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化物列伝ピカタ三四郎  作者: ピカタ三四郎
第七章
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005 三四郎の修行3




 城下町少年は言い争う二つの黄色い声によって覚醒した。



 体を起こすと右脇アバラのあたりに激痛が走った。痛みの質は鋭利さと鈍重さを兼ね備えており、城下町少年の脇は反射的に持ち上がった肩と連動して自動的に閉まった。

 そうだ、三四郎が妹の裸体に化けてその数舜後にアバラから湿った破壊音が聞こえたのだ。

 城下町少年はそれを思い出しながら痛みの箇所に手を当てると、骨と骨の間に(あざ)が出来ているのか電流の様な痺れと痛みがジンジンと響く。

 城下町少年は胃臓以外から吐き気が沸き上がるという、人生で初めての体験に素直に従った。



「ちゃうて! もっとこう……ラリアットするように!」

「柔道って投げ技の武道じゃないのか? それはプロレスの技だろ!」



 神聖な畳の上には吐くまいと、城下町少年はニスの塗装された床板の(あらわ)な所まで移動すると胃の中の物がすっかり綺麗になった。口元を(ぬぐ)い、口内に滲む苦味と酸味を感じながら(おもて)を上げると二人の同じ影が何やらオチオチと取っ組み合っている。



「言葉の(あや)や! ほな……相手の顔の横を殴り抜くように」

「だから! これは柔道だろ!? 空手でもボクシングでもないだろうが!」

「ああもう! 隔靴掻痒(かっかそうよう)てこんな事を言うんやな!」



 城下町少年は驚いた。あの長文を嫌っていた妹が何とも難しい四字熟語を理解し、駆使している。

 (しか)しどうも状況は(かんば)しくなさそうで、城下町少年は妹の成長を喜ぶ暇もなく「何してんねん」と痛むアバラを抱えながら二人の間に割って入って行った。



「おお、城下町聞いてくれ。俺は柔道を習ってるのに、お前の妹がラリアットや拳を突き出せと言うんだ。おかしくないか? こいつはまさか、柔道の試合で打撃技を繰り出して好成績を残してるんじゃないだろうな?」

「アホ抜かし! ちゃう言うてるやろ! ウチの言い方がアレなんは認めるけど、要は相手の重心を動かすんがその動作の意味なん!」

「そんな無理矢理な崩し方ってアリなのか? 『柔よく剛を制す』じゃないのか? タイミングや呼吸で投げるんじゃないのか?」

「言うとくけどな、そもそも格闘技や武道みたいな技術は体格の小さい人間が自分よりも大きい人間を討つために編み出されたんや! 効率的に、ある程度のハンデを(くつがえ)すためにな!


 ほんでもどんなけ技術高めたってな、自分よりも(はる)かに大きくて遥かに重い岩は割れへんし、投げられへんのや。その物理? って言うんか。そういう法則は覆らへん。体格って言うのはあるだけある方に有利に働くんや。体格があるアンタみたいなタイプは無理して直ぐに本格的な技術習おうとせんでいい。技術は時間が掛かる。それに比べれば百キロ越えの体重はそれだけで技術を上回る才能や。やからウチは短期間でまだ何とかなるアンタに似つかわしい直線的で体重を有利に活かせるやり方を教えたってる訳や! 分かるか?」



 りんご少女は一気に(まく)し立てると、三四郎の目をキッと(にら)みつける。三四郎の説得に向けられた内容は確かに納得出来うるものだった。りんご少女は効率を考え、三四郎の短期間でのパワーアップを叶えるために()えて高等な技術ではなく単純な物理法則に則った崩しを教えていたのだ。



「柔よく! 剛を制す! これが柔道だろうが! テレビで何度か見たぞ」

「こ、この…!」



 三四郎は全く理解していなかった。過去にテレビで放送されていた高等技術の飛び交う試合の中継を見て、それだけが柔道なのだと思い込んでいたからだ。



 これはもう無理だ、と思ったのは城下町少年だった。

 我を押し通そうとする三四郎と、三四郎の言葉に両目の端を吊り上げる妹を見てもう止めるのは無理だと悟った。

 そう思っている間に、りんご少女は三四郎の道着に手を掛けていた。



「アンタには、受け身、教えてへんかったけど…。もう、投げられて分かってもらう他あらへんね」

「ん? 何だ、やっぱりちゃんとした技術を教えてくれる気になったのか? 最初からそうしてくれれば…」



 それは、傍から見れば勝手に三四郎が跳んだものと見えた。



「え?」



 鈍い音と共に畳の上に投げつけられた三四郎は何が起こったのか分からなかった。呆気(あっけ)に取られる目を二度三度パチクリと開閉させ、自分が大の字で仰臥(ぎょうが)している事だけ認識出来た。



「ん?」



 道着を掴んでいたりんご少女が自分の股倉(またぐら)に勢いよく身を()じり込んできた辺りまでは記憶している。問題はそこから先だ。りんご少女の突如の勢いに、思いも寄らぬ低空の体勢に、流石に対応しなければと動いた矢先だった。

 


 自分の体重が消えた。体重が消えて視界に見える景色が回り、平衡感覚が無くなった。自分がどの様な体勢でいて、どの様な

状況に巻き込まれているのか全く判断が着かなかった。腹部に一瞬だけ触れたりんご少女の体温だけは記憶に鮮明だったが、それが何処の部位から感じられた熱なのかは分からなかった。



 一瞬の一部始終を見ていた城下町少年は目を見開き、音の鳴らない小さな拍手を自然と打っていた。

 我が妹ながら、その技の美しさには感嘆せずにいられなかった。くるり、と妹の姿に化けた三四郎が宙を舞った。紛れもない、漫画やテレビで幾度も見た実に見事な背負い投げだった。



「は? 何だ今の」

「背負い投げやで。一本とはちゃう方のな。今受けた技の原理が理解出来るか?」



 三四郎は仰向けのまま逆さまに映るりんご少女の得意げな顔を見遣る。すっきりした顔だ。そして自信に(みなぎ)っている。

 


「この原理が分からん限りは」

「も! もっかい! もっかい!」



 りんご少女が何かを言いかけるのを止め、三四郎は瞳を輝かせて食いつく。未知の力の操作に深く感動を覚えたようで、残念ながら言葉での抑止は望めそうになかった。



……

……



 ドシン、ドシンと公民館に重い音が響く。

 りんご少女が三四郎を初めて投げ飛ばしてから幾度も繰り返される落下音は、初めこそバシンとした比較的高めの音を含んでいたものの十を数え始めたあたりから次第にその勢いが衰えていた。遂にその音はゴロンという(なま)ったものに変わり、その頃には三四郎だけでなくりんご少女までもが技と一緒に畳に仰向けになっていた。



「これが背負い投げ、これが柔道……。凄い……。楽しっ」

「もう、あかん…。アンタ重すぎ……」

「おまんら凄いな、ニ十分くらい投げっぱなしの投げられっぱなしやったで」



 三四郎は酷く感動していた。これが柔道なのだと心底感心していた。

 技は背負い投げ一辺倒であったが、それでも人間を転がす妙技を飽く事無く堪能出来た。

 次は自分がこの技を操る番だ、と三四郎は荒げた呼吸を気にも留めず決意と期待で顔面を明るく(ほころ)ばせた。



「教えてくれ、背負い投げ……柔道を…」

「いや、アンタ、さっきの話聞いとったやろ…? アンタの体重の三分の一くらいしかないウチがアンタを背負って投げる原理理解出来るんかて」

「分からん、でもきっと出来る。俺は背負い投げを習得する事が出来る。小さいお前が出来るんだ、俺も出来るはずだ」

「……」



 りんご少女は疲労の内に何を言うべきか思考を巡らせていた。が、諦めた。(こと)(ほか)、三四郎を投げ続けた事による疲労が強かった。



 呼吸が荒い。吸気よりも呼気の方が強い。スゥッ、ハアァと短く繰り返される呼吸と共に胸が上下に動いていた。

 普段であれば乱取りの一時間くらいは余裕でこなしていたが、夏休みは受験勉強に時間を割いていたのと生来の練習嫌いが(たた)って(しばら)く体を動かしていなかったのがマズかった。

 天井にボヤけた照明が見える。火照(ほて)った顔面に汗の(しずく)(いく)つも伝うのが分かる。道着の下から空間に(にじ)み昇る熱の(もや)さえも視認出来そうだった。背面から畳に熱が溶け出し、変な恰好でぬるま湯に()かっている様な気分だった。



「まぁ、二人ともとりあえず休憩やな。ほれと三四郎、多分お前直ぐに出来(でけ)んで」

「何?!」

「投げられてるお前を見てよう分かった。お前、ほんまに運動音痴や」

「!?」

「凄かった。人間……人の形をしたモンが何も出来ひんと硬直したままポンって投げられるんて、傍から見ててほんまに怖かった。正に人形って感じで無様やった。紙みたいやったわ」



 城下町少年の鋭い攻撃は三四郎のやる気を削いだだけでなく、その余波で『変身』をも解かせた。『変身』時に見せた発光はなく、形状が変化する波だけ起こして三四郎はりんご少女の姿から本来の容姿へとギュルリと言う効果音を(まと)って戻った。



「大人しく、りんごの指導を素直に受けてから原理を理解して行きぃな。何事も順序やで」



 城下町少年の言葉に「…おぉ」と不満げに口だけで頷くと、三四郎はそれから言葉を発しなくなった。それが自身の運動音痴を認識したが故の気落ちなのか、単に疲労による体力の限界が来たからなのかは知れなかったがそれで三四郎は(ようや)く大人しくなった。



 三四郎の落ち着いた様子を見届けると、城下町少年は実妹の方に(かが)み寄りヒソヒソと口を動かした。



「お疲れさん、ありがとな。そんで、三四郎はどうやったら(つよ)なれる?」

「……、まぁガタイあるし暫くはゴリ押しでも技練習してたらそれなりの形にはなってくるんちゃう? 後は……、自分と同じくらいのガタイと体重の奴とも練習せなあかんやろなぁ」

「そんな奴、俺の知り合いにおらんで」

「ウチの昔の道場仲間でビンちゃんがおる。あいつやったらガタイもそこそこで体重も百近くあったはずや。ウチの方が強かったけど」

「ビンちゃん?」

「あれ、知らん? 兄ちゃんと(おんな)し学年で同し学校行ってるはずやで。坊主頭の」



 はて、城下町少年は「そんな奴おったか?」とクラスメイト達の顔を一人一人思い出していった。然し思いつく坊主頭は野球部員ばかりでとても柔道をやっていそうな体付きの者はいなかった。

 柔道をやってそうで、ガタイのデカい坊主頭…。



 一通り学年全員の顔を思い浮かべて行った最後、城下町少年はフとある事に気付き背筋が凍った。

 以前、城下町少年が(いわ)れなき暴力の限りを尽くされていた暗黒時代、その元凶である忌々(いまいま)しい三人の内の一人に先程の条件に当て()まる者がいたはずだ。その者はポンパドールとドレッドの二人に比べると(いささ)か地味な坊主頭だったが、側頭部に他を威圧する様な四本の剃り込みがあった。切れ長の一重の瞳に恵まれた巨体が相俟(あいま)って『凶悪』という言葉を体現したかの様な風体をしていた。



「え、あの、ビンちゃんの名前ってもしかして」

「ん? あー、なんやったっけ。確か、鬢櫛(びんぐし)? やったかな?」



 予想は確信へと変わった。

 嫌な予想と言う物は往々(おうおう)にして的中する定めにあるかの様だった。

 

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