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化物列伝ピカタ三四郎  作者: ピカタ三四郎
第一章
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閑話休題 ピカタ家の両親


 母、ピカタミ一は、元々人間として生を受けた。

 見た目の美醜に問題はなく、素行も上々、順当に成長を遂げた。唯、両親の頭の緩さが仇となり、特徴的な名を授けられたがためにそれが周囲に揶揄われる主な原因となった。そして、間延びする牛歩のような「おっとりとした」というと聞こえの良い喋り方が人間関係に上下を付ける競争に更なる拍車をかけていた。


 その日も、ミ一は一人暮れ方に帰路を歩いていた。

 型の付いたレディーススーツを着用し、新進気鋭なレザーバッグを肩にかけ、然し俯く頭は、下がる眉は、今日も己の振舞についての反省に余念がないように見えた。学生の頃の朗らかな性格は、社会人として生活する半年で不安と言いようのない鬱々した気分で見る影もなかった。


 柔らかい陽光色のトンボが飛び交う帰り道。

「早めに上がれたのだし、近道して好きなことの時間を取ろうかしら…」

 暗い気落ちを何とか払拭し、また明日の出勤への活を養う。その為に、大通りから普段は通らない畔に足を向けたその矢先だった。


 薄暮れに巨大な人影があった。

 麦色の甚兵衛に草臥れた草履の、まるで仕事後の涼を嗜む百姓の風体だが、醸す雰囲気に直方体の真っ白な頭部は人間のそれではなかった。肩幅の広さ、酒瓶のようにはっきりと太い胴、腕を組んで夕日に臨む姿、人間界には確実に異物のものだった。だというのに、「こんにちは」などと人語を喋るものだから、ミ一は驚き後退りした。


 諸君、表現は似ているがこの化物とは三四郎の事を指しているのではない。その証拠に、その角張った顔の目と口の間には灰色の、浅い茂みの如き髭が生えているのだ。この化物はピカタ三一。その後、ミ一と婚姻を結び三四郎の父となる怪人だ。

 


「『こんばんは』か? どっちだ?」



 ミ一の開かれた瞳孔には気を留めず、日本語の扱い難いさを語る化物。陽は山にかかり始めていた。



「聴唖の方だったか? 気付かずすまない」



 なかなか来ない返事に気遣う化物、ミ一は一々混乱せずにはいられなかった。 



「あーっ、の、えっ…」

「喋れるのか、ではもう一度だ、こんにちは……こんばんは?」



 何とか絞り出し、挨拶を返したが、ミ一は今一人でいる事に激しく恐怖を覚えていた。誰一人いない畦道、得体の知れない怪物、私も脚が速ければ、ダメだ逃げ切れない、と取り留めもない考えが結論を齎すことなく、ただ垂れ流すままだった。

 一方で化物は口を動かし続けた。



「儂は三一、御覧の通り、君たち人間の教養で言う化物に該当する。君の名前は何と言うのだ? ……ふむ、みー…みひ?と言うのか、漢字は……名付けにはこういう使い方もするのか、学びを得たぞ」

「え、何で」

「分かるのだ、思考が。儂の見えざる力が是を可能にするのだ。君が怖がっているのも、逃げたがっているのも分かる」



 ほとほと化物だと感じた。 

 恐らくは体力的に勝てる相手でもなく、その上思考まで読めるのであれば打つ手無し、変えられぬ詰みの状態であることを知ったミ一はいっそヤケになってこの化物相手に、逃れられぬ死を享受しようかとも思い立った。



「待て、待て。儂は、儂は人殺しを悦としていない。大丈夫だ、安心するがいい。食いもしない、内臓なんて啜らない。それよりも、会話の相手をして欲しいのだ。この三年間、人と接する機会なぞ一片も無かったのだ」

 


 化物は続けた。



「人を恐れていたのだ。このか弱い生物達は外敵と認識した相手が例え孤であっても集団を募り、恐るべき科学力を用いて全霊をかけて排除に出ることを、儂は知っているのだ。跳ね返すのは訳もないことだがそれでは楽しい生活が送れないのだ、共生がしたいのだ、人間と」



 三一は一気に捲し立てると、顔色の判別がつかぬ表情で斜め下に頭部を揺らした。ミ一はこれを意気消沈と見て、己の全力を持って旋回し、大通りに向けて駆け出した。

 少しの距離を駆けた短い時の間に、化物が追ってくる足音も気配も無いのでこれ幸いにと、もう無我夢中になって、我を忘れて脚の回転を続けた。



「また会うことになる! 儂の力のもう一つは、『可視不可視の選別』だ!」



 もう大通りに入る直前、遠く、聞こえるはずもない声が後頭部から聞こえ、ミ一は恐怖に泣きじゃくりながら走った。



…………………………



 その邂逅を皮切りに、ミ一は時折三一を見かけることになる。

 ある時は買い物中に、ある時は仕事中に、ある時は休暇旅行中に。そして、その頻度が上がってきている事に気付いた時には、もう雪の気配がチラつく季節になっていた。その間、ミ一は特に危害も加えられなかったので、初めこそ戦々恐々としていたが、次第に「また居た」程度にしか感じなくなっていた。


 そうして、とうとう、決定的な日が訪れた。

 その日は、ミ一の人生の中で最も悲惨な日だった。恋仲の相手に別の意中の君がいることを知り、相手の部屋でミ一はそれを激しく問い詰めるも逆上する男にこれでもかと罵られ、因果関係の乏しい己の非を浴びせられ、頬を引っ叩かれたところで心に大きな軋みが生じた。


 途方もない喪失感と遣る瀬無さと悲観に染まる心とで、ミ一は顔と肩に地べたを覗かせながら只管にぼぉっと歩き続けた。

 何を間違ったのか、何に気付けばよかったのか、何をすれば良かったのか。原因のない彼女には、何も分からなかった。絡み、固く結ばれてしまった綾取りのように、埒の開かぬことだけは分かった。

 気付けば、あの畦道だった。畦道は遂に降り始めた雪で白く染まり始めており、辺りもすっかり暗くなっていたがミ一にとっては何の関係もないことだった。


 そして、化物との何度目かの邂逅を果たす。



「うむ、大丈夫か?」

「大丈夫なわけ、ないじゃない」

「……」

「大丈夫なわけ! ないじゃない!!」



 堪えていた涙が、塞き止めていた感情が、もう止められなかった。



「あんたも! 何なの! いっつも! いつも居て! 現れて!」



 普段の彼女とは思えぬ、間延びしないハキハキとした怒鳴り声だった。それでいても化物は、変わらぬ甚平と草履姿に腕を組んで口を閉じたままだった。その糸屑を丸めたような小さな瞳で、じぃっと女の様子をただ見続けていた。



「見てたんでしょ! いっつも! さっきのだって…」



 それから、ミ一は声にも成らぬ声で嗚咽し、座り込み、項垂れた。

 化物は動いた。ミ一に己が着ていた甚平をそっと掛けると、「今日はもう、暖かくして休まれよ」と言い、去り際にまた一言「帰り道、迷わぬように」と残し、颯爽と消えた。

 化物から貸与えられた甚平は、異様な熱さを纏っていた。未知なる者の召し物は、また所有者と同じくして未知なる素材で造り上げられているのか、果たしてミ一は特大の甚平を握りしめ、しばらく立つ気力も湧かず泣いたままだった。



…………………………



「でな? そいつなんてったと思う? 『信じてたのに』やってさ、ハハハ! ドラマかよ!」

「マジ? バリウケる」



 粗悪な二人だった。邪念と快楽に身を窶した二つの、醜悪な人塊だった。人の心を平気で捻り潰し、捩じり、弄ぶ、そして何喰わぬ顔で悪戯に糧を消費し、クソをし、交わる、悍ましい酸鼻を極めたる人の成れだった。




 巨躯の化物は、偶然人の心を見ることができた。一人の、美しい心の哀れなる女の啼泣を見た。

 巨躯の化物は、然るべくして人の心に遣る心を持った。暮れる美しい女の、暗い慟哭を聞いた。

 巨躯の化物は、人の心の癒し方をまだ知らなかった。痛みに沈む女の為に、抑止はしなかった。



 だから、ここに来た。



「いたな」

「?!」

「なにっ、今の」



 部屋の中に滲むような声が聞こえた二人は、恐れ慄いた。

 化物は、知識では持っていたが喜怒哀楽にどうも理解が乏しかった。楽しみたい、と言うは良いが「楽しむ」とははて、何ぞやと常に考えていた。然し、頭を捻ろうが首を傾けようが及び着かないので、煩わしくなって、いつしか考えることを止めた。

 ある日、女に出会った。

 化物の能力の一つに『可視不可視の選別』があったが、女は選別をしていないにも関わらず化物を見ることが出来た。無論、興味を持つのは自然だろう。女は人間でありながら、こちら側の因子を内包していたのだ。

 一度目は、混乱した女が逃げてしまった。それを教訓に、化物は彼女を脅かさないよう、驚かせないよう、少し遠目からいつも見守っていた。これが、化物にとっての初めての『楽しい』だった。

 時折、彼女は可笑しそうに笑った。これを見て、化物も暖かい気持ちになり、これが『喜ばしい』事だと腑に落ちた。彼女がしょんぼりしていると、化物もちょっとしょんぼりした。これが『哀しい』のだと、化物は分かった。

 今日まで、『怒り』は分からなかった。いつも心を読む対象は、常に『怒り』だけは持たなかった。理不尽な説教があればしょんぼりして、見知らぬ相手に不遜な態度を取られても、これまたしょんぼりして、晴れぬ靄を抱えたまま心情の爆発は上手く処理していた。


 化物は、初めて『怒り』を知った。彼女が怒ったのではない。彼女の激烈な悔・惜・悲・迷・躊・責、様々な心模様を見て、その暗く澱む感情で彼女を悩ませた元凶に、言いようのない黒い熱を感じたのだ。それが、どんどんと膨らみ、いつまでも鎮静を見ない。頭がカッと熱くなってくる。体を巡る血が沸々と濁っていくのを感じる。化物は是を『怒り』だと心得た。



 そして変化が訪れた。

 化物の陰る敵意が饐え腐る臭気となり空間に漂い始め、化物の燃える怒気が高熱を帯び周囲を溶かし始めた。

 突拍子もなく起こる部屋の異変に、二つの人影は大混乱を喫していた。怪異は、どうやら出入口の方からやってきているらしい。地上五階の部屋、飛び降りて逃げられようはずがない。



「ネェッ! 何アレ! ネェッ?!」

「知るかボケッ、逃げ…!?」



 二人のうち、男の視界に異変が生じた。いるはずもない、この世ならざる者が見えた。

 人の域を出た巨体、人でない頭部、灼熱に赤黒く歪む肌の色。床から黒煙を上げてゆっくりと迫ってくる。



「アハ、アハ…ハ、夢や、絶対そうや」

「何が見えてんのッ! ネェ! ヤダ!」



 絶望にだらしなく笑う声と、恐怖に混乱する金切り声が木霊する。化物には関係なかった。

 鼻を焼く臭気と金属を溶かす熱とで、最早人の世の光景とは遠く掛け離れた黒く赤く染まる男の部屋。やがて女は人事不省に陥り、男は何をするでもなく肺を焼かれながら未だ逃げようと藻掻いていた。




「同種を踏みにじり、楽しいか」



 一歩。



「非力な者を辱めて、嬉しいか」


 一歩。


「他者を突き落とし、気持ちいいか」

 一歩。

「逸楽の追求は快「交接は快然か」一歩。

「暗澹の「峻拒は格別か」稽か」一歩。

「欺「苦楚「窮秋の様は悦楽か」」徳か」一歩。    

「「笑え」答えよ」







 焦げ煮える音がする。








「バ、化物…」

「お前も、そう、変わらぬではないか」






――――――――――



「そうしてね、お父さんたら帰って来るなり早まりそうになってた私を優しく、でもしっかりと抱きしめてくれて」

「……」

「へぇ~」



 三四郎にとっては、幾度となく聞かされた両親の惚気話。こういった場合、見るドラマ見るアニメの主人公たちは何となくその場に居辛そうに振舞うと相場が決まっていたので、三四郎もとりあえず同じように振舞っていた。それを余所に、三四は二人の御伽噺に大きな瞳をキラキラさせて食い入るように聞いていた。



「お父さんカッコいい~」

「止しなさい、そんな、昔の話…」



 話の中で圧倒的な活躍をした張本人は、恥ずかしそうに窓の方を見てぶっきら棒に言い放った。



「本当にあの時のお父さんは」

「母さん…勘弁しておくれ…」

「あら、ごめんなさい」

「然し、その男との話は母さんにはしていなかったはずだが…」



 憎き悪者を成敗した後、三一は態々ミ一に話すことはせず、ただ慰めた。このまま彼の男を忘れればいいと、一切の事を話さなかった三一の記憶とミ一の語る物語には明らかな相違があった。



「お父さんに心を読まれるうちにね、私お父さんだけズルいって思ってたんだけど」



 ミ一はそのまま続けた。



「何とか私も同じことが出来ないかなって、必死に頑張ってたらお父さんの心だけ読めるようになっちゃったのよ」

「ほぉ!」

「すご~い! お母さん人間なのに化物~!」



 驚くべき事に、元より化物の因子を持っていたミ一は化物たちと暮らすうちに特殊能力を発現させたと言うのだ。人間の域に有るまじき化物の素質に、三一も感嘆の溜息を一つ、吐き出した。



「お前……そこまでこちら側に来なくとも」

「あら、私は凄く嬉しかったわよ?」



 そう言って満面の笑顔を見せると、甚兵衛姿の化物はまた恥ずかしくなりそっぽを向いてしまった。



「は~、人間って驚かされるねホントに」

「そうね、私もこんな力を手に入れられるとは思ってなかったわ」



 穏やかに終息へ向かう会話、やっと解放される空気になると三四郎は振舞を解き、さて就寝までは何をしようかと腰を上げた。親父と酌を交えようか、だらっとテレビでも見ようか。ピカタ三四郎の一日は、もう少しだけの楽しみを探してから終わる、これが常だった。




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