003 空飛ぶ屁豚
大君ケ畑は落ちた焼きそばパンを拾い上げると、焼けた狐色の美しい衣に付着した埃を手で払った。それを見て一言、城下町少年が声を掛けた。
「おい、ほんまにほれ食うんけ? 汚なないか?」
「プグゥ!w 三秒ルールを御存じで無い?w 拙者は巨体故に胃袋も大きく、これしきの埃如きで食欲を失ったりしないのですぞ!w ギピィッ!w」
「……まぁ、おまんがええなら」
大君ケ畑の返答を聞いて城下町少年はあっさりと諦めた。自分が食う訳ではないし、大君ケ畑が汚れた焼きそばパンを食べて腹を壊そうとも別に対して気にならなかった。何を言っても食うだろうし、止める甲斐はなさそうだと判断した。
「えっw これってもしかして、間接キス…?w」
「やかましい! 早よ食いいや!」
城下町少年は目を怒らせて叫んだ。気持ち悪い笑い声に気色の悪い言葉が乗ると鬱陶しく不快極まりない。アニメに、屁に、もうたくさんだ。城下町少年はこのふざけた時間を早く終わらせたくて堪らなかった。
城下町少年を尻目に、大君ケ畑は焼きそばパンに齧りつかんと脂肪がつっかえて鈍重になった口を出来るだけ大きく開いた。然し、何かに気付いたようで開口したまま焼きそばパンを見詰め動きを止めた。
「どないしたんや、食わんのかい」
「この焼きそばパン、ホールの黒胡椒を使っているのですかな?w 削れてないのが一粒ありますぞっ!w」
「ん? ほんなん俺感じひんかったけどなぁ………ん?」
「まぁ黒胡椒の一粒などこの空腹にすれば些細な事、では頂きますぞ!w」
変な事を聞いて焼きそばパンを見た城下町少年は、確かに黒胡椒の様なものがポツンと乗っているのを見た。そして、それが黒胡椒ではない事も直ぐに分かった。それは城下町少年が確かに見た事のあるものだったが、それが何なのか思い出すには時間が足りなかった。
大君ケ畑が再度その口を大きく開き、焼きそばパンに齧りつこうとしたその時である。
「待ったぁぁぁあーーー!!」
甲高い女生徒の声が響いた。
城下町少年が驚いてその声の方向に振り向くと、安宅真白が血相を変えてこちらに走ってきた。右腕を突き出しながら、焼きそばパンを口に運ぶ大君ケ畑に向かっているようだった。
突然の事に城下町少年の体はビクリと固まり、真白の後ろに見える三四もやはり大声を上げた真白の方に顔を向けて何事かと呆けていた。
「ハンっ…むぐ、ガリッもぐ……美味いですぞっ!w」
「あぁっ?!」
そんな必死な真白の健闘も空しく、まさか自身に向かって女生徒が声を上げたなど思いもしなかった大君ケ畑は焼きそばパンをガブリと食らっていた。先程不思議に感じていた黒胡椒と思われる丸い粒をも丸ごと口内に収め、ガリガリと音を立てながら磨り潰し、まだ形が残ったままだったが生来の早食いをここにおいても存分に発揮して、十回も噛まないうちに飲み込んだ。真白が走り着く頃には、大君ケ畑はその丸く黒い物を胃にすっかり収めてしまっていた。
「食べちゃった?!」
「ん? にょ、女人?! 拙者にも春が?!」
「どうしたんや安宅!」
「さっきの…もしかしたらあの豆だったかも」
「豆…? …………ハァッ?!! なんであの豆が焼きそばパンに着いてんねん!?」
真白の言葉に城下町少年が叫んだ。真白が言うあの豆とは、イヤーンの作った豆だと直ぐ分かった。ピタカ家に初上陸したその日にイヤーンから貰った豆だ。城下町少年は先程思い出せなかった事をここで漸く思い出した。確かにあの黒くて丸い粒は例の豆に他ならなかった。
「さっき三四ちゃんが落としちゃって」
「ほ、ほなさっきこっちで焼きそばパン落っことした時にそれが着いたっちゅうんか…?」
「も、もしかしたら…」
「ヤバイやんけ!! おい! ホフマン! 大丈夫か?!」
焦って大君ケ畑を見ると、キョトンとして何が起こっているのか分かっていない様子だった。それも仕方がない、彼は『化物因子』はおろか、それを大量に吸って育ち、収穫された豆の存在など知る由もなかったのだから。
然しその呆けた姿である。突然驚かされて泣き始める前の赤ん坊の如き表情。「ポカン」と言う表現がここまで似合う顔もそうそうないだろう。あらゆる箇所に脂肪が着いてる所為で、本当に大きな赤ん坊のようだった。
「な、何でござるか? 拙者、何かイケない物を食べたでござるのでござるか?」
城下町少年と真白の鬼気迫る表情に、赤ん坊が泣きそうな面になっている。あまりの二人の迫力にブッと情けない屁もかましてしまった。そしてその元々怪しかった日本語は更におかしな事になり、口の周りは焼きそばのソースで少しばかり黒く、その様子は実に可愛らしく汚らしかった。
「何ともない?! 大丈夫?」
「おい、ホフマン! どうやねん! 体に変な事無いか?!」
「何も無いでござる…、えっ、拙者この後下痢でもするのでござるか?」
「下痢で済むならそれでええわ!」
「ひ、酷い…w」
大君ケ畑の不安に駆られている中、その様子を見続ける城下町少年と真白。今の所大君ケ畑に目立った変化はなく、二人は揃って胸を撫で下ろした。化物が食した時の様に即効性があるわけでは無い様であった。
ほっとしたのも束の間、真白が城下町少年を教室の後ろにある掃除用具入れのロッカー前まで引っ張って行った。
「ねぇ、城下町君。あの豆って確か人間を準化物化させるけど、良い方向の変化で留めてくれるんだったよね?」
「せやで…。あの喫茶店のマスターがその例や」
「大丈夫とは聞いてるけど、私、ちょっと嫌な予感がするの」
ロッカーの方に顔を詰めて、コソコソと芯の無い声量で話し合う二人。そこで真白は自身の予感について語った。
最近、何かと騒ぎに巻き込まれる真白。その直前には必ず嫌な予感があり、その悉くが的中している。真白はその事を自覚しており、今回も沢山の蟻が体中に纏わりついている様な不快な騒めきを感じていた。
イヤーン渾身作の豆、城下町少年と三四から聞いてはいたが何故かそれでもその予感は払拭されない。これは何かある、城下町少年にも話しておいて、直ぐに三四郎達を呼べる態勢を整えておいた方がいいだろうと思っていた。
「嫌な予感て……あの豆は確かに人間を準化物にしてまうけど、安全なもんやで?」
「でもその実験とかの内容、詳しく聞いてないでしょ? もしかしたら例外が発生するかもしれないし、私何となく今回そんな感じがするの。城下町君、隣のクラスでしょ? もし何か起こって、私が三四郎さんたちに連絡出来ない状況だったら城下町君に何とかして欲しいの。その方法を昼休みが終わるまでに何とか絞り出しておきたいんだけど……」
心配のし過ぎではないか、とも思ったが城下町少年も一抹の不安を感じていない訳ではなかった。『魔女のコーヒー屋さん』女店主、守山稲枝が城下町少年たちが見た成功例であったが、あくまでも唯の一つの例でしかない。守山稲枝以外にイヤーンの豆を食した人間を見た事がなかったし、その変化も勿論目にしたことがない。決してイヤーンの事を信じていない訳でもなかったが、真白が言う様に確かに実験内容の詳細を聞いてはいなかった。実験体となった人間の情報や実験環境、規模、標本数……考えてみると明らかでないものばかりであった。
「安宅が連絡出来ひん状況って例えばどんなや?」
「準化物の暴走を抑えるのに必死だとか、危害を加えられて気絶してるとか」
「まぁ、それやったら確かに連絡は取れへんやろな……。ほな、無料アプリの通話機能繋っぱにしとかんか? 無線のイヤホンも持っとるし、安宅が話さんかて教室の様子くらいやったら分かるで。あ、様子を見るって事ならカメラでもええな、そっちの方がええかも」
「ナイス城下町君」
案外あっさりと解決した。これくらいであれば普段の真白にすれば直ぐに思いつく内容であったが、『何とかしないと』という思いだけが先行し全く思考が回っていなかった事に真白は気付いた。これでは有事の際にも影響を及ぼしかねない。一瞬の隙がどういった状況を引き起こしてしまうか分かったものではない。
真白は気持ちを切り替えるために両頬をパンッと叩くと、城下町少年の案を採用し、二人で事の成り行きを見ていくことにした。
「あ、あの……拙者、何が起こってるかさっぱりなのだがw」
「おう、ホフマン。大丈夫や、心配すんな」
「それは無理な相談でござるぞ!w 何せ本当に何も分かっていな」
「ごめんね? でも本当に大丈夫だから、安心して?」
「ふむ、麗しい女性にそう言われてしまったなら安心せざるを得ないな」
「お前……」
大君ケ畑の態度の変わり様はあからさまであった。城下町少年への対応とは全く違い、大君ケ畑は目をキリリと流し、右の口角だけを僅かに上げた渾身のキメ顔を放つと少し低めの声で真白に答えていた。それを見た城下町少年は急に虚しくなり、その情けないとも取れる大君ケ畑の虚勢に目を逸らすのであった。
「ま、真白ちゃ~ん」
「三四ちゃん、あのね、城下町君と話してこんな感じで様子を見ることにしたから」
自責の念にフラフラとやって来た三四へ真白が計画をこっそり話す。話の締めに「皆で何とかしよう」と添えると、それを聞いた途端三四は大粒の涙を流して謝辞を述べた。ありがとう、ごめんなさいを繰り返し、涙を流し続ける。「いいよ、大丈夫だから、ね」と宥めるも、流れる涙は真白の頭上から降り注ぎ、瞬く間に真白を風呂上がりの様に濡らしてしまった。
終いに真白が可愛く声を荒げると三四は更に謝辞を大きく発し、その数を増やし、次第に謝辞は謝罪へと変わって行った。
「城下町氏……。拙者は、あの二人の美少女の間に入りたいでござる。美しい百合の間にみっちりとこの体を捻じ込みたいでござる。然し、百合の間に男が挟まるなど言語道断。それが拙者の様な汚らしい男であった日には、拙者は全国の百合愛好者たちから袋叩きにされ、解体され、そして精肉店に卸されて皆様の食卓へ並ぶ事になる」
「お前の調子は何時でも変わらんな、くたばれ」
大君ケ畑の減らぬ口に城下町少年は本気で苛立った。苛立った先に直接的な罵倒を飛ばしてしまった。
さっきまで不安に泣きそうな顔であったのに、直ぐにその調子を取り戻すその図太い神経はやはりその無駄に膨れ上がった肉体から来るものなのだろうか。
そうこうしている内に、昼休みの終了を告げるチャイムが響き渡った。城下町少年と真白にとってはこれから始まる闘いのゴングであった。生徒たちが弁当を引き上げ机を元に戻し始める中、二人は顔を引き締めると視線で言葉を交わし真白は自席に、城下町少年は隣のクラスへと帰って行った。後には肥満と超身長の有り得ない組み合わせだけが取り残されていた。




