ァ!」
「い、伊吹…この犯罪者を因子とか関係なく斬り裂いてしまいなさい!」
グパック教員が繰り出した一つの文脈に対して、それまで固まっていた城下町少年と、伊吹に指示を出していた虎姫がそれぞれの反応を見せた。その二人とは正反対に、騒ぎの渦中である伊吹と蚊帳の外である三四郎は事態の急速な変化に置き去りにされ目を白黒とさせながらその場に立ち尽くす他なかった。
「いいか? もう時間も遅いが今から指導の時間だ。お前たちに教えてやる、間違いとは何か、正解とは何か。そして、未来とは何なのか。徹底的な指導が必要だ。お前たちがもう二度と過ちを犯さぬよう、過去の過ちを悔い今後を更生に尽くせるような本来社会共同生活を重んじる人間の在るべき正しい気概を持てるようにその頭を砕いて再構成させてやる、そう……お前たちはこれからこうなる! この林檎のように!」
いつもの意味を為さない台詞を最後に吐くと、グパック教員はスーツの懐に右手を突っ込み刹那の時間さえも感じさせない恐るべき速度で林檎を掴み取り伊吹の眼前へと突き出した。
恐るべきは、伊吹の反射神経であった。
普段、虎姫の従者として彼女の生活を支え、その傍ら用心棒としての教育を受け鍛錬を怠らずその身体能力を人ならざる領域まで押し上げた怪傑。
その練り上げられた武力を何時如何なる時でも発揮できるよう、相手の動きを見てから先手を取る……後の先の極意、意味合いは違えどそれすらも伊吹は習得していた。
懐に手を突っ込む、その意味を伊吹は考えずとも伊吹の脳は「武器を取る行為」として認識し、指令を出した。
よもや人ではない反応速度であった。
グパック教員に対して振るわれた竿竹は、筒袋から引き抜かれ様に袈裟懸けの軌道をなぞっていた。
「!」
初めに違和感に気付いたのは、グパック教員だった。
突き出したと同時に右の手の内に衝撃が訪れた。
一体何が起きたのか、何かをされたのか。
兎にも角にも衝撃と破裂音があった。
伊吹の体勢が低く変わっている。
手には竿竹が握られている。
筒袋が空に流れている。
右手が濡れている。
斬られたのか。
俺は無事。
林檎は
「…!」
何が起こったのか、その確認のためグパック教員は突き出した右掌を自身の目に映るよう戻した。
伊吹に突き出した林檎が既に無い事は、右手が掴む空の感触で分かっていた。
「え、武器でなかったでやんすか…?」
斬った、と言うよりも打ったという感触に伊吹も違和感を覚えていた。
自慢の竿竹の先端は何かしら水分を含んだ物を爆散せしめたと思われる爽やかに薫る土産で濡れていた。
伊吹の質問にもならない疑問に対してグパック教員は答えることなく己が掌を見詰めていた。
グパック教員が見つめる掌には、一瞬前までは一丸であった林檎の極細かな破片が付着し、手洗い後かと見間違える程の多量の果汁で濡れそぼっていた。
それから何が起こったか順々に把握していった一同の間に、得も言われぬ気まずい空気と、林檎の青々とした薫りが爽やかに流れ始め、誰もなかなか動き始める事が出来なかった。




