003 林檎りんご3
「ありがとうございましたァ!!」
「うっさいなあ」
どこの町にもありそうな、ありふれた見た目の公民館。
そんな何時、誰が利用しているのかも定かでない、寂しい空気を纏う静かな木造の公民館から大きな挨拶が響いてきた。
この公民館、何と館内の一角に赤と緑の畳が整然と敷詰められており、軽い運動を始めとしたスポーツ、武道など、町民であれば誰でも使える超簡易型道場の運営も兼ねている事が実に特徴だ。
本日日曜日、休日。
この所、毎週日曜日になると公民館から激しい重低音が聞こえてくる。
柔らかく然し確かな重量物が畳に叩きつけられる独特な音だ。
「ビンちゃんアリガトな、今日は店の手伝いあんにゃろ?」
「―――おう」
「はよ帰ったってな」
「―――おう」
公民館の中を覗くと一人の骨肉逞しい大男と、全く同じ容姿の少女が二人。
全員が全員道着を着用している所から、何かしらの武道の練習に勤しんでいた様子だった。
片方の少女が声を掛けると、大男は道着の上だけをサっと脱ぎ、肌への密着性と速乾性の高いアンダーシャツ姿のまま公民館から出て行った。
季節は秋の入り口、少し肌寒いが本日は天候も良く、運動後の体の火照りには丁度良い気候だった。
「で、今日はどうやった? 何となくコツ掴んだ?」
「あぁ、あの払い腰とか言う技はどうも俺に合ってるみたいだ。体重でのゴリ押しも出来そうだしな」
「体格を活かしぃとは言うたけど、こうもゴリ押しされると何かホンマにモヤモヤするわ」
「何にせよ俺は練習を重ねる度に強くなっている、そんな気がする。今日も新しい技を一つ覚える事が出来た、何だか楽しいな」
「ほら良かった」
身長から顔から四肢の長さ、その先端に至るまで何処までも同じ容姿の少女たちが二人、公民館に残された。
二人は緑と赤で区切りを付けられた畳の上で話をしているが、見た目と相反してその話し方が全く違う。
片方は少し訛りの目立つ関西弁で、方やもう一方は実に男らしい喋り方をしている。
「それにお前の体型の運用にも大分慣れてきた。初めこそ意味の分からん小ささだったがこれはこれで動きやすい。まぁ、と言っても疲れるには疲れるからさっさと戻ろう」
「あっ、ちょっと待っ…」
男らしい少女が『戻る』と言うと、関西弁の少女が制止の言葉をかける。が、それは少しばかり遅かったと見え、ギュルリと不可解な音が聞こえたかと思うと男らしい少女の体がこれまた不可解な肉の波を伴って、異様なバルクを備えた肉厚の体へと一瞬の内に変貌した。
同時に、バツンという破裂音が館内に発生、関西弁の少女は落胆の吐息を漏らした。
「ほれ見ぃ、道着脱ぐ前に戻るで道着が弾けてもたやん」
「しまった…」
「あぁもう、帯も千切れとるやんか。普通、こんな頑丈なモン千切れる訳ないのに……」
男らしい少女改め、化物。
化物は畳の上に散り散りとなった道着を一瞥すると、静かな静寂と静止を以て「やってしまった」という雰囲気を醸し出した。因みに変化の乏しい化物の顔面からはそういった感情を判別する事が酷く困難だった。飽くまで肩を落とす、その態度で心情を推量しているに過ぎないのだ。
立ち尽くすビルパン(ボディビルダー競技用パンツ)姿の化物は、少しの静止の後、のそのそと細かく散らかった道着を集め始めた。
「ほんでもまぁ、今日はいつも公民館使わせてもろてる御礼として掃除もするんやから、ん~、手間が一つ増えただけの事かなぁ……?」
関西弁の少女が呆れと無理矢理での納得を自身に課している。
激しい運動の後の為思考が回らないのか、或いは疲労からして考えるのが面倒臭いのか。
どちらかは分からぬが、とりあえず少女は化物と一緒に道着の切れ端の回収に手を付け始めた。
――――――――――
「大分綺麗になったなぁ」
「そうだな、俺たちが来た時よりも綺麗なんじゃないか?」
「そうかも」
一人と一体の掃除は一時間弱と比較的短い時間だったが、りんご少女の指示により手際良く進められ、暫く掃除の機会が無かった公民館の室内は清らかで清潔な姿を取り戻す事が出来ていた。
内容としても簡単なもので、畳と板張りの床を箒で掃いて小さいゴミや室内の端に溜まった埃等を粗方取り除き、雑巾による水拭き、その後に乾拭き。
たったこれだけの事だが、たったそれだけで見違える程にその様相は変わっていた。
「受け身取る時の埃酷かったでなぁ、もンの凄いええ気分やわ」
「たまには掃除も良いもんだな。ほら! もう畳の上で暴れても埃はあんまり立たないぞ」
「掃除したばっかで散らかさんでな」
「前回り受け身! とりゃっ!」
畳の上で子供の様に転がり遊ぶ三四郎に声を掛けつつ、りんご少女は公民館入口左側に取り付けられた木造の扉に目を遣っていた。
扉を開けた先は三畳ばかりの部屋になっていて、一番奥に窓、両側面の壁に棚が設けられており、そこには祭りの際に使用される法被を始めとした小道具、それと貸し出し用の道着の幾つかが置かれていた。
三四郎の道着はここから拝借したものだが先程一つダメにしてしまったので、それを思い出したりんご少女は眉間に少し皺を寄せた。
更に、もう一つ思い出した事があった。
祭りの際に使用される小道具は段ボール箱に詰められて保管されていたのだが、これが実に雑に押し込められてるだけの状態でお世辞にも整理整頓されているとは言えない。
『そうだ、いつも公民館を使わせて貰っているのだから、御礼として掃除だけでなくこちらも少し整頓しよう。そこまで時間もかからないだろう』
思い立ったが吉日、という訳でもないが、りんご少女は早速扉に向かって歩き始めた。
「四ちゃん、ちょっとこん中も片付けようや」
「そこって道着を仕舞ってた所だよな。片付ける必要あるか?」
「段ボールん中滅茶苦茶苦なんよ、二人でやればそない時間掛からんし、いつも使わせて貰ってる御礼や」
「おう、そりゃ粋な事で。やっちまおう」
三四郎がりんご少女に賛同し、扉に駆け寄った。
……綺麗になった館内に感動して転び回って遊んでいた三四郎も悪いと言えば悪い。
三四郎はクルクルと受け身の真似事をしていたものだから三半規管がやられてしまっていて、やもすれば天上の神が人間をベースに創造した化物の体のなんと精巧たる模倣の加減か………つまりは、三四郎は木造の扉に駆け寄ろうとして足を縺れさせてしまったのだ。
「おっとと…?」
崩れた体、運動音痴に長ける身体能力。
一度重心を失った化物の体は駆け寄った推力のまま頼りない動きでバタバタと扉右横の壁に手を着くに至った。
そこは運悪く、公民館の出入り口である磨り硝子の引戸のレールが設置されている箇所だった。
三四郎がそこに手を着いたその瞬間、引戸が勢い良く開いた。
「頼もーーう!!」
「ギャアッ!」
詳しく話さずとも、賢明な読者諸君は直ぐに理解してくれた事と思う。
そう、三四郎の右手及びその五指は勢いよく開いた引戸の尻とレール終わりの縦枠に、無残にも挟まれたのである。
「アァァァァァ………!」
「頼もぉぉおおおおう!!!」
バン! という鈍い音、指先に走る電気にも似た熱い激痛、衝撃の程は皆の想像する通りだ。
三四郎の体は何が起きたのかも分からず、然し瞬間の衝撃に手が胴体へと引き戻され、そして数舜の暇もなく発生した痛みに悲痛な声を吐き出した。
そんな三四郎の絶叫に負けない、大変勇ましい怒号。
その声量、質から並々ならぬ覚悟を感じられる。
「たァ・のォ・もォ・おっ!」
「やかましいアホ! バカ! 四ちゃん大丈夫か?!」
「指ぃ…指がぁ」
三四郎が涙ながらに差し出した右手は指先を中心に真っ赤に腫れあがり爪も少し罅割れているようで、酷くはないが多少の出血が見られる。
重傷ではないが、その見た目だけでも心臓の拍動に合わせてジンジンと痛みが走る様子が想像出来た。
「指! 指っ! 指ィ!」
「たぁーのぉーもぉーおぉー!」
「指がッ! 千切れそうだ!」
「たっのっもっおっ!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛!! 痛すぎるッ!」
「たぁぁのもぉぉぉおおお!!」
「がぁあ! どっちもやかましい!! 四ちゃん、別に指折れとらんのに騒ぎ過ぎや! 唾吐けときゃ治るわ! ッペェ!」
「ぎゃぁぁああああ……」
指の激痛に喘ぐ三四郎と、その三四郎に被害を与えた闖入者の騒ぎ様に城下町少年と同種の癇癪を起こしたりんご少女は、目を吊り上げながら三四郎の指に唾を吐き飛ばした。
目の前の名も知らぬ親父にかまけるよりも、三四郎の鎮静の方が容易と考えたからだ。
その考えは正しかったようで、三四郎は罅割れた爪に沁みるりんご少女の唾にあえなく倒れ伏す事になった。
「おっさん! あんた何やいきなし、四ちゃんえらい事なったやんか!」
三四郎へ闖入者へと慌ただしく牙を剥くりんご少女。
三四郎はともかくとして、闖入者は飽くまで冷静に、落ち着き払った態度で口を返した。
「俺はGeorge Pitman - "Apple Crusher"、湖西高校の英語教師だ」
「あん? あんたウチを馬鹿にしとるんか? そんなふざけた名前あるわけないやんか…………湖西高校?」
りんご少女は自信に満ちた闖入者の自己紹介に眉を顰めたが、学校の名前に気付き、余計に眉のハの字を強くした。
「兄ちゃんの通ってる学校やん、ウチも次受ける予定や。んで、ほこの先生が何の用や?」
「フフ、俺は一英語教師であるとともに"Apple Crusher"、林檎を額で割る男」
「ハァ?」
意味不明な闖入者の返答にりんご少女の眉の頭と尻は恐るべき高低差を現し、それに加えて瞳の径が急激に窄まっていった。
猫目が更に猫目じみて、明らかに戦闘意識の高まりが感じられた。
「君は、名を『りんご』と言うのだろう?」
「何で知っとんねん、それがどないしたん」
「俺は"Apple Crusher"」
「だからそれがどないしたんやて、いい加減怒るで」
「林檎を額で割る男であるからして……」
一度言葉を切ると、闖入者"Apple Crusher"ことグパック教員は自信に満ちた表情にキラリと光る瞳を携え、りんご少女に指を突き付けた。
「りんごに、挑みたいと思う」
「?」
「割らせてくれ、俺の額で、君の額を」
常人の思考を凌駕する発言を聞くや否や、理解するも理解しないもりんご少女のコメカミに一筋の血管が露わとなりブチリという音を発した。




