閑話休題 グパックと三四
「えー、ほんで日本語訳は『私の知らないうちにトムは幾つもの罠を突破して、核融合炉の奪還と人質であったソムローニ皇女殿下の救出を完了していた』、です」
「宜しい。少し長い文で目新しい単語も頻出する中、良く訳せている。素晴らしい、座って良し」
「はーい……アッブねぇ」
三四と真白のいる一年二組はグパック教員による英語の授業が行われていた。丁度一人の男子生徒が英文の日本語訳を任され、グパック教員に見つからぬようスマートフォンの翻訳アプリを使用してその難を乗り切った所だった。
「さぁ、物語はクライマックスを遂げようとしているぞ。未だ名前も明かされていない反国家組織による核融合炉の占拠状況を打破し、更にこの騒動に欠かせない重要人物であったソムローニ皇女殿下も無事救出された。今までの話では主人公サイドが一方的に辛酸を舐めさせられていたが、強力な助っ人であるトムの活躍があって何とかその一難を下したとてもワクワクする場面だ。ここまでの話の流れを汲んで、次の一文をピカタ三四くん。君が訳してみなさい」
「えぇっ! は、はいぃ!」
長身の化物は勢いよく立ち上がると天上に頭をぶつけて、その反動で豊かな尻を椅子の上へ戻す事となった。三四のコミカルな姿を見て、生徒たちは皆ケラケラと明るく笑い声を上げた。ドンという衝撃に天上は少し凹んでしまっており、然し誰もそのことに気付かず三四は三四で「えへへ」とぶつけた頭を撫でている。その様子を真横で座って見ていた真白も思わずクスリとしてしまった。
「もう、三四ちゃん何やってるの」
「えへへ、間違えちゃった」
「何を?」
良く分からない返答だったので素早く端的な応答をしてしまったが、恐らく自分の身長と天上の高さと立ち上がる勢いと、全ての目測を誤った事を言っているのだと真白は思った。こういった三四の日本語の誤りは今に始まった事ではなく、真白は三四が間違う度にその大体を自分の脳内で補完することで会話をしてきた。
隣の教室で授業をしていた教師が突如発された衝突音を聞きつけ心配にこちらの教室を覗きに来たが、グパック教員はそれを生徒が慌てて転んだんだと説明してさっさと帰らせた。そして咳払いを一つすると、再度三四に英文の日本語訳を任せた。
「えっと…えっとぉ……。……何々? 『トムの活躍を聞いたテレンは自分の行動の遅さに情けなくなり、次こそは自分が英雄になるんだと…』」
「ば、バカ! モロに覗き込むなや! バレとるやないかい!」
「えっ! あ、ゴメーン!」
三四は英語が得意ではなかった。いや、得意不得意を語るまでもない、そもそも小学生レベルの英単語を覚えているかも怪しい状況だった。それを知っていた真白とは反対側の隣の席に座る、密かに三四へ恋慕の情を抱く男子生徒がいじらしくも自分の訳した文を三四へ提供していたのだ。丁寧に「こっそりな!」というジェスチャーまで付けて、飽くまでも三四の功績にしてやりたいという思いが伝わる立派な反則行為であった。然しそのジェスチャーの意味を理解してかしてないか、三四は高い位置にある頭を反射的にググッと男子生徒の方へ降ろしていたのである。勿論不正はバレる。
「ふむ、岩西くん。君の行いは、ある意味では何が何でもクラスメイトを助けたいと言う気持ちに溢れる、実に素晴らしい友情の証拠だとは思う。然しだ、そういった行為はバレないようにしなければ意味がない。俺が見てしまった以上、君たちは不徳にも授業時間内にカンニングを共謀した仲良し知能犯になってしまったんだ」
「す、すんません」
「初犯だ。見逃そう」
寛容に言葉を掛けると、グパック教員は「さて」と三四の前までやって来た。
「ピカタ三四くん、この困難、どう乗り越える? もう君の頼りがいのある仲間は封じられてしまったぞ」
「あわわ」
「独力で満身創痍になりながらも突破するか、それとも素直に分からない事を告白して別の者に希望を託すのか、さあどっちだ?」
三四はその芝居がかった台詞に「ぴっ」と言って怯えるも、この突如始まる舞台劇がグパック教員の授業における一つの特徴であった。
分かる事、分からない事。それが個人によって差があることは誰しもが理解している事だ。グパック教員もそれを心得ていたので彼は決して頭ごなしに問い詰めるのではなく、少しお茶らけて和やかな空気のまま選択権を生徒に与えるのだ。この行為を快く思わない生徒もいる事にはいたが、大抵の生徒たちは好意的に捉えていた。怒られるより何倍も心に平穏は残るし、例え勇気を出して放った回答が間違っていた場合、グパック教員はそのまま舞台を続けてお茶らけた雰囲気を止めないようにし、不正解による惨めな気持ちを全部持って行ってくれるからだ。
「さぁ、さぁさぁさあ!」
「ぴっ、ぴっ…」
然し、今日はいつもより興が乗っている様子だ。相手が化物だからだろうか、グパック教員の芝居がかった台詞は普段よりも大袈裟だった。表情が実に明るい。これは何か起こるな、と真白は先見の明を持って確信した。
「さぁ、怯えるだけじゃ道は開かれないぞ! 前進か後退か、その選択は君に委ねられている。君が決めるのだ、ピカタ三四くん。君のその綺麗な瞳は恐怖を映すだけの硝子ではないぞ。その綺麗な瞳は……え、ちょっと待って。三四くんの瞳、本当に綺麗じゃない? ほら、とても綺麗だよ」
始まった。いきなり三四の瞳に見惚れ始めたグパック教員は、信じられないと言った様子で目を丸くして独り言に忙しなくなった。
「すっごい綺麗……。まるで宝石の原石から削り出されて、それを腕に名のある職人が何日も何日もかけて丁寧に磨いて精緻な加工を施した至極の逸品のようだ。凄い、瞳に射す光が様々な色に煌めいていて、俺が嘗て完成させた林檎にも勝るとも劣らないこの世の奇跡だ。俺の林檎のような瞳だ。………林檎かな? 林檎かも。もしかしたら瞳の様な林檎かもしれない。いやさすがに林檎はないか。瞳だもんな。でも仮に瞳が林檎であるのが有り得る事であればどうだろう。説明が付くんじゃないか? じゃあやっぱり林檎だ。綺麗な瞳の様な林檎だ。そうだきっと。林檎だったら俺も欲しいなぁ…」
怖い事を言い始めた。常人には理解が出来ない謎の理論で三四の瞳が林檎であることを証明するグパック教員。突然林檎に例えた瞳を、いや瞳に例えた林檎を欲しがった。珍事に慣れた真白も流石にヤバイのでは? と思い始めた時だった。
「先生、私の目が欲しいの?」
「ん? いや、目は要らない。林檎が欲しい」
「でも私の目が林檎みたいって言わなかった?」
「逆だ。瞳みたいな林檎だと言った。でも仮にそうだとしたら欲しいなぁ…」
「ん~、じゃあ、はい!」
三四は徐に自分の右目を右手で毟り取ると、その林檎大の眼球をグパック教員へ差し出した。
悲鳴が上がった。
「わああああ!!」
「ギャアアア?!」
「自分で目ん玉穿りよったッ!!」
グパック教員と三四の芝居を見守っていた生徒たちは大混乱に陥った。人の形から眼球が取り出される恐怖の事態に生徒たちは一斉に立ち上がり、吐き気を催す者、泡を吹いて絶倒する者、どうすればいいかオロオロと慌てふためく者、反応は十色であった。この教室は三四という化物の登場以来、度々予期しない珍事に見舞われる事が多かったが今回はその中でも特に群を抜いていた。
「ええええ?! 何で?! 何で三四ちゃっ、三四ちゃん!? 何で?!」」
真白の混乱もここまで来るとかなり珍しい物だった。大抵の事には動じなくなっていた真白だったが、まさか隣にいる化物が自ら目玉を繰り抜くなど想像できるはずもなかった。心配と驚愕と不思議に三四へ縋りつき、自分でも何が何やら分からなくなっていた。
「おぉ、おぉ…」
「先生、はい!」
平然と体液にぬらった眼球を差し出し、受け取りを促す三四。眼球には視神経が繋がっている様子は無く、かと言って引き千切った形跡も見られない。人間をベースにした化物ではあったが根本的な作りが違うのであろう。然し混乱極まる状況では誰一人としてそれに気付く事はなかった。
周囲の騒ぎも気にせず普段通りニッコリと笑っている三四。押し上げる目玉がなくなった右の瞼は眼窩の形に沿って凹んでおり、いつもの微笑みも別の意味合いを持っているような不気味なものとなっていた。
「素晴らしく綺麗だ。美しい…、やっぱり林檎なのかも…」
「違うッ! 呆けるなッ! それは三四ちゃんの目だ!!」
目玉を受け取ってしげしげとあらゆる角度から見直し、状況を鑑みずに適当な事を垂れるグパック教員に真白が吠えた。歯をむき出して唸るその顔は今まさに嚙みつかんとする猛犬の如き様相だった。が、矢張り三四が気にかかり振り返ってはまた心配をし始めた。
「い、痛くないの? 血が出てないよ? 大丈夫なの?!」
「うん、痛くないよ。取っても大丈夫!」
「無感動に目を取り出すなんてそんなの本当に化物じゃん……一番化物じゃん!!」
病院か? まずは目を取り返さなければ…、と解けない混乱にグパック教員と三四を見たり振り返ったりで忙しい。
そんな中、グパック教員が動いた。
「林檎、林檎か……。色こそ違えど、形、大きさも申し分ない。俺は林檎を額で割る男……」
幾種もの悲鳴が重なった中で、グパック教員のボソっとした呟きは逆に存在感があった。低く、意志の伴った声で誰の耳にも届いてしまった。
「止めぇやっ!」
「嫌や! 目ぇ割るんなんて見たない!」
「止めろぉぉお!!」
最後に真白が制止に走ったが後一歩遅かった。
グパック教員は生徒たちの反応を見るやニコりと左側の口角を上げると、額を振り下ろした。
甲高い悲鳴や金切り声の音量が一際上がった。
金属同士が衝突する激音がガキンと鳴り渡り、それをきっかけに生徒たちは静まり返り、恐るべき破壊が行われたであろうグパック教員の手元を一斉に見遣った。
「え…」
「ふむ、割れず……か」
三四の眼球は鉄をも思わせる硬度でグパック教員の額を防ぎ切った。角膜や水晶体に傷は見られず清浄を保っており、依然として眩い光彩に彩られていた。逆にグパック教員の額が裂傷による流血を催しており、血液の筋は眉間で左右に分かれて鼻の両端を伝っていた。
「素晴らしい。確かにこれは林檎ではなかったがそれ以上に価値のあるのものだ。返した方がいいか?」
「んーん、直ぐに出来るから」
三四はそう言って頭の右っかわをポンと叩くと、スロットの絵が降りる要領で右目が復活した。
「流石化物だ! どこまで俺をワクワクさせてくれるんだ、この学校に来れて本当に良かった!」
「先生欲しそうにしてからソレあげるね」
「林檎でない事だけが唯一の惜しい点ではあるが、頂いておこう。是は俺の生涯の宝になるだろう」
グパック教員は三四の右眼球をスーツの内胸へしまい込むと颯爽と教壇へ帰った。次々と起こる不測の事態は生徒たちに更なる混乱を与え、思考能力の過熱が故に誰も声を上げる事が出来ずにいる。グパック教員の次の行動に備えるため目を見開いてその姿を追うだけであった。
「英文の日本語訳は次回へ引き伸ばしてやろう。折角土産を貰ったのだからな。俺も受け取った以上、交渉成立だ」
「わーい!」
三四の幼い喜び方が不気味だ。
眼球を取り出すとか、それを平然と受け取るグパック教員だとか、その全ての遣り取りが気味の悪い夢のようで現実感に乏しい。真白もそうだったが生徒たちも同じ気持ちで、今では当たり前の存在となってしまった化物に対して、その化物たる所以を垣間見た気がしていた。人の思い至らない思考、行動…。そしてそれに並ぶグパック教員の異常性。
「どうした皆。早く席に戻りなさい」
「?」
分からない顔をする一体と一人。
三四はいつも通り微笑んで首を傾げていた。その笑顔はいつも通りの物に戻っていた。
真白はぶっ倒れそう……ぶっ倒れた。体の熱が一気に抜け上がり、それとともに力も抜けて尻から地面に落ちた。生徒たちも皆青褪め、席に戻るには一日という時間はあまりにも長かった。




