003 三四郎の修行
三四郎は度重なる予期せぬ戦闘において、その悉くに後れを取っていた。
二度のハードパンチャーに、最近現れたモーニング忍者に。
相性が悪い事は確かであったが、それでも三四郎は自身の不甲斐なさに遺憾の意を表していた。
その肉体は正に巨木というに相応しく、浅黒く焼けた肌、柱のように聳える足腰、岩石を詰込んだ様相の腹部、しめ縄を幾本も束ねたかの如く高密度で筋走る腕、強風をも薙ぎ倒す威風堂々たる肩肉、大鷲が翼を見せつけるかのような背中、超立体と言って申し分ない胸板、そしてその頑強な骨肉から生える極太の首筋……。
然しながら、その肉体は物理的な破壊力を一切有しておらず、そこらに散らかるちょっとした岩を担ぎ上げるにも豪雨のような汗水を垂らし、荒ぶる肺器官は重く巨大な肩を上下に、軽やかに揺らすのだ。
強靭な躰に精強な神通力が宿らぬことなど特段珍しいものでもなく、寧ろ肉体と対比的な儚さに一種の芸術をも覚えた。それに、三四郎には体に見合った力が無くとも、別に特殊奇怪な能力を有していたので、己の非力など気にする必要もなかった。
そう思っていたが、流石にもう見て見ぬフリは出来ぬ。
重ねに重ねる敗北に次ぐ敗北。
自分は、あまりにも弱い。
己の肉体的な弱さを克服せねば、自身が思い描く喜色に満ちる未来は永遠に夢のままだ。
新たに仲間に加わった金剛寺虎姫を見よ! 彼女は自身の夢の為、大事な物を取り返す為、配下と共にその小さな体を目一杯稼働させて奔走に動き続けているではないか! 彼女の様に、己の夢は力のまま、我儘に掴み取りに行く物なのだ!
意志は固い。もう迷わない。
巨大な体に大いなる力を宿す事に、もう躊躇は無い。
力の獲得の為の準備は、覚悟はとうに完了している。
だから、そうではないのだ。
こういう事ではないのだ。
城下町少年よ、そういう事ではないのだ!
――――――――――
湖畔より徒歩十分、緑少ない住宅街の一角に城下町少年の家はあった。両親の両親のそのまた両親の時代に建てられた年季の入った家である。木造で、屋根の破風には達筆な文字で大きく「水」と施されている。
これは火災避けの呪いを込めたこの地域には古くからある風習で、懸魚を許されていない庶民らが水の神通力を家屋に宿す為に建築の際にはほぼ必ずと言って良いほど施された文字である。
当時、木造ばかりだった日本の家屋にとって火災は非常に厄介な災害の一つであり、一軒から火が立てば隣合う家屋は道連れになり、そうなればそのまた隣の家屋にも火は移り、やがて伝播を続ける火の勢いに町全体が焼け落ちる事も多々あった。一つの火災の発生には火急の消火活動が余儀なくされ、一足でも遅れようものなら町の経済や人命に甚大な被害を与えた。
その為、特に人が少なく救助活動に時間のかかる田舎ではこうした火災避けの文化が色濃く残っており、皆挙って「水」の文字を破風へ施したその古来独特の風景を見る事が出来る……。
拙い説明ではあったが、最後にこれだけは言っておかねばならないだろう。
破風に施される文字は決してその家系の魔力属性を表す物ではない。
これは当時の庶民らが地元の高徳僧らと共に共同開発した、非常に高度な仏的法力を必要とする極めて強力な呪いの方式なのだ。間違っても「火」や「雷」等の文字を施そうものなら火神、雷神の怒りに触れるのは必至。俺んちの得意魔法は火だぜ……などと言っている一瞬の暇にその不遜極まる家屋は天上から降り注ぐ神の怒りに焼け、例外なく灰燼に帰す事になるだろう。
……話を戻すと、城下町少年の家、二階の一室に二つの影があった。そこは城下町少年の自室で、部屋の主である城下町少年と客人、ピカタ三四郎が居た。一人と一体は、何やら机を挟んで座りノートに視線を落としている。
「強さとは何か」
熱弁にペンを振る城下町少年の目には燃え盛る炎が宿っていた。
「強さとは何か」
オウム返しする三四郎の目には諦めに淀んだ水面が映っていた。
両者の思いは、その相反する各々の目が語る通りだった。
先週の日曜日、平和な喧騒を取り戻したピカタ家の居間で微かに聞こえた独白。頼れる巨岩の如き化物から発せられた
「強くなりたい」という言葉は城下町少年の胸を打ち、即行動に移させた。
城下町少年はその日から毎日「強さ」に関する書籍を漁り、書籍を漁り終わると次はネットの海に回答を求めた。
肉体的な事に関しては如何なる科学的根拠に裏付けされた事実であろうとも、痩せて貧弱な体である自分から発せられた瞬間に説得力が無くなる事を分かっていた城下町少年は、自身にもまだ語れるであろう「強さ」における精神性を探し求めていた。
そして努力の甲斐に得られた情報の中から特に信憑性に富んだ幾つかを精選し、ノートに認め、機が熟すと直ぐに三四郎を呼び付けた。
「強さとは我儘を押し通す力」
「我儘を押し通す力」
「強さとは不屈の意志」
「不屈の意志…」
「強さとは誠実さ」
「誠実……」
「強さとは」
「ちょっと待ってくれ、城下町」
幾度と続けられる「強さ」の授業に、三四郎が待ったをかけた。
確かに三四郎は「強くなりたい」と思ったが、それは残念ながら城下町少年の語る事の出来ない肉体的な強さであり、不意に訪れる暴力に対抗する為の力であり、精神性を重視した概念的な強さなどではないのだ。
「なんやねん」
「あのな。俺が強くなりたいって言ったのは、こう言う事じゃないんだ。全く持って違うんだ」
「何がちゃうねん」
「俺に必要なのは肉体的なパワー溢れる実質的な力だ。色々と調べてくれた上で色々説いてくれてると思うんだが、有難いとは思うんだが、残念ながら違うんだ、城下町」
城下町を傷つけない様、言葉は丁寧に選んだ。それでも真に伝えるべき箇所は鋭い刃の様に尖らせねばならない。三四郎は何度も何度も「そうではない」「違う」という所を強調し、城下町少年の勘違いを指摘した。
ノートの横にある汗をかくグラス。オレンジジュースと氷の入ったそのグラスは、太い麻糸を格子状に編んで作られたコースターに乗っている。
氷が完全に溶け、グラスの汗によりコースターが水分の保持能力に限界を迎えた頃、城下町少年は漸く己の勘違いを悟った。
「何や、早よ言うてや! えらい長い時間掛かってもうたやんけ!」
「お前の努力を考えていたらだな、思い切りがつかなかった」
顔だけに収まらず耳まで真っ赤に染め上げた城下町少年は叫んだ。己の勘違いの為にとんだ恥を晒したものだと、その恥ずかしさからの紅潮だった。城下町少年はその発熱を冷ます為、グラスをグイと煽ってオレンジジュースを一気に食道へと流し込んだ。
ともあれ、城下町少年の勘違いは是正出来た。ここからは正真正銘、肉体的な強さ一本に絞られた有意義な語らいが始まる、はずだった。
城下町少年は自分の弱さに一切の疑いを持たない武力皆無の少年だ。荘厳に屹立する数々の筋肉を搭載した化物ピカタ三四郎も似たようなもので、その迫力ある肉体とは裏腹に無法者達に振るえる様な物理的破壊力は一切持ち合わせていなかった。詰まり、ここに座って談義する一人と一体は己の肉体を強く成長させる術を何一つとして知らないのだ。そんな彼らに肉体的強さについての協議なぞ出来る訳もなく、一人と一体は腕を組んだまま黙りこくる事しか出来なかった。
「どうしたもんか…」
「困ったもんやな…」
頭を捻ろうが首を傾けようが何の案も出て来ず時間だけが過ぎる。考えても考えても埒が明かぬばかりで何の変化も伴わない静寂が続く。
『今日はもう止めにしないか?』
そんな思いが一人と一体の心に頭を擡げた時、ガチャリと音を立てて部屋のドアを開ける者がいた。
「兄ちゃーん、漫画貸してーな。あの柔道のやつ」
城下町少年の実妹、彦根りんごであった。
少し大きめのタンクトップがだらしなく、ダルそうに眠そうな眼を擦るその姿は何もする事のない休日の時間に暇を持て余している様子がありありと見て取れた。
彼女は暇に対するせめてもの抵抗と言わんばかりに、実兄である城下町少年の漫画を借りに訪れたのだ。
「題名何やったっけ、『YAWARAKAI』やったっけ。女の子の……」
頭をポリポリと搔きながらそう言いかけて、りんごは机を挟んで兄の向こうに座る巨大な岩塊に目を止めて黙った。
見た事もない様な巨大に盛り上がる筋肉に覆われる肉体。人間の物とは思えない白く直方体の過ぎる頭。糸屑を寄せ集めたようなグシャっとした双眸に、申し訳程度に貼り付けられた逆三角形の口。身に纏う布はビルパンのみの威風堂々たる佇まい。腕を組んで正座する未確認生命体は、りんごの短い人生の中で唯の一度も見た事のない人間の形をした異様なる化物の姿だった。
「こんにちは」
「こ、こんにちは…」
辛うじて返事は出来たもののその思考は明らかにショート寸前で、驚愕に染まる両目は丸々と見開かれていた。
これは何だ。家に何か良く分からない者がいる。兄と二人で仲良く机を囲んでいる。何かジュースも飲んでいる。何だ、何だこれは。
可哀そうに、猫の様な可愛らしい顔のりんごは酷く動揺していた。
「あー、あの漫画やな。ほれならこっちの棚に…」
妹の目的とする漫画を取りに立ち上がった城下町少年は、その瞬間「あ」と短く声を上げて何かに気付いた。
城下町少年の実妹、彦根りんごは兄とはその性質を真逆にする実に活力溢れる元気娘である。城下町少年とは一つ違いの、柔道をこよなく愛する中学三年生だ。その実力も大したもので、県大会では決勝戦の常連。その小柄を活かした素早い組手で相手を翻弄し、相手が堪らず足を出したところをカウンターで返す出足払いを得意技としていた。
自分たちには叶わない、肉体的強さを語れる人物が目の前にいる。何を隠そう、それは自身の実の妹だ。
城下町少年は一人合点がいった様にポンっと手を打った。
三四郎は城下町少年のその姿を見て不思議そうに首を傾げ、これから三四郎への指南を任されるであろう小柄な少女は実の兄の動作を驚愕の冷めない目で以て怪訝そうに見詰めていた。




