001 三一とイヤーン
「おぉ! 貴方がイヤーンさんですか、お噂は兼ねがね…」
「かく言う貴方は三一さんですな? お会いできて光栄です」
山奥にある茅葺屋根の映える家。化物一家、ピカタ家にイヤーン・ヴァカタレーが招待されていた。招き入れたのは何を隠そう、ピカタ家次男三四郎である。
イヤーンは『魔女のコーヒー屋さん』にて会談中の三四郎達を認め、会談内容に強い興味を持った。城下町少年があしらおうとするもしつこく食い下がり、とうとう内容を聞き出してはより知見を深めたいと言って聞かなかった。場の収拾を優先したかった三四郎は城下町少年を伴って化物家へ場所を移動することを提案し、亜空間を介しピカタ家へ。現在に至る。因みに、会談の場に居た真白は母親との約束があるため帰っていった。
「ま、ま。まずは一杯」
「かたじけありません、頂きます。……ところで」
化物一家の大黒柱三一は酒、特に焼酎を好み、事在る毎に飲酒の機会を設ける事が最近の習慣となっていた。新たに知り合った客人をもてなすため、三一は嬉々としてちょっと良い焼酎を取り出しイヤーンに振舞ったが、それに口を付ける前にイヤーンが一つ気になったことを口に出した。
「何故、そのように泥だらけで?」
「あぁ、いや。実は趣味で家庭菜園をしていましてな。土地がある分大きく作ってしまったのと、慣れない作業に悪戦苦闘して気付けばこのように…。いや、このような恰好のまま挨拶してしまって申し訳ない」
「ほう、それでしたら大層お疲れでしょうな。これを召し上がってください。こちらも手ぶらで来てしまったお詫びです。是非是非…」
傍らに黙して胡坐をかく三四郎。事の成り行きを黙して見守っていた。
一方で肩を硬直させ、両手を膝の上に置き正座でかしこまっている城下町少年。初めてのピカタ家、既知の仲である三一を前に、然し常識ある城下町少年は招待を受けた身で無礼がないか自身の振舞に細心の注意を払っていた。
「これは……例の豆であるか?」
三一はイヤーンから受け取った小さな黒い豆を親指と人差し指でつまむと、眼前まで持っていき物珍しそうにじぃっと観察する。コーヒー豆にしてはいやに丸いその豆は独特の光沢でテラっており、一目では食品のサンプルに見えてとても食指が動く類のものではなかった。そこにイヤーンが口を開き、説明を添える。
「それは私が作った豆でしてな、コーヒーの様にして飲む事も出来るしそのままでも無味無臭で特に嫌気はないんですな。その正体は貴方たちが言う『化物因子』を存分に含ませた、まぁ、兵糧丸みたいなものですな」
「ふむ、これがコーヒー店のマスターを準化物化させた豆か…。中々興味深い」
「そうでしょう、因みにそれは私達化物が摂取すると体力回復や怪我の早期回復など様々な良い効果があるんですな。畑仕事に疲れた体にさぞ沁みる事でしょう、一つ召し上がってください」
イヤーンの説明を聞き、意を決して口に投げ込みガリガリと噛み砕く三一。三四郎には無い口髭が咀嚼の度にモソモソと、何か小動物でも出て来そうな蠢き方をしていた。嚥下出来る程に口内で磨り潰すとそのままゴクリと飲み込み、それと同時に体に満ちるエネルギーを感じて三一は驚いた。ちらりと見遣った剛腕には極太の血管が何本も迸り、体中にそのエネルギーが走り回っているのがよく分かった。
「なんと、こんなにも即効性が…」
「私が作ったその豆は、我々化物が体内に入り込むとそのタイミングで組織の修復及び合成を始めるんですな。我ながら空恐ろしい物を作ってしまったと自画自賛しておるのですが、その効果体感して頂けましたかな?」
「ふむ、素晴らしい。我々にとってこれ程有益に働くものもないのではないだろうか」
そこまでやって、漸く三四郎が口を開く。
「そんでな、親父。このイヤーン先生、素晴らしい豆を作ったその先生が三四の誕生について幾つか聞きたい事があるんだとよ」
「み、三四の誕生?! 三四郎、お前、あれを喋ったのか?」
それまで厳格な態度で会話を続けていた三一が急に慌てて三四郎を問い詰め始めた。
三四の誕生秘話は三一にとっては隠しておきたい秘密の一つであった。酒の勢いがあったとは言え、妻であるミ一との情事(?)の滑稽さは三一の酔いが冷めた後も数日間床から起き上がるのを躊躇わせる内容であったからだ。それが事もあろうにまだまともに会話を交わしたことのない時点の客人に知られているなど、到底看過できる事ではなかった。
「お前っ、三四郎っ、お前っ…!」
「何ならイヤーン先生だけじゃなくて、城下町と真白にも話した。もしかしたらマスターも聞いてたかもしれん。すまんな」
「お、お、お、」
三四郎の追撃に、三一は右手で顔を覆い俯いた。その真っ白い頭部は自身の秘密を知られていた羞恥ですっかり茹蛸の様に赤くなり、シュウっと蒸気も上がっている。本人以外には小さなことだったが、三一本人にとっては余程の辱めだったのであろう、その様子がよく分かった。
それから少しばかり、三一が気を直すのに時間はかかったが無事会話が再開した。
「ふむ………………………………、それで聞きたいこととは?」
まだ仄かな赤色が頬に残ったままだったが誰もそのことには触れず、一つ間を置いてからイヤーンが喋り始めた。
「えぇ、三四さんが誕生したその時の状況ですがね、そのダブルバイセップス? というんですかな」
「……!!」
「イヤーン先生、ちょっと待ってやってくれ」
三一は『ダブルバイセップス』という言葉を聞くや否や再度頭部をボッと沸騰させ、また暫く時間を置く必要が出た。それを見た三四郎が横やりを入れる。まだ完全に気を取り直していない状態で話を続けるのは危険だ、と判断したためだ。英断だった。
…………………………
「ふむ、私の『広知』でも引っ掛かる物はないね…」
「そうであるかっ」
無事、三四の誕生についての話し合いは済んだがその時には陽はすっかり落ちていた。イヤーンが話を振る度に顔を茹だらせ三四郎がストップを掛ける。これの繰り返しで詳細究明は遅々として進まず、また結論も出なかった。三一は恥ずかしさからか早く会話を切り上げたいようでソワソワしていた。
「じゃあ、結局三一さんとミ一さんの感情の高ぶりがきっかけになったくらいしか分からへん訳やね」
「そういう事になるね。恐らく、キーワードは『化物因子の共鳴』になりそうだね」
今までじっと黙っていた城下町少年が此度の話の結論を口にした。三一とイヤーンの会話内容からも、それ以外どうにも考えを膨らます事が出来そうではなかった。
「『化物因子の共鳴』な…。これから変な事にならなきゃいいが」
三四郎は意味ありげに呟いたが、その真意は自分自身にも分かっていなかった。ただ、過去今までに起こった準化物によるボヤ騒ぎはこういった小さな心配事を発端としていたために、どうも今後何か起きるのではないかと心が落ち着かなかった。
是以上は時間の無駄だ、とは誰が思ったのか、そして会話は次第に準化物化する兆候のある人間についての対処へ、という内容へ舵を切って行った。
「現状でどうこう出来る訳ではないが、豆を皆にも渡しておこうかね。三四郎君や少年は既に知っていると思うが、この豆は人間の体内に潜む『化物因子』の濃度を飛躍的に、然し整然と高める事が出来る。その恩恵は自身を律することの出来る準化物と成ること。準化物と成ること自体が完全な恩恵とは言えないが、少なくとも対応策としてかなりの効果を発揮することは請け合いだがね。もし、変な兆候のある人間を見つけたら無理やりにでも口に押し込んでやるがいいね、ハハ」
最後のは冗談なのか分からなかったが、三一はイヤーンから合計で四つの茶袋を受け取った。
「む、これだけか」
「その豆を作るには時間がかかってね、今渡せるのはそこまで。勿論、とある所で栽培を進めているから収穫出来次第また分けに来るよ」
「ありがたい、頂戴しておきます」
受け取った三一は、さて、誰に託しておこうか直ぐに思案に暮れた。人間と触れ合う機会が多いのは三四、それから三四郎。準化物との遭遇機会や回数を考えると傍らでかしこまっている城下町少年や、かの安宅真白も候補に挙がっていた。
そこに、引戸を開けてミ一が入ってきた。そういえば、と三四郎が壁に掛けてある古めかしい時計を見ると十九時を示していた。ピカタ家の夕食の時間だ、ミ一はそれを報せるために居間にやってきたのだ。
「あら、お客さん……。ごめんなさい、お茶もお出ししなくて」
「いやいや、お気遣いなさらずともご主人がお酒を御馳走してくださった」
「貴方! お夕食前にお酒飲んだの?」
「いや、ハハハ、他に出すものも無かったものだから…」
ミ一の問い詰めにしどろもどろに答える三一。ミ一を見る三一の顔が変に赤かった。まだ先程の羞恥を引き摺っているのか、或いはミ一を見て想起したのか。
ハハハ、と誤魔化す三一に「もう」と呆れて、ミ一はイヤーンと城下町少年に向き直った。
「お時間も遅いですし、お茶も出せなかったから、皆さん御一緒に夕食食べて行きませんか? 今日は多めに作ってしまったものだから折角ですし、ね?」
「おぉ、かたじけない! 三一さんの奥さんが作る料理だ、さぞかし美味しい事でしょう! 是非ご相伴に預からせて頂きます」
「お、俺もええんでっか?」
「勿論!」
この時、城下町少年は亜空間を通る前に真白に言われた一言を思い出していた。
『ご飯は絶対に食べないでね』
ハードパンチャーの脅威に倒れた際も彼女はそんな事を言っていた。当時はその鬼気迫る迫力に思わず唾を飲み込んだ城下町少年だったが、ここで断るのも空気を読めていない感じで嫌だったのもあって、嬉々としてミ一からの提案を受け入れた。
噂では脳に衝撃が残る程、美味いと言う。そのミ一の手料理を食べたいとは常々思っていた。その機会が訪れたのだ。真白の注意が何だ、ここで食べないでいたら次の機会は何時になるやら…。
化物家の夫婦、次男と長女、速度馬鹿と英国紳士と少年が卓を囲むピカタ家が起きてから初めての七人体制。その賑わい様に、三一はまたもや隠していた焼酎を開け、それをミ一が呆れた様に見守り、三四がタンバリンの様にシャンシャン笑う。イヤーンと城下町少年もその明るい夕食に思わず笑みが零れ、ミ一の手料理に手を出した。
唯一の純粋な人間であった城下町少年は、その日、初めて料理を食べて視界に光が生じ得る事を知った。視界だけではなく、脳内にも鮮烈な光が走り満ち、そのあまりの幸福感に昏倒し次の日の授業への出席は残念ながら断念せざるを得なかった。




