008 準化物の鎮静化3
「ここはどうだ?」
「おわっ! なんだ三四郎!」
『魔女のコーヒー屋さん』に、突如として白い直方体の頭部が現れた。
ドアが開く音、入店の際に立つ足音、挨拶……そういった様々な予兆は一切無かった。
ホフマンこと大君ケ畑と、三三が挟んで座っているテーブルの少し上、そこに謎の歪みが発生し、筋骨逞しい化物の顔が覗いたのだ。
「ここもおらんか?」
「おう、いない様だな」
「城下町もいるじゃねえか、何だ何だ?」
次に空間の歪みから顔を出したのは城下町少年であった。
何かしらの用事の為に、三四郎の亜空間を利用して、ここ『魔女のコーヒー屋さん』に文字通り顔を出しに来たと思われる。
両者とも中空の歪みから仲良く並んで顔だけ覗かせている絵面は、何処かしら小動物的な可愛げも感じられないでない。
他に客もいない、静けさにある店内が次から次へと現れる珍妙な顔ぶれに埋められていく。
店主である稲枝にとっては不本意この上ない事であったが、『魔女のコーヒー屋さん』では珍しくもない、至って茶飯事の光景であった。
「なんや、ホフマンもおるやんけ。何やしょぼくれて、どないした?」
「ふふ、去勢された猫の気持ちを今、身を以て噛み締めているのでござるよ…w」
「?」
大君ケ畑の回答に分かりやすくハテナを浮かべる城下町であったが、大君ケ畑にいつもの黄色いオーラが纏っていない事に気が付くと、得心したように隣の三四郎に口を開いた。
「三四郎、今はおらんけど、さっきまでおったんちゃうか?」
「ぽいな」
「なぁジョージ、さっきまで虎姫と伊吹おったか?」
「おぉ、居たは居たが…」
三三は、城下町少年と三四郎がギチギチと亜空間から顔を出すその窮屈そうな状態を見て一言だけ添えた。
「とりあえず、こっちに出てきたらどうだ?」
――――――――――
『魔女のコーヒー屋さん』店内、静かな空気に小さく流れるミドルテンポのBGM、悠々たる雰囲気ながら豊かな音階に富んでいる。微かにも聞こえぬシーリングファンの音も、店内の心地良い閑静さに色を燈しており実に安穏という言葉の意味を感じられる。
そんな穏やかな情調に包まれる店内に幾つか配置された丸テーブル……その一つに五つの人影があった。
元から入店していたピカタ三三、大君ケ畑豊満。何かしらの用事で急遽現れた城下町少年とピカタ三四郎。それから、草臥れが見え始めた渋いスーツを着たグパック教員の姿。
三三に促されて亜空間から出てきたのは、城下町少年と三四郎のみではなかった。
「成程。で、伊吹の能力でバカの行動力を大人しくさせたいわけだな」
「バカとは俺の事か? 俺はバカではない。俺は林檎を額で割る事に全力を尽くす男だ。そういう意味ではバカかもしれない。そういう意味で言ったのか?」
「違ーぞバカ。ともあれ、確かにさっきまで伊吹は虎姫の嬢ちゃんと一緒に、ここに居た」
「ほんでホフマン斬ってったんやな」
城下町少年は目的を三三に話し、虎姫と伊吹の行方について尋ねた。
然しタイミングが遅れ入れ違いになってしまっていた様で、三三も彼女らの連絡先を聞いていなかったために現在の居所が掴めない状況であった。
「でもさっき出ていったんだろう? まだ近くにはいそうだ」
「つい十分程前だから……、そうだな、その時間内で移動できる範囲を隈なく探せば当たるんじゃないか?」
「三四郎の亜空間でローラーか。出来ひん事もなさそうやけんど、めんどくさそうやな。これからどこ行くとか聞いてへん?」
「うーん、聞いてないな。陽も落ちかけてきたし、確かホテル暮らししてるとは言ってたから戻ったのかもな」
「ホテルか」
三三からホテル暮らしの情報を聞くと、城下町少年はスマートフォンを取り出し近場のホテルを検索し始めた。
ビジネスホテルをはじめステーションホテル、シティーホテルに旅館…。長年住んでいる地域だが、意外とこうした施設の数があることに初めて知り至った城下町少年は、心中に多少の感動を覚えたものの直ぐに頭を抱え始めた。
「三四郎、ここらのホテル結構あんにゃけど全部方角バラバラやわ」
「どのくらいあるんだ? 位置関係は?」
「ちょっと見てみてーな」
「……おぉ、見事にバラバラだな。然も数も思ったより……、え! こんなとこにもあるのか、へぇ~。ここ面白そうだな」
城下町少年はスマートフォンの画面を差し出し、それを確認する三四郎。城下町少年と同じく数と種類の豊富さに興味をそそられた様だ。
城下町少年らが暮らす地域の周辺宿泊施設、その数約二十。
検索に引っ掛からない小規模な旅館を合わせるともう少し数は増えそうだ。
探せなくはない、然し『魔女のコーヒー屋さん』から各ホテルに至るまでのルートは幾本も存在するために一仕事だ。寄り道などをしていると考えるとキリがない。
「言っといてなんだが、ホテルに行くとも限らないからな。急いでるならとりあえず移動十分圏内のデカい道だけでも探してみたらどうだ?」
「急ぎっちゃ急ぎだが、どうする城下町」
「グパック先生連れて来てもーてるで、何もせんのも気持ち悪い。探す」
三三の提案と三四郎の質問にはっきりと回答した城下町少年。以前のウジウジとした態度は影を潜め、リーダーシップの片鱗が見え始めている。三四郎と出会って以来、多少攻撃的な部分も垣間見えるものの精神的成長は確かであり且つ順調の様だ。
城下町少年の回答を聞き、三四郎と三三も加わりこれから浚っていく道のピックアップに入る。
テーブルの中央に城下町少年がスマホを置き、地図を開き、大筋を決めていく。
メイン通りに沿い、効率的に数を当たれるよう小道を選択していく。
時折グパック教員から「林檎を額で割る、この情熱を化物の能力如きで払えるわけがない」「鎮静化などやってみた所で意味のない事だ」「今から林檎を割るよ」などの横槍が入るものの、城下町少年らは之を全て無視。構って貰えず発言の全てが空振るグパック教員は、身振り手振りを大きくするなどして対抗するが之も空を切る。然し暴れ始めに至る事は無く存外大人しい。
大君ケ畑は会話には参加せず、やるせない表情で柔らかに瞼を閉じ、黙して動く事もなかった。
カウンターで舟を漕ぎ始めている稲枝を他所に、あれやこれやと十分程かけて話し合いが行われた。
主にこの地域に明るい城下町少年が主導となり、テキパキとルート選択が行われていく。選択の都度、三四郎に順番と位置を説明。
城下町少年程ではないものの、暇があれば外を探索していた三三も積極的に案を出し、その幾つかが採用された。
やがて「よし」と誰かが声を上げた。
それが合図となり、城下町少年と三四郎はグパック教員を引き連れ亜空間へと戻って行った。
「騒がしい、楽しい奴らだ。なぁ、ホフマン」
「ふふ、拙者は去勢された猫。騒がしいも楽しいも、今は何もないでござる…w 何を感じる事も出来ない虚ろの洞に在るでござるよ…w」
「う~ん、変になってるな。気付けが必要と見た! よし、店長さん! コーヒーを一杯追加だ! 一番キッツいの頼むぞ! 去勢された猫も一撃でくる奴だ! ガーハーハー!」
三三の発言に微睡から引きずり出され、「ぅあ?」と顔を上げる稲枝。すっかり腕の中に顔を預け寝てしまっていた様だったが、三三からのコーヒーの追加注文は朧気にも理解が出来た様子だ。
完全に開き切らない眼のままのそりとカウンターから離れ、何となくでコーヒーを淹れにかかるその姿は不安以外の何物でもない感情を湧き起こさせるものであった。
「品の無い事極まりない発言は避けるのが吉ですぞ~w」
「言葉の綾だ、言葉の綾! ……ホフマン死ぬなよ」
「ホフマン死すとも自由は死なず…w 空中遊泳の旅は人類の、近い未来の、夢と自由の形ですぞ……w」
「意味わからん! ガーハーハー! ガーハーハー!」
二人と一体が残された『魔女のコーヒー屋さん』には、稲枝が食器を準備する音と新規に導入したというサイフォンからの心地良い音が流れ始めた。覚醒の不十分な状態での火の扱いに十全の注意も払えないであろうに、何故それを選択したのか…。
一方で三三は文字通り口を大にし、暫くの間、場違いで大きな笑い声を響き渡らせていた。
――――――――――
所違い、とある山奥。
人気の一切感じられぬ寂れた廃村。
茅葺屋根が特徴的な家屋が点在するその村に、安宅真白は今日もその可憐な足を踏み入れていた。
今日だけではない。真白は平日祝日を問わず、暇が出来ればここに通う事にしていた。
こんな寂しい場所に彼女が足繁く通う理由とは、友人ピカタ三四の見舞い、それだけであった。
大君ケ畑準化物化以降、部屋に引き籠ってしまい学校にも現れず、また家族にも顔を見せていない。そんな彼女を案じ、何かの手助けになればと清い少女は行動を起こしていたのだ。
「お邪魔します」
「真白ちゃん、今日も来てくれたの?」
「はい、そろそろ学校に来てくれないと私も寂しくて」
「いつもありがとうね」
「三四ちゃん、まだ部屋ですか?」
「うん…、まだ立ち直れないみたい」
ハキハキとした真白の喋り方に対して、間延びするゆったりとした対応。
ピカタ家の母にして、食卓から掃除まで家事全般を預かるミ一である。
玄関口で真白を迎えたミ一は、三四の友人である彼女の心遣いに感謝の念を抱きながらも複雑そうな表情で居た。
自身の娘である三四をなかなか元気づけてやる事が出来ないでいて、無論決して何もしていない事はなかったが、友人とは言え家族外の小さな少女に手助けを得ている状況に自信の不甲斐無さと遣る瀬無さを感じているのだ。
利口な真白は、ミ一のそんな心中に気付いていた。
失礼の無い様にフォローの言葉をかけ、出過ぎない様に言葉を選び、傷心したミ一を気遣いながら階段を上がり目的の三四の居る部屋の前まで一緒にやって来た。
「三四ちゃん、どう? 大丈夫?」
薄い扉越しに呼びかけるが応答はなく、衣擦れの音も聞こえない。
三四が引き籠ってからずっとそうだった。
ミ一であれ、真白であれ、誰がしかが廊下からかける言葉に対して帰って来るのは、まるで生命活動を止めてしまったかの様な苛烈な静寂であった。
「……お母さん、中に入って見てもいいですか?」
「え…? えぇ。……三四ちゃん、入るわよ? いい?」
返事は相変わらず静寂であった。
ミ一からの許可を受け、真白は引手へ手を掛けると、ゆっくりと、中に居る三四を気遣う様に襖を開けた。




