009 ハードパンチャー…?
「それにしても、なーんにも無い町ですわね」
「そんな事いっちゃあ可哀そうです」
「見てくれこそ栄えた様に見えますけど、人が少ないうえに良く分からない商業施設ばかりですわ」
「地元の人間が活発な証拠でやしょう?」
「でも商店街の閑散としたのも見ましたでしょう?」
「あー…」
三四郎らと邂逅してからとある昼、虎姫と伊吹は折角やって来ていた町を散策していた。
嘗ては運搬の要所として栄えたこの町であったが今やその影も無い。
戦後以降、広大な湖からの恩恵である淡水魚を使った特産品と、広大な土地から得られる米と麦の二毛作が盛んであったが、それ以外は特に大きな産業も発達しなかった。規模の小さいバルブ用品などを手掛けていたがそれも昭和の終わり頃には隆盛が静まり、その後は鳴かず飛ばず。やがて途絶えた。
また今や全国に名を轟かせる高名な商人を幾つか排出していたが、その悉くが県外へ移り住み、彼らが創造した企業や商売の拠点もまた県外へ移された。そうすると無論多額の税金も県内へは収められない。
結果、県内の片隅、ひっそりとあるこの町もその余波を受け、権力者たちの夢見ていた都市開発は中途に終わり若者は夢と稼ぎを求めて県外へ出て行く。若者を繋ぎ留めておく旨味もないため年々その数は増えて行き、残るは古の栄光に浸る老人たちと寂れた商店街、広大な土地…。
そんな近い未来に消滅をも感じられる片田舎の町に、元々金持ちの家の出である虎姫の目ぼしい物は何一つとして無かった。
「飽きて来ましたわね」
「そろそろ帰りやしょうか」
「伊吹」
「何でやしょう」
「わたくしと一緒に歩けて楽しかったかしら?」
「今までも長旅して来やしたから慣れたもんで」
「楽しかったかしら?」
「へい、恐悦で」
「フフン」
虎姫と伊吹が町の散策にある程度の見切りをつけ始めた時だった。
町内を一周して寂れた商店街へ戻って来たところで、奇怪な影を認めた。
「あら?」
「なんでやんすかねぇ、姫さん」
「ほっ、ふんっ、はっ」
上裸の男が拳立て伏せをしながら商店街のアーケードを移動している。
「ほっ、ほっ、ほっ」
腕立て伏せの姿勢、手は拳を握り地面に突き立てられている。
体を起こす勢いで僅かに跳躍し、少し前進。伏せの勢いで胸を地面スレスレまで引き下ろし、再度体を跳ねさせる。それでもって移動している。
人気の少ない場所が秘密のトレーニング場所として使われるのは特段珍しいものではなかったが、今日においては人気は存分にある。端的に気色が悪かった。
「ふぬぅ!」
「あの……貴方」
「何してるんで?」
「見て分からんか! ハードパンチの再取得に向けて特訓の最中だ!」
虎姫と伊吹には意味が分かりかねた。
ハードパンチ?
何だこの瘋癲は。
「お兄さん、こんな所で特訓とは見上げた意気込みじゃあございますが、如何せん人目が多いんでは? 努力は陰で行われるものでやんす」
「お喋りは後にしてくれないか? 経験値が冷める」
巨大なクエスチョンマークが二人の頭上に現れる。
勿論、それは他人に見えない標識であったが顔を見合わせる二人の表情からその情景の想像は容易かった。
上裸の男は一言の後、依然拳立て伏せで移動を続ける。
残された二人は暫く人波を掻き分けるその後ろ姿を凝視し、虎姫が口を開いた。
「なんか面白そうですわね、後を付けますわよ」
「姫さん、好奇心旺盛なのは良い事でやすが、あれは……」
「四の五の言ってないで行きますわよ!」
――――――――――
「なんだ、さっきの奴らか」
「あ、貴方正気でして? もう日が暮れてましてよ?」
「ご苦労な事だな。ずっと見ていたのか」
頭のおかしなトレーニング狂を追って商店街を抜け、住宅街を抜け、湖岸で転回し、住宅街を抜け、商店街へ戻って、またそこで転回して、住宅街を抜け……。
ハードパンチを再取得するという目的の下、男はこれをずっと繰り返していた。
固いコンクリート、大小様々な砂利に塗れる地道。
そんな所を一日中、拳立て伏せで進んでいたのだ。男の拳は皮がボロボロになり、骨と皮の間の肉がグズグズに崩れ解け、ちょっとのケガでは済まない流血に白い物まで覗いていた。
明らかな大怪我だ。
「何がお兄さんをそこまで駆り立ててるんで?」
「言っただろう。ハードパンチの再取得のためだ」
「意味わかんないですわよ」
すっかり月が昇った空。
街灯も少ない夜の商店街で、虎姫のあからさまな呆れた態度に瘋癲の男はヤレヤレといった様子で捲し立てた。
「全く。これで分からないとは義務教育をおざなりに済ませてきたんじゃないか? 俺はハードパンチャー、ハードパンチを生き甲斐とする日本男児だ。詰まる所、ハードパンチャーであるからしてハードパンチの再取得に向けて過酷なトレーニングに時間を割いているのだ」
「? ですから良く分かんないですわよ。貴方がハードパンチャーだったとして、それなら既にハードパンチを身に着けてるんじゃないんですの?」
虎姫の言葉にハードパンチャーと自称する男は口を閉じた。
口角を少しだけ持ち上げた涼し気な顔に、一筋の汗が垂れる。
「そう、そうなんだ。俺はハードパンチをこの身に宿し、名実ともにハードパンチャーであることを誇ってその限りを尽くして来た。そう、そうなんだ、俺はハードパンチャーなんだ」
「お兄さん、何か変でやんすよ?」
「俺は、ハードパンチャーだったんだよ!!」
突然の激高に伊吹が虎姫の前に進み出た。目つきも既に臨戦態勢のものに変わっていた。
「一週間前、あのバルクに満ちた化物に似た化物に出遭った。俺はいつもの化物だと思ったから声を掛けた。でも違った。あいつは正に化物と呼んで差し支えない、邪悪と暴虐の象徴だった」
ハードパンチャーの独白は続く。
「俺はハードパンチャーだった。それ故にあいつの振り向き様に全てを悟った。奴は害悪だった。人に害成す正真正銘の化物だった。俺は己の最大のハードパンチを以て彼の邪知暴虐の化物を打倒せねばと拳を打ち出した」
「あの巨体は俺のハードパンチを避けると何か異様な力が込められた腕を俺に振りかざした。あれもそういう意味では正にハードパンチだったんだろう。ハードパンチャーに防御と言うハードパンチは無い。俺はそのハードパンチを避けられず、胸に貰ってしまった」
「するとどうだ。痛みがあった。重さも感じた。吹き飛ばされないまでも体の芯が崩れるのを感じた」
「然し崩されたのは体ではなかった事に気付いた。俺の中の決定的なものが崩されたんだ。いや、奪われたと言って間違いない」
「ハードパンチャーはやられっぱなしは趣味として認められていない。故に俺は再度奴に渾身のハードパンチをお見舞いしてやった。そこで気付いた。俺のハードパンチはもうハードパンチとしての威力を持っていなかった。唯のごく一般的な威力のパンチに成り下がっていた」
「そうだ。俺はハードパンチを奪われてしまったんだ。ハードパンチャーとしての心意気を残したまま、ハードパンチャーとして最も大事なハードパンチを奪われてしまった」
「俺のハードパンチは見る影もなく、あいつの腹筋にヘニャリと当たって、あいつは嗤ってたよ。あろうことか『あまりにも下らない能力だ』とも言っていたな。呆然とする俺を放って、あいつはどっかに消えた」
「くそっ。話にもならん。ハードパンチャーがハードパンチ無しに名乗れるはずもない。然し俺はハードパンチャーだ。名実ともに誇りあるハードパンチャーへ返り咲くため、こうして日がな一日中過酷な訓練を通してハードパンチをこの身に降ろそうと励んでいるんだ」
「俺には分かる。天上におわす大ハードパンチャー神様は俺を見てくれている。きっと俺のハードパンチな心意気を感じ取ってくれたら、また俺にハードパンチを授けてくれるだろう。そうなれば再戦だ。俺は俺のハードパンチを胸にまたあの化物の前に立つ」
「因みにお前たちがこちら側の存在であることもハードパンチャーである俺には分かっているぞ。醸し出される雰囲気が違うからな。だからこそ、お前たちは俺の崇高な意気込みを分かってくれるはずだと俺は思っている」
「愚痴になってしまったな。ハードパンチャーにあるまじき愚行だ。これも偏にハードパンチを失った事による弊害だろう。ハードパンチャーとして恥ずかしい事だがどうもセンチメンタルになってしまっているようだ。だがここで会ったのも何かの縁。見ていてくれ。俺は必ずハードパンチを取り戻す。そしてあの化物を倒す。そうしたらそこのお前、忍者みたいな恰好のお前だ。ふざけた恰好だ。お前からは尋常ではない力を感じる。お前と一戦交えたい。待っていてくれ。絶対に退屈はさせない。約束だぞ? 男と男の約束だからな? 然もハードパンチャーとの約束だからな? そんじょそこらの契約書も真っ青の神前の誓いだぞ? 違えたらお仕置きだぞ? 一方的なハードパンチをお見舞いしてやるからな。約束したからな?」
ハードパンチを持たぬハードパンチャーは喋りたい事を一気に吐き出すと、そのまま夜の闇に消えて行った。
残された虎姫と伊吹は、瘋癲の長話とは裏腹にその瞳に真剣さを滲ませていた。
「伊吹、聞きました?」
「へい姫さん。あいつ、この町に居やすね」
「遂に影を掴みましたわ。伊吹、暫くこの町に滞在しますわよ。長期のホテル予約をしておいて」
「へい」
「あの時は一方的でしたわ。でも今は違う。あの化物に一矢報いるための力を持っていますわ」
「出し惜しみはしないでやんす。全力を尽くしやす」
「伊吹、全力を尽くすのは当然ですわ。わたくし達は勝つんですの。絶対に」
真夏の過ぎた秋の入り口、夜。
決意を固める二人の背後では鈴虫が涼やかに鳴いていた。
「それにしても……あっしの見間違えでやんすかねぇ…」
伊吹は見逃さなかった。
トレーニングのあまりの過酷さに崩れてしまっていたハードパンチャーの拳。
流血が酷く、骨さえも見えていたあの大怪我。
ハードパンチャーの背の向け際にちらりと見えた拳。
その拳には大怪我の形跡が一切見られなかった。
血の一滴も無かったように見えた。
ハードパンチャーの拳は、あの僅かな口上の間に、完全に治っていたのだ。
通常ではあり得ない現象。
虎姫は宿敵の足取りを見つけた興奮に、それに気付くことは無かった。




