006 準化物の鎮静化1
広大な湖、城下町少年らの住む県が誇る日本一の貯水量を有する湖である。
この湖は北に行くほど透明度が有り、南に行くほど汚染が酷くなっていく。それは湖に流入する幾線もの河川に対して出口の河川が南に一本しかない事が理由である。
そう、詰まりはボトルネックの環境が作り出されており、出口の河川よりも北側からは常に新鮮な水が供給され皆出口に向かって流れていくのであるが、出口の河川入口付近、ここで大渋滞が発生し流されてきた土砂やゴミが堆積する。
そのため、北側はある一定以上の透明度を持つ水質が保存されている状態であり、対して南は濁りに染まり時折風に乗ってやってくる臭いも酷い。この様に、北と南でこの湖の見た目に臭い、質にしても大きな格差が発生してしまっているのだ。
さて、城下町少年らの住む地域はどのあたりか。
何とも言い難い、汚染は酷くないものの水の透明度もそこまで良くない、湖の中央から少し北側にかけた地域である。
因みに中央と言っても湖の中ではなく、湖の東側湖岸沿いである。説明する事でもないとは思うがこの湖には複数の島も存在し、またその中には住民らが生活を送る島もあるので知らない方の為にも念には念を……。
そんな城下町少年らの住む町の湖岸沿い。
何やら酷く丸い人影と、枯れ枝の様な貧弱な体を晒す人影、仲良く歩いている。いや、前者は少し浮いている様にも見える。
我々が知る人類に人体のみでの浮遊、或いは飛行に関する能力は付与されていないはずである。もしも現実にそんな事が出来るとすればそれは人外の能力であり、少なくとも我々人類に対する友好度合いを測り、敵対の意思がない事の確認を第一優先とする超危険生物、その一端に席を設けられるレベルの危惧すべき存在である。
と、少し大袈裟に説明を挟んだがどうか安心されたし。
この危険生物、名を大君ケ畑豊満と言い、また渾名を「ホフマン」と言う。
この少年、その正体は先日不幸な事故により準化物となってしまった城下町少年の友人である。所謂オタク趣味を持っており、実際それはそれはそう言われて直ぐに想像出来るような正道を歩むオタクであり、少々喋り方に癖はあるものの根は悪くなく笑い上戸……と言って良いのかとりあえずずっと笑っている(様に見える)。
ただ、中身はこの際どうでも良いとしても、その見てくれである。
酷い肥満体型だ。
正面では腹と胸が垂れ下がり、背面でも小さな胸が形成される程には彼の体は脂肪で分厚い。パンツの上に腹の肉が乗っかる現象が膝の皿上でも見られる。首と顎、それから肩の融合、手なんぞクリームパン顔負けの造形である。
良い見方をすれば、関節等の人体の弱点が全て脂肪によりカバーされているとも言える。ある種、防御は一級品な気もしてくるが、歩く走る等の運動機能が一切失われていてもそれは皆納得出来得る、そんな体形だ。
そして何とこの肥満児、恐るべき事に飛べるのである!
浮いている様に見えていたのではない、本当に浮いていたのだ!
然もよりにもよって『屁』で、加えて黄色のオーラ付き!
見た目にも気分にも悪く、環境破壊に加担していると非難を受けても何ら反論の出来ない飛行能力を持ち合わせているのだ!
大君ケ畑は準化物になった折、衣服の着用を犠牲に放屁による飛行という人外の能力を手にしたのだ。……そう、詰まり彼は準化物になって以来、一糸纏わぬ全裸。何故かは本人にも知るところではない。
そしてこの能力を得たのを良い事に、大君ケ畑は事在る毎に屁をこき中空に飛び立つ様になった。
その大半が「飛行が楽しいから」という理由であったが、最近では「歩くのは疲れる」「動くくらいなら屁をこいた方が動ける」と言った理由が大きな割合を占める様になってきていた。この性根こそが彼の体を肥満たらしめる所以なのであろう。
一方で肥満児大君ケ畑の傍ら。
大君ケ畑に比べれば何と貧弱で頼りなさげで儚げな命だろうか。
体を構成する全てが枯れ枝であったとしても誰もがその一切を疑わないだろう。
浮き出た肋、木の瘤の如き突出した関節、何故頭部を支えられてるか知らん五百ミリ缶程の太さの首。
頭部、そう、頭部だ。特徴的なのはその頭部だ。
白い画用紙にそのまま奥行を持たせたかのような直方体、糸屑を雑に丸めた様な双眸、逆三角形を申し訳程度に貼り付けた様な口、頬は虚仮ており鼻は無い。
彼は数年前からこの地に現れ始めた化物の内の一体であり、城下町少年らとも交友がある三四郎の兄であり、化物一家ピカタ家の長男坊である。
名を三三と言い、周囲の者からは親しみとややこしい名前を嫌って『ジョージ』と呼ばれている事が多い。
三三の性格は弟・三四郎と似ているが、喜怒哀楽と言った情緒が三四郎よりも顕著で、それは特に対人関係でよく見られる。簡単に言えば、情に熱く涙脆いのだ。
それでいて、彼は大君ケ畑よりも笑い上戸、いや、正真正銘の笑い上戸と言って良い。
三三は日常の何気ない会話でも声を上げて笑う事が多い。それだけでなく、本当にくだらない事でも大笑いする。お笑い番組を見せた暁にはその場で読んで字の如く抱腹絶倒、その日一日の回復は望めない。
本当にちょっとした事で笑ってしまうのだ。
ある意味では他の化物の誰よりも人の生というのを謳歌しているのかもしれない。
さて、そんな三三。
もしも、放屁で飛行するくだらない能力を持ち、珍妙な喋り方を特徴とする肥満児を見たらどうなるか?
答えは勿論、大笑いである。然も、呼吸に支障が出る程の大笑いだ。
抱腹絶倒なぞ生易しい、無音による絶倒が三三に襲い掛かる。
読者諸君は、あまりにおかしい出来事に笑いが過ぎて呼吸が苦しくなった経験をお持ちだろうか。もしあるのであれば、あの時独特の苦しさを想像して頂きたい。アレがずぅっと続くのだ。三三が何をおかしくそんなに笑うのかは分からないまでも、あの笑いのピーク、その苦しさに倒れ込むのは納得して頂けると思う。
大君ケ畑と三三、奇妙な組み合わせだがこういった背景を見ると案外しっくり来ると思わないだろうか?
この一人と一体、偶の休日には三三から誘い街を出歩くなりして遊ぶようになっていた。
三三にとっては大君ケ畑が視界に入るだけで面白く、大君ケ畑にとっては何か勝手に付いてきてお目付け役をしてくれてオタク話にも付き合ってくれるお役立ち便利アイテムな三三。妙ちくりんな関係ではあるが、それなりに上手く、面白おかしくやっているようだった。
「んフっ、屁で浮くにしても、フっ、限度を考えろフっ、よ、ホフマン」
「何言ってるでござるかw 拙者の能力をどう使おうと拙者の勝手なんでござるなw ユフっw」
「クっ…、そのホバリングみたいなグクっ、小刻みのっ、屁ぇ……」
「これでござるか?w 御所望の様なのでより小刻みにするでござるw フヒっw」
日曜日、本日は特に三三が呼び出しをした訳ではなく、偶々街を歩いている最中大君ケ畑と遭遇。
無論、常に全裸である大君ケ畑は街中を歩いている事はない。その点については最近大君ケ畑も学びを得て、一般の民衆に気を遣い移動の際は極力人目の少ない(?)空を行く様にしていた。
三三はその様子を直接見つけたのではなく、街を歩いていたら見覚えのある移動する影が視界に入り、もしやと思い上空に視線を向けたらば「出」の姿勢で浮遊する大君ケ畑を発見したのである。
そして、何となく共に行動し今に至る。
それまで仲良く散策をしていた一人と一体であったが、三三の注意に呼応し大君ケ畑が放屁の刻みを更に細かくし始めた。
ボッ、ボッ、と低音に甘んじていた放屁が次第にババババと高音を伴っていく。
それに従い揺れる腹肉、安定する浮遊。
ダメだった。
少なくとも、三三にこの状況は全く耐えられるモノではなかった。
「ガハっ! ガーハーハーヒィー!」
「何でござるw 人の屁を笑える程高尚な存在なんでござるかお主!w ギュプッ!w」
「お、お、俺は高尚な存在じゃない! ッハ! ば、バケモンだ!」
「高尚でないのであればこの屁を笑って良いとでも?w ギュクッ!w」
一見すると三三を詰める様な事を言っている。然し大君ケ畑の表情に怒りは見られない。単純に三三との遣り取りを楽しんでいる様だった。
その証拠に彼の表情は相手を笑わす事が出来たと言う、達成感の滲む優しい笑顔を浮かべている。目元も口角も柔らかく綻び、決して作り物の笑顔で無い事が分かる。
……いや、そう見えるだけかもしれない。
どうなんだろうか、収まりを良くするために真実は神のみぞ知るとでも言っておこうか。
「そんな笑ってばかりいられるのも今の内でござるよ!w 拙者が本気を出せばこの場を直ぐに脱する事も簡単……、否!w 既にその発射準備は完了しているでござる!w」
「へぁ?」
「い・く・で・ご・ざ・るw フゥウン!w」
ダカン、と鋼鉄同士を軽快に打ち鳴らすが如き打突音、それに腸を底から持ち上げるが如き重低音を合わせ放ち、屁豚が上空へと弾けた。
ロケットの発射に逼迫するド迫力の跳躍、幾度か見た光景ではあったがそれでも三三は瞬間のエネルギーの爆発振りに思わず頷いてしまった。
「いつ見ても見事…クフッ……だが、おーい! 一般人には見つかるなよ!」
「わーってるでござる~w」
あそこまで高度を上げてしまえば地上からの発見は困難を極めるだろう。
後はフライト中の飛行機や自衛隊のヘリ等に見つからない様にすれば誰にも迷惑はかからない。
間違っても誰かに見つかりメディアにリークされ、『フライングヒューマノイド発見!』等と新聞の見出しを飾っては暫くは腹を抱えて動けなってしまう、と三三が密かに思いながらフと大君ケ畑から目線を外した時である。
「ギャッ! またあの方ですわ! 何とまぁ不潔且つ破廉恥なんでしょう! 伊吹!」
「へい!」
「優しく撃ち落としなさい! お説教ですわ!」
「合点承知の助でさぁ! やいやいやいやい! そこな豚ァ!」
聞き覚えのある二つの声、見覚えのある二人だった。
予期しなかった出来事に、三三は少しばかり『予知』を発動させようとしたが済んでの所でやめておいた。
これは能力の行使で見るよりも、当事者としてその場で楽しめる事に違いない、そう予感が三三に告げたからだ。
「何だか楽しい事になりそうだぞ! ガーハーハー!」
歩き出そうとした三三だったが、とりあえず、このまま事の成り行きを見守る事にした。




