004 三四郎の修行2
りんご少女、城下町少年、三四郎の二人と一体は整然と敷詰められた赤と緑の畳の上にいた。
城下町少年の急な頼み事を聞いて、りんご少女は暇な事もあって案外すんなりと首を縦に振った。そして早速町の公民館を管理する町内リーダーに連絡を取り、柔道場を兼ねている公民館の開放と使用の約束を取り付けていたのだ。
「ほんで、柔道教えるんはええんやけど」
彦根りんごは両手で帯をグッと絞ると三四郎らを振り返った。
一人と一体の表情は引き締まっていたが、時折物珍しそうに畳の並び方に視線を飛ばしたりその畳の感触を足の裏でなぞって確かめるなど、何処かソワソワとした浮ついた心情が見て取れた。
「えー、何やったっけ。三四郎、さん? 柔道着はどないしたん?」
りんご少女は、本日初めて邂逅した化物へ声を掛けた。先程城下町少年の部屋で見せていたダルそうな仕草とはまるで雰囲気が違っており、眼光の輝きが触れるのも恐ろしい鋭利な妖刀の如くギラつきを帯びていた。柔道をこよなく愛する故なのか、或いは、三四郎の教えを乞うには明らかに場違いな恰好にただただ機嫌を損なっていたのか…。
りんご少女は勿論、柔道着を着ている。白い肌着を柔道着の下に着用し、それらを纏め上げる輪郭の解れた黒帯は確かにその少女が有段者である事を物語っていた。
特に教えを乞う必要の無い城下町少年も柔道着を着ており、それは公民館に常備されている新品の物だった。町内リーダーに特別の許可を得て出して貰った更の柔道着は襟や袖が固く、少し動いただけでも城下町少年の軟弱な皮膚を擦った。
帯は勿論白色で、これが一際固かった。同じ素材を用いているはずだが固さにおいては上下の柔道着の比ではない様に感じられ、何度結び直しても編み込まれた布が絡み合うことは無かった。準備体操をする間にも帯は三度も解け、その度に結び直すもやはり動作の度にスルスルと勝手に動き、解けた。結び慣れていないという事も多分に関係していたが、それにしても帯はよく解けた。
城下町少年が初めての柔道着に苦戦する中、三四郎だけがビルパンに素足の佇まいだった。城下町少年が三四郎用にと持ってきていた柔道着は綺麗に畳まれたまま傍らに置かれている。
「いや、それがな…。俺はこのパンツと履いてた靴以外を着用すると、その着用した衣服が吹き飛ぶんだ」
「なんで?」
「俺にも分からん。分からんが、柔道着を着ても同じ事が起きるのは確かだ」
「じゃあ柔道でけへんやんか」
「このままじゃやっぱりダメか?」
「そら、ある程度出来る人やったら別やけど、初めてやろ?」
「おお」
「じゃあやっぱりでけへんわ」
「待ってくれ、今考える」
初めこそ三四郎の肉の迫力にたじろいでいたりんご少女だったが、柔道が絡んだ途端いつもの男勝りな性格が表に出てきていた。一方で腕を組みながら頭を捻る三四郎。りんご少女はそんな三四郎を侮蔑とも怒りとも、また呆れや憐憫とも取れない複雑で鋭い眼差しで見つめている。
三四郎の身長は然程高い方ではない。りんご少女も中学三年生にしては少し背の低い方だった。お互い身長の低い者同士であったが、とは言え一人と一体には明らかな身長差があった。それなのに、何故か山脈の如き肩肉を張る三四郎よりも、撫肩で年頃の小ぢんまりとした体のりんご少女の方が遥かに大きい様に見えた。
それはりんご少女の柔道における自信の表れによるものなのか、城下町少年はこれを「強さある者のオーラによる錯覚だ」と勝手に解釈して特に何ともない風景の切り抜きに息を飲んでおり、非常に滑稽であった。
「あ、そうだ」
三四郎はパッと顔を上げると「そうだそうだ、俺にはこれがあった」と呟いて、大鷲が羽搏くが如く大きく両腕を広げて発光し始めた。マグネシウムが燃焼する如き強烈な白い発光だった。
発光は一瞬で終わり、城下町少年とりんご少女は眩しい暗闇から復帰すると、二人は三四郎の立っていた場所に裸体のりんご少女を認めた。
「あんまり使う機会が無いもんだから忘れていた。俺は『変身』出来るんだ、これだったら柔道着も着れるはずだ」
「?」
「…!!」
城下町少年は右手を腕ごと上げて顎の先を摘み、上体を前のめりに構えて『変身』の結果を食い入るように見つめた。りんご少女はそれが自身の肉体だと分かるや否や驚愕と羞恥に頭と肩を上方へ跳ね上げた。
二人の反応は各々で違っていたが、りんご少女は素早く城下町少年の側面へ移動すると柔道少女に有るまじき打撃を放った。
それは八極拳に代表される打撃の一つで、頂肘の形であった。語弊を恐れずに分かりやすく言うとすれば、所謂『肘鉄』である。
勿論、肘鉄砲の様な形でない。打撃とは称したがどちらかと言えば体当たりに近い。肩関節を沈めて固定、肘を相手に突き出し、手と腕を絞り肘の先端に硬度を集中。両脚を広く構え、肘先に全体重を乗せての体当たり。
それなりの堂に入った動きが城下町少年の右脇直下へ潜り込む。読者諸君もその箇所と思われる部分を少し強めに押してみるがいい、軽い少女とは言え、そんなところに体重の乗った肘が突き刺さったのではどんな格闘家でも悶絶する事必至だろう。
軟弱な城下町少年が耐えられる訳もない。重く鋭い電流がアバラから走り、目の前にストロボの様な激しい点滅を見た城下町少年は声にも成らない声を呻きにして恐ろしい速度で地に落ちた。そして負傷個所を左手で抑えながら、陸に打ちあがった魚の様に激しく体を躍動させるとそのまま泡を吹いて気絶した。
「上は兎も角、下の園には気ぃ使わんかい!」
少女の裏返った声が公民館に響き渡った。
―――――――――――
「パンツ洗って返してな」
「おお」
りんご少女は自分の着替え用に持ってきていた女性用下着を三四郎に渡すと、冷静にそう言った。
下着を渡す手は微かに震えており、それは目の前の化物に対しての恐怖ではなく突然にも自分の姿を精巧に真似られた羞恥によるものだった。
強烈な羞恥の沸騰が静まらなかったが、流石に自分と同じ見た目の裸にそのまま柔道着を着せるのは躊躇われた。上の肌着の代えは持ってきていなかったので、「せめて」という思いで自分のパンツを差し出した。
下着を手渡したりんご少女の頬にはまだ紅潮が残っている。視線は下着と柔道着をいそいそと着用する三四郎を見詰めていた。
「よし、やっぱりだ。問題無く服を着れる! これで練習が出来るな。まずは何を教えてくれるんだ?」
「そうやね…」
りんご少女は少し考えると、まずは実際に技を受けてその威力を体感する事を提案した。
普通は受け身から入るのが定石であったが、相手は化物。多少の工程の簡略はやっても良いものだと考えていた。
三四郎もワクワクと気が早まっていたために、特に何も考えずに反射的に「分かった」と言って提案を了承した。
「じゃあ、…せやな、まずは小内刈りって技からやけど」
「あ、待った。服は持っていいのか?」
「そっからか。ええよ、というか持たな始まらへん」
「どうやって持つんだ? 何処を、持つんだ…?」
「あー…」
話の進まなさにイラチが出てき始めたりんご少女は、簡単に柔道着の持ち方をレクチャーすると小内刈りの説明に入った。これも極簡単に終え、早速技の実践に入ろうと再度三四郎の襟に手を掛けた。
「ほな掛けるで。こんな感じで自分の右足を相手の右足の内側に引っ掛けて、自分の方なり横なりに刈るんや」
「キックとどう違う?」
「あかんたれ! キックは打撃やろ! 柔道は打撃格闘技ちゃうの! ……て言いたいけど、別に少しくらいキック臭くてもかめへんよ。要は相手の重心をひっくり返して地面にぶん投げられたらええんや」
「ほうほう」
「ほんで、小内刈りだけやなくて他の技もおんなじやけど、技の前に『崩し』を入れるのが最初に共通して教えられる事や。例えばこんな風に…」
そう言うと、りんご少女は素早く体を左に流し、三四郎の重心を右脚に偏らせようとその動きのままに柔道着を引っ張った。
りんご少女の両脚が、柔道着を持つ手を支点に跳ね上がった。少女の姿をした三四郎はピクリとも動かず、その所為で崩しの動作に急激なストップがかかり衝撃でりんご少女の下半身が宙に跳ねたのだ。
「何してんだ」
「あ、あんたウチの体になったんちゃうんか?! 重すぎるやろ!」
「体重は俺のまんまだ、百二十五キロだ」
「ひゃ、百……。ウチはその三分の一くらいしかあれへんで、『変身』てほんまに側だけかいな」
りんご少女は呆れた様に対面に棒立ちする自身の容姿を凝視しながら体勢を戻した。
見慣れた自分の容姿とは言え、かなり小柄だ。その小柄な体躯にどうして三四郎の体重がそのまま残っているのだろう。不思議に思う感情に駆られて『変身』した三四郎の素肌を触ってみても自分のそれと何も変わりは無い。柔らかな脂肪の感触と、その奥にある筋肉の弾力が自分と同じ滑らかな肌から伝わってくる。体重の大元は何処にある…? 触って考えて、よく分からなかった。
「まぁええわ。もっかいやるで。ウチの体重で『崩し』やるんはしんどいからお互い動いてる最中に技掛けるわ」
「それはいいんだが…」
「何や、まだ何かあるん?」
「いやな? さっき柔道着引っ張られた時に思ったんだが、この粗い布目が乳首に引っ掛かって痛いんだ」
三四郎は柔道着の襟を片方引っ張ってその先端を露にした。それは確かに柔道着の内側に擦れており、その証拠に本来の色に仄かな赤い火照りを見せてツンとしていた。
「絆創膏か何か無いか? 保護したい」
「……!!」
りんご少女が駆け寄ったのは言うまでもない。駆け寄って、カーテンの要領で柔道着を閉めると先刻城下町少年に放った肘の形を作ったが、済んでの所で発動は避けられた。自分と同じ容姿にあの一撃を放つ事は何か嫌な気分がして撃てなかった。代わりに足を一発だけ蹴たぐって、それで終わりにした。
「痛いな! 何するんだ!」
「やかまし! ウチの体で変な事言うなや!」
自分と同じ肌、肉、骨の感触だったのに、やけに重かった。三四郎の反応を見るに、蹴った自分の足の方がダメージが大きい様に感じた。
りんご少女は耳まで上気した顔のまま三四郎を睨みつけている。
りんご少女は羞恥の内に何を言ったものか、よく分からなかった。




