006 グパックの経歴3
「地元のスーパーを言いくるめるにも骨が折れたんだぞ」
グパックは薄々感づいていた。いくら消費者達の求める物が安価な物であったとしても少々度が過ぎており、取引先の地元量販店の態度からもそれは明らかだった。グパックはまんまと嵌められていて、ともすればいくらグパックが努力をして最高傑作を超える最高傑作を作り続けたとしても、悲願の達成は有り得なかったのだ。
「そこまでするのか…」
「そこまでするんだ。会社と言うのは世間への貢献だとか何だとか綺麗な言葉をいくら並べようと、その本質は市場の独占と金稼ぎで、そのためなら競合他社の排除にも全力でどんな手だって使うんだ。特に生意気な口を利く個人業者なぞモロだ」
グパックは一つ、勘違いをしていた。
確かに生産者としてその振舞や矜持は正に見本となるべき姿勢であったが、それは飽くまでも職人側の物の考えで、経営という観点では二の次三の次の事項であったのだ。一度はプライドを捨て果樹園の存続に奔放していたはずなのに、いつの間にか『美味い』を決めるのは商品を選び食する消費者であったことを失念していたのだ。
勿論、全ての消費者がその限りではないが世の不況が災いした。消費者の関心の向く先は味ではなく価格だったのだ。
「然し、これでここの果樹園はうちの管理下に入る。お前の肝煎りの果樹たちはうちの売上に貢献するんだ」
営業マンは歯噛みするグパックを見て得意げな様子でツラツラと喋り続けた。
「然も、お前が一人で体を壊しながらやっていた作業は潤沢な資金で購入した機械で全て事足りる。更に、成長促進剤を使う事で収穫までの時期を短縮して、これまでの倍以上の量を確保できる」
「そんなことすれば薫りが」
「まだそんな事言っているのか。薫りなんていらないんだよ。必要なのは舌に直撃する強烈な味だ、無知な消費者は言葉通り馬鹿だから勝手に納得する。『あぁなんて美味いんだ』ってな! それを下品だとかいう奴は自分に酔い痴れているだけだ。今はどれだけ商品を安価で提供して競合に打ち勝ち、この不況を生き残るかどうかなんだよ。生き残れなければ味も糞もないんだよ、職人とは言えお前も経営者であることに変わりは無かったはずなのにそんなことも理解出来ていないのか。その結果としてお前は破産して大切に育ててきた果樹園を守り切れず、味の継承すらも出来ない状況になったんじゃないか。自業自得だ、バカめ」
グパックは何も言い返せなかった。もう少し若ければその衝動に任せて一発殴りかかっていたかもしれない。然し、グパックはこの数年間で痛感していた。営業マンの言う事も、過激な言葉ではあったが間違いではない事を思い知っていたし、思い当たりもあった。固く握りしめた拳はただ震えるだけで、その矛先はどこにも向けられることなく太ももの横に並べられていた。
「一介のサラリーマンでもそんな事は分かる。お前は会社と会社の争いを知らずに、自分の世界だけで生きてきたんだ。そのツケが回って来ただけだ。最後に果樹園に別れを告げて、さっさと何処へなりと消えろ」
営業マンは唾を吐き捨てるとスッキリして帰って行った。残されたグパックは暫くは地面に視線を落とし、それから果樹園の奥へと向かった。
改良を重ねて蜜を大量に生成することが可能になった果樹たち。その奥の奥。一本だけ、改良を施さず両親から受け継いだもののまま残していた果樹があった。その果樹から採れる林檎はグパックなりの両親たちへの敬意の象徴で、両親から受け継いだ味と薫りを忘れないように、自分が思い迷わないように残していた彼の最後の意地だった。
然し、その果樹は改良を施した果樹たちによる強烈な土中養分の吸い上げによって栄養を損なわれ、もはや枯れ木寸前の状況に痩せ細っていた。枝葉を伸ばしているものの色は悪く、実を付けるなど既に絶望的な状態になっていた。グパックはその果樹の前まで来て立ち止まると、遠い思い出に浸り、じっとした。
幼い時分に見た両親の笑顔が蘇る。林檎を口にする住民らの賛美が過る。まだ町が賑やかだった当時がグパックの心を浸していく。グパックは静かに涙を溢した。その涙に歪む視界の端に、赤い丸形が映った。
見間違いかと思った。痩せ細り、今にも生命を終えようとしていた果樹に一つだけ、懐かしい林檎が成っていた。目を擦り、涙を拭き上げ、駆け寄って、やっぱり林檎だった。異様な光景だったが、グパックは是を天からの情けだと思った。もう二度と見る事はないと思っていた形、赤色。営業の最後には手入れさえも放棄していたのに、それでも林檎は鮮やかにそこに成っていた。
その林檎は、グパックの目にとんでもない魔力が宿っているように見えた。グパックはそれを捥いで口に運ぶことを一切躊躇しなかった。ジャブっと果汁豊かにフワっと抜ける爽やかな薫り。シャリシャリと咀嚼する間に溢れる涙を止める事はしなかった。夢中でかぶりつき、種までも全て噛み砕いて飲み込んだ。それと同時に幸福だった思い出が強烈な光とともに脳内を駆け巡った。光は緩やかに曲がり、青や黄色の様々な色を軌跡に幾重にも重なり、やがてその光はグパックの視界にも及んだ。
それが想起される過去の幸福によるものだったのか、或いは思い出に映る林檎との再会によるものだったのか。グパックは嘗て体験したことのない幸せに満ちた時間を堪能した。
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「と言うように、俺は英語教師として君たちの前に現れる以前にはこのような失敗があったんだ」
思わぬ壮絶な過去に静まり返る教室。真白もグパック教員がそんな波乱万丈な人生を歩んできたとは露知らず、あまりのショックに目を見開いてその話に傾聴していた。
「いいかい君たち」
暗い話であるにも関わらず力強い意志を感じる眼で生徒たちを見遣るグパック教員に、茶々を入れる者など誰一人としておらず皆次に紡がれる言葉を待った。
「俺みたいな職人であり経営者でもあった者は、どちらの立場の考えを優先するか常に葛藤が渦巻いている。それは雇用者と労働者が一つの物事に対して持つ考えが各々違う様に、職人と経営者でも自身の理想を追求するのか或いはシビアに事業の存続と言うものを実現させていくのか、というところでその在り方が問われる。俺は職人側に傾倒し過ぎていたためにこのような失敗をした。
詰まる所、どちらの考えもバランス良く分かっていればこんな失敗はなかったんだ。一つの視点に集中するのも、集中する物事の理解をより深めるためには決して間違ったことではないが、行き過ぎると片方を忘れてしまう。君たちにはそんな思いをして欲しくないんだ。
そのためには教育が必要だ。自分がどちら側の思考に傾いているのか、そして反対の考えにはどういった戦略や対策があるのか思料する。これを今の若い内にしっかりと育む事で、君たちの将来の失敗の確率は確実に下がるだろう。もう一度言うが、俺は俺みたいな失敗を君たちに繰り返して欲しくないと思っている。君たちには科目一辺倒ではない俺の授業を通して、自分の考えをしっかり把握して貰い将来の活躍に是非とも活かして貰いたい。長くなったが俺の自己紹介はこれで以上だ。これから宜しく頼む」
誰ともなしに自然に拍手が生まれる。一人、また一人。その音はどんどん大きくなって一つとなり、そしていつまでも長く続いた。皆、感嘆していた。中には涙を見せる生徒が現れるまでに壮絶で悲しい、一人の男の人生だった。
グパック教員が現れた始業式の当日、真白はまた厄介者が現れたと頭痛に眉を顰めていた。然し真白の悩みの種である彼も、一度教壇に立つと何と立派な姿勢を見せるのであろうか。彼は間違いなく生徒たちを教え導く一人の教師としてここにいるのだ。
「皆、ありがとう。俺もこういう風に迎え入れて貰えて感激している、正直ホッとした。まあ、初回の授業はこんな感じだろう」
照れ臭そうに手を挙げて拍手を制するグパック教員の言葉に拍手が鳴り止み、代わりに生徒たちはグパック教員の話に対する感想に次第に騒がしくなっていった。
「先生凄いなぁ、尊敬するわ」
「最初はヤベー奴かと思ったけど、やっぱ経営者やってたくらいやで強烈な性格や行動しとったんやな」
「私、少し泣いちゃった」
「ねー、ためになる話だったね、グスっ」
真白と三四もグパック教員の話に感銘を受けこっそり、と言っても三四が大きすぎて隠れることはなかったが、兎も角こっそり互いの顔を近づけて喋っていた。
「ねぇ真白ちゃん、何だか凄いお話だったね」
「うん、まさかこんな人だとは思ってなかったよ。準化物なのは変わらないけど、それでも良い先生になってくれそう」
「凄い話だったってのは分かったんだけど、経営者とか職人とか、私にはちょっと難しかったな」
「確かにレベルが高かったね。また聞いて勉強したいね」
林檎を割る事はさて置いて、真白はグパック教員に対しての考えをちゃんと改めた。教師としては立派だ。教師としては信頼がおける。『教師としては』という事を強く強く頭に刷り込んだ。
喧騒も一頻り終わると、それを見計らって手を叩いて再度注目を要請するグパック教員。またどんな説法が聞けるのかと生徒たちは期待に輝く瞳を教壇へ向けた。
「君たち、最後にこれだけは言わせてくれ」
そう言うとグパック教員は茶色い背広の内胸に手を突っ込んだ。不吉な動作だった。
その一寸した動作を見て、ここまでは良かったのにな、と真白は即座に何が起こるか予測出来てしまった。
「俺は林檎を額で割る男、George Pitman - "Apple Crusher"。ふんッ。君たちの英語教師だ」
背広から取り出したるは火炎の如き赤燃ゆる一つの林檎。額を振り下ろして一撃に打ち割る。林檎は物の見事にバラバラと砕け、爽やかな果汁が辺りに飛び散った。
「何か悩み事があったら迷う事はない、俺に相談しに来てくれ。一緒に林檎を割ろう! そうすれば頭がスッキリしてまた勉学に励むことが」
グパック教員が言い終わらぬ内に、タイミングのいいチャイムが鳴り演説を断絶した。
「…ふむ、俺の初回の授業はとりあえずここで終わりだなっ。それでは君たち、待っているぞ」
教壇と床に落ちた林檎の破片を手に集め持つと、グパック教員は揃えた人差し指と中指をキザに振って去って行った。
生徒たちはぽかんと間抜け面を晒し、真白は嫌そうな顔をしてグパック教員の撤退を見送った。変な空気が残ってしまっていた。
グパック教員は割れた破片だけを持って行って飛び散った果汁までは掃除して帰らなかったので、真白は「また私たちがやらなきゃいけないんだな」、と何処か他人事のように考えていた。三四はいつも通り首を傾げてニッコリ微笑んでいた。




