004 林檎りんご4
「ウン、ウン」
「キビキビ運べよ、この野郎!!」
「……あら?」
最悪の状況を想像して家を飛び出した城下町少年。
自宅の塀の内側に置いていた自転車を引っ張り出して全霊を込めてペダルを蹴り出した。
自宅からはそう遠くない目的地。
住宅街をガシャガシャと軽やかに駆け抜けていく。
目的の建造物が見えると、城下町少年は自転車を丁寧に停止させる事を惜しみ一切の減速を与えず強引に飛び降りると漫画の一コマの様にゴロゴロと縦回転を以て公民館の入り口に辿り着いた。
ブレーキを掛けて貰えず、推進力のままになった自転車は城下町少年が転がり始めると同時に公民館の壁に激突し、前輪が拉げ、前籠が潰れ、本体の大事なフレームが挫け、恐らくは修理の必要性が無いと素人目で見ても分かる程にダメになってしまった。
そんな自転車は家族共用の物で特に家族の誰が管理を率先していた訳でもないので、壊したとて両親から少し怒られるくらいだ、と考えていた城下町少年は後方から聞こえる壊滅音に振り返りもせず、りんご少女と三四郎が柔道の稽古に励む公民館の入り口からその中へと走った。
すると何やら奇妙な光景が広がっていた。
三四郎が直方体の頭部に怒れる青筋を浮かべてグパック教員へ指示を飛ばしている。指示を受けたグパック教員はウンウン言いながら段ボール箱をあっちにこっちに移動させている。実妹、りんご少女の姿はぱっと見た所見当たらない。
幸運にも城下町少年の想像した内容は現実となっていない様子だったが、逆に全く想像だにしていない状況が繰り広げられていた為に城下町少年は面食らってしまった。
「む! そこにいるのは彦根城下町君! おぉ、君の妹は実に良かったぞ。この俺、林檎を額で割る男の挑戦を受け、その全てを無効化し、剰え」
「ウラァ! 何無駄口叩いてる!? キビキビ働かんかァッ!!」
「ウン、ウン」
入口に立つ城下町少年を認めたグパック教員は、表情も明るく城下町少年に声を掛けた。が、直ぐに三四郎に注意され大人しくウンウン言いながら段ボール箱の運搬を再開する。代わりに三四郎がドスドスと重量の感じられる足音を立てながら城下町少年の下までやって来た。
「城下町、どうした! 見学か?」
「いや、見学っちゅうか……何かあったか? ……や、あったんやろなぁ」
「そうなんだ、聞いてくれ城下町!」
そう言うと、三四郎は己の右手を城下町少年に突き出して事のあらましを説明し始めた。
呼吸の猛りも収まらぬ内に色々と話されても何も頭に入ってこない、とは城下町少年の思う所であったが、額から顎先に伝う汗を拭い拭い聞いていると何となく状況を理解出来た。
畢竟、グパック教員はりんご少女にあっさりと返り討ちにされたという事だ。
それだけ分かると城下町少年はホッと胸を撫で下ろし、それ以外の話は全ておざなりに聞き流した。後々関係者に聞けば良いや、と自転車によって発生した疲労の回復へ意識を費やした。
―――――
「まずは挨拶代わりに!」
城下町少年が公民館へ辿り着く半時間程前。
グパック教員はりんご少女にズイと近寄ると、いつもの額の振り下ろしを彼女の額に向けて実行した。
りんご少女の体躯は小さく、小柄な兄である城下町少年よりももう一つ背も低かった。その為に、りんご少女の額の位置はグパック教員の林檎割りに適した場所にあり、状況は別として『挨拶代わり』と言う言葉は彼なりに筋の通った言い分だったのであろう。グパック教員は上から下へ、直線的な軌道で額を振り下ろした。
対してりんご少女、柔道の相手はいつも自分よりも背の高い者ばかりであった。
打撃戦の経験は皆無であったが、相手から繰り出される自分よりも優位な体躯を活かしての攻撃に対しては心得があった。
左脚を少し後方へ下げ、また腰から上体も左後方へ流してグパック教員の額の振り下ろしを見送ると、額が完全に振り切るまでに右腕をグパック教員の首後ろへ巻き付けた。
そして、下げた左脚を軸に体を更に左回旋させると右脚アキレス腱から脹脛あたりをグパック教員の右足首目掛けて刈り出した。すると、グパック教員は中空で前転をするかの如く回転し、背中から床へ叩きつけられた。
お手本の様な実に伝統的な柔道技であった。
「クハァ!」
グパック教員は痛苦の呻きと共に、体内に急激に発生した圧力により肺臓から空気を強制排気され一瞬の間動きが止まった。
普通の人間あればそこで戦意喪失してもおかしくはない、が、グパック教員は準化物。興奮した彼の状態は、これ如きの衝撃では決して止まる事はない。
「成程……。流石は『林檎』の名を関する人物。まさか林檎を額で割る男である俺を林檎を転がす様に扱うとは……。しかも空中で。何と器用な事だ、流石だ、流石が過ぎる。
だが何の! これでお互い握手は済んだという事! 次はコレ! この変化球をどう捌くかなッ?!」
グパック教員は何も無かったかの様に飛び起きると再度りんご少女へ対面。
しっかりと腰を落として左後方へ頭を振りかぶると、横から放物線を描いて額を投げてきた。
りんご少女からすると、右前方から自身の顔面に薙ぐ様な軌道だ。
確かに、普段(?)の林檎割りとは違い少々トリッキーな動きであった。
然し、りんご少女は状況を素早く判断すると是にも冷静かつ精確に対処した。
迫り来る額を先程と同様、体を左後方へ流し回避。回避の序でにグパック教員の頭を前と後ろから掴むと、動きに逆らわずそのまま自身の左側へと流し掛けた。
「『流し』は先程見たぞ! 達人に二度も同じ技オっ?!」
攻撃を流される事を予見していたグパック教員は、頭部にあるまじきブレーキ機能を行使し、額の推進を急速停止させていた。いや、停止というよりも寧ろ元描いた軌道をそのままなぞる様に力の流れを戻していた。
その瞬間をりんご少女に突かれた。
グパック教員の予見を、りんご少女もまた予見していたのだ。
然も、『グパック教員が必ず推進力を逆流させる』という一点突破に賭けていた訳ではなく、『○○する可能性がある』『××の可能性もある』と幾つかの先読みとその先読みへの対応がりんご少女の頭の中には鮮明に描かれていた。偏に、熱心に柔道へ打ち込み、幾度となく積み重ねられた試合形式による実戦経験の量、それが両者の差を決定的にしていた。
グパック教員の頭が戻る力にりんご少女は己の両手に少しばかりの力を加えて右方へ流した。その際に、完全に右方へ流すのではなくこれまた少しばかり両手に力を込めて、自身から見て斜め上、その方向にグパック教員の頭を流し、体を崩した。
グパック教員はしっかりと腰を落としていたが、りんご少女の『崩し』により重心は腰を離れ上体へ移動。体が反れて、りんご少女の正面に対して体の左面を無防備に晒す事となった。
りんご少女はそこで、グパック教員の左太腿裏、ここに真下から天をも穿つ右の膝蹴りを繰り出した。
「お゛ぅッ!」
するとどうだ。グパック教員の左脚は真上へと跳ね上げられ、重心が上体へ移動していた所為で真後ろへ向かって回転、またもや背面から床へ叩きつけられてしまった。
グパック教員の変化球に対抗する、超変則の小外刈りであった。
幸いにもグパック教員の頭はりんご少女が支えていたため、後頭部からの落下は避けられていた。
「何という事だ…。俺が林檎の様に弄ばれている……。林檎を弄ぶとは何たる事だ。俺は決して林檎を弄ぶような真似はしない。何故ならそれは俺が林檎を額で割る男であるから、それ即ち林檎は割る物であって弄ぶ物でないからだ。とは言えこの状況……。矢張り俺は転がされ、回り倒れる林檎の様だ。林檎の様にされている、この俺がだ。ぬぅう! 流石は林檎の名を関する少女! 一筋縄では行かぬ事を思い知らされた思いだ! 次はコレでどうだ!」
その後もグパック教員は額を投げては倒され、振り下ろしては投げられ、りんご少女に何一つとして有効打を与えられぬまま時間を浪費した。
或時は真正面からの超直線的な頭突き。或時は真下からの掘り上げるかの如き打ち上げ。
その悉くが流し、崩され、背面から叩きつけられる。
「まだまだァ!」
「何やのこのオッサンは! 全然懲りひんやんか!」
それまで怒りに身を任せ、怒りのままに冷酷な感情を保っていたりんご少女だったが、グパック教員のあまりのしつこさに根負けし情緒に不具合を来していた。
「次はこいつでどうだ!」
グパック教員は上体をクネクネとうねらせる粗末なフェイントを混ぜ込むと、本日何度目となるか分からぬ頭突きを繰り出し、これまた本日何度目となるか分からぬ背面へのダメージを受ける事と相成った。
「グハァ!」
「あかん! もう付き合ってられん! これで寝とき!」
「ヌグゥ?!」
これまで飽くまで後手に徹していたりんご少女だったが、とうとう我慢の緒が切れ事態の決着に出た。
グパック教員が再度立ち上がろうと片膝立ちになっているところ、そこにりんご少女は正面から覆い被さる様に突進すると大外刈りを実行した。
三四郎との稽古、変質者の登場、良く分からない勝負で疲労感も高まってきていたりんご少女は確実にグパック教員の意識を断ち切らんとしていた。
グパック教員が真後ろへ体勢を崩した瞬間、りんご少女はその首元に右前腕を乗せるとそのまま一緒に倒れ込んだ。
「ン゛ッッッ!!」
グパック教員の背中が床に叩きつけられると同時に、りんご少女の前腕が体重を伴って気管にめり込んだ。
読者諸君、これは絶対にやってはいけない危険な技だ。フィクションの中以外で使ってはいけない。現実世界でやろうものなら相手の命の存続に保証がない……詳細は伏せるが絶対にやらないで欲しい。
グパック教員は詰まった声を上げた切り、白目を露にし、泡を吹いて失神を来した。
その様子を見たりんご少女は「流石にやり過ぎたか」とも思った。が、数分もしないうちに覚醒してピンピンとしているグパック教員を認めて存分に辟易し、三四郎に対応のバトンタッチをすると公民館の奥にある小部屋に引っ込んでしまった。
「流石だ、今回は完全に俺の負けだな…。この町で職を得られて良かった。未だ俺に割れない物が是で二つ……楽しませてくれる」
一人何か納得した様子で呟くグパック教員、彼の顔は満足感に満ち満ちた爽やかを湛えている。
さて、りんご少女にバトンタッチされた三四郎。指の痛みも回復したその面持ちは怒りに赤色を放っている。
多くは語るまい。
そうして、城下町少年が見た光景に繋がったのだ。




