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化物列伝ピカタ三四郎  作者: ピカタ三四郎
第六章
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閑話休題 虎姫と伊吹3




「あっしは、チャンスを掴めるならそれに必死になりやした。出来る努力は倒れるまでやり込みやした。

 自分ではそう思ってやした。でも、それはどこまで行っても自分の事だけで、自分を取り巻く環境には良くも悪くも一切気を掛けやせんでした。そういった物にも努力を振り分けるべきでやんした。それを怠ったがためにこのような仕打ちを受ける事になったんでさ…」



 伊吹の過去と結論を聞いた虎姫は、それは違う、と思った。

 と言うより伊吹の結論を肯定してしまえば今形振(なりふ)り構わずに頑張っている自分を否定する事になってしまうので「辛かったね」等の下手な慰めの言葉は口が裂けても言えなかった。



 (かつ)てその驚異の身体能力で高校陸上を大いに荒らし、騒がせた期待の新人。有り余る才能を持っていたとはいえ、その実力は陰で血反吐を吐く程の鍛錬に次ぐ鍛錬、それを紡ぎ、積み重ね、洗練した先に培った極めて純度の高い努力の結晶だった。



「あっしは何か具体的な成功を成し遂げようとしていた訳ではなかったでやんす。両親から手放されて身内はおらず、勿論金なんて一銭も無くて、今までも施設長から貰った交通費くらいの少額しか持った事がないでやんす。何も無かったから、何にでもチャンスを見出して必死に藻掻(もが)いて、何かを掴んだらそれに泥臭く(すが)りやした。


 でもそんな生活、人生の間で気付いたんでやんす。ただ只管(ひたすら)に何かに没頭して、自分の全身全霊を費やす時間が楽しかったんでやんす。


 今思うと、何も無かった人生には確かにチャンスは有ったでやんす。他人よりは少ないと言っても、陸上の様にキラリと光る黄金のチャンスもしっかり有りやした。その中で自分の『楽しい』と思える物に気付いたのは幸せな事だったんでありやしょう。

 でも…。出来るのであれば、もっと、沢山のチャンスが欲しかったでやんす。一つ取りこぼしても、直ぐに立て直せるくらいに……叶わずとも、せめて、人並に……」



 話すうちに涙が滲む伊吹の独白に、虎姫は彼が何度も口にするチャンスと言うものについて考えていた。



 自分は裕福な家庭に生まれ、彼は生まれた時に家庭が無かった。

 自分の家庭には自身の弛まぬ努力を多方へ向けられる貯蓄があったが、彼には財産なぞ無く当てもない努力をし続ける事しか出来なかった。

 自分には失敗しても社会的地位を揺るがす大きな脅威は無かったが、彼は人生を潰そうとする脅威に凶刃を突き刺され流浪に身を落とした。



 チャンスとは、家庭か? 金か? 身を置く環境か?



 (いず)れにしても、それらは自分に取ってそこら辺に雑に投げ出して良いくらいに溢れているモノばかりであった。投げ出しても良いチャンスを山ほど持っていた。彼には一つとして無かった。



 持つ者、持たざる者。

 その差は考えれば考える程に深まり、最早チャンスという精神的概念には辿り着けない唯物論的思考の領域に迷い込んでいた。虎姫はそれでも腕を解かずに思慮に沈んだ。



 そして、一つの解決案を思いついた。

 それは持つ者、優位的立場にある者の傲慢な考え方で、それに気付きながらも虎姫は躊躇(ちゅうちょ)せずガタリと音を立てて椅子から立ち上がった。必然とも取れる閃きを天命と捉えて燦然(さんぜん)とした表情で言い放った。



「ンオーッホッホッホ! 伊吹さん! チャンスを持たざる貴方に、わたくしがチャンスをあげましてよ!」

「え…」



 虎姫は何かを与えられる事が気に食わなかった。

 両親は二人とも健在で、自分が生み出した訳ではないが金もあった。様々な才能もあったし、それを開花させる努力も不満なく出来る環境にあった。

 是以上は要らない、是以下さえも別に要らない。要らないのであれば、誰かにやってしまえばいい。与えられるのが嫌なのであれば与える側に周ればいいだけの事。持つ者故の靦然(てんぜん)たる思想だった。



「貴方、仕事はあるのかしら」

「あっしは性犯罪者の烙印を押されていて、どっこも雇ってやくれやせんので、無職でやんす」

「フフン。じゃあこれが最初のチャンスですわ! 貴方、わたくしの執事に就きなさい!」



 何が起こっているのか、目の前の少女の態度の高揚は何事が関与しているのか。伊吹は虎姫の言葉を脳内で反芻(はんすう)させ、噛み砕きながらその意味を理解しようとした。然し幾ら考えようが虎姫の言葉の真意は分からず、伊吹はただ聞き返す事しか出来なかった。



「チャンス? ……執事?」

「そうですわ。わたくしは貴方に、社会復帰のチャンスを差し上げますわよ」



 漸く理解できる言葉が聞こえて、伊吹の顔が分かりやすく輝いた。上がる口角に()られて頬が持ち上がり、伝っていた涙が顔からポタポタと机の上に落ちる。チャンスという思い焦がれた単語に嗚咽が止まらなくなった。突然に訪れた僥倖(ぎょうこう)が伊吹の思考の全てを停止させた。



 その後、虎姫は伊吹と共に帰宅した。

 娘が連れ帰ってきた何処の馬の骨とも分からぬうだつの上がらなそうな青年を見た両親は、当然猛反対した。然し口論を重ねる間も娘の顔は輝きに満ちており、何かに思い詰め(もや)が掛かっていた瞳には幼い頃にあった力強い光が戻っていた。

 結局はその娘の顔に(ほだ)され、伊吹は金剛寺家の執事として正式に迎え入れられる事になった。代わりに使わず仕舞いで放置されていた蔵の整理整頓と掃除をしてそこを自室とし、金剛寺家族の寝床がある母屋とは生活範囲を区切る事が条件となった。



 伊吹は嘗ての輝かしい陸上記録とは正反対に家事に関してはドン臭かった。 

 皿を洗わせれば最低でも三枚は割る。料理をさせれば小火(ぼや)を起こす。掃除をさせれば余計に散らかした。蔵の中に関しては、自身たちが使う訳でもないので家族全員が諦めた。



 そんな愚鈍な伊吹であったが、時間が経てばそれなりに板についてくる。掃除や料理も一端(いっぱし)の腕にまでなっていた。

 その成長の過程で伊吹の容姿や所作は洗練されていき、燕尾服を着させれば誰も元放浪者とは思わなかった。自他共に認める見事な執事として金剛寺家に仕え続けた。

 半年が経つ頃には両親とも腹を割って話せる間柄となり、主従の関係ではあったものの金剛寺家にとって伊吹は家族も同然になっていた。

 虎姫は半年の時間の中で、些細な事でも『チャンス』と称しその(ことごと)くを伊吹にやらせた。

 伊吹はどんな状況でも主人を守れるようにと、家事の合間や就寝前を使って格闘術の心得を身に着けていった。



 そして夏が過ぎ秋の入り口。

 絶え間なく与えられる『チャンス』を物にし、また続けていた格闘の稽古が常人を凌駕する力を伊吹に与えた。嘗て自身の甲斐性の無さに項垂れていた面影は無くなっており、自信と矜持に溢れる相貌となった伊吹は、そうなった全てを与えてくれた虎姫の側から一時も離れる事はなかった。



 化物に遭遇する日の前日、虎姫は伊吹を呼び捨てにし、伊吹は虎姫を『姫さん』と呼ぶ誰がどう見ても主人と執事の関係性を確立した。



「ンオーッホッホッホ! 伊吹、明日は牧場見学に行きますわよ!」

「へい! 姫さんに危険が及ばない様、しっかり警戒しながら乳搾りするでやんす!」



 言葉口調は主従の関係だったが、その内容には何処か互いに気を許した、何者にも侵しがたい独特の空気が感じられた。

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