005 グパックの経歴2
結果として、グパック青年の作る林檎と他所のそれとでは明らかな差があった。
グパック青年は、自分が管理する果樹園で採れる林檎に自信があった。幼い時分から身に付けた誰にも負けない林檎育成の素養に合わせて、大学で得たデータ活用の知識を存分に組み込んでいたからだ。個人農家としては大袈裟なくらいに整えられた環境に、自身の理想とする味と香りを内包するように自然的品種改良を施した最高傑作達。他所の物の方が圧倒的に甘味が強かった。
然しそれはグパック青年に取っては余りに下品な甘味であった。これでもかと蜜の詰まった林檎は香りが損なわれており、林檎の味がする砂糖の塊を食っているかの様だった。一口目に含むと美味いには美味いが、食い進める度に糖分が口内に溜まり、一個を平らげるには堪らず放り出してしまう様な雑な出来栄えであった。
こんなものが売れているとは俄かに信じられなかったグパック青年は、果樹園の世話を放棄して各小売店の林檎の売上をその目で確かめに一日を費やした。その結果は、愕然とするものばかりであった。
林檎を求めに来たであろう客は商品が並ぶ棚の前までカートを押して来ると、一番美しく映る林檎をしげしげと見下ろし、次にその値札を見るや直ぐに隣にある他所の林檎の値札へ興味を移した。その商品はグパック青年のものと比べ、僅か一ドルばかり安いものであった。カートを押してきた婦人はその商品を手に取ると、カートに乗せた籠に入れ次の売り場へ去って行った。次も、その次の客も同じ挙動を見せた。
二人組の老年の女性たちが現れた。彼女らはグパック青年の林檎を手に取ると、眉を傾げながらに言い合った。
「ピットマンさん宅の林檎、美味しいんだけどねぇ」
「そうよね、一ドルも高いんだもの」
「安さに勝るものは無いわよねぇ、特にこんな不況じゃぁ」
「そうよね、ちょっと甘味がキツいけど安さには代えられないわ」
老年の女性たちは安い林檎を籠に取って去って行った。
次に、若者のカップルが来た。彼らは安い林檎を手に取ると、声高らかに言い合った。
「お! ここもこの林檎安いじゃん!」
「ホント! これ甘さが強くて美味しいのよね」
「隣の高い林檎は何が良いか分かんねぇよな。味が薄いし」
「ホント! 料理に合わせても存在感が無くなっちゃう」
若者のカップルは安い林檎を籠に取って去って行った。
グパック青年はもう耐えられなかった。
…………………………
消費者の選ぶ商品はより低価格な物へ移行していった。それも関係あるのか消費者の舌もそういった商品の味にすっかり飼い慣らされてしまっていた。嘗てその薫りを高く評価されたグパック青年の林檎は、味のしない高額な贋作として認識されていった。
この状況を身を以て感じたグパック青年は自身のプライドと果樹園の存続を天秤にかけ、後者を選んだ。プライドで飯は食っていけない。グパック青年はそれを良く分かっており、せめて次の後継者が来て育つまで何とかこの果樹園を保持しておきたかった。
色鮮やかで大振りで薫り高い林檎の特徴を少し抑えて、その分甘さで舌が爛れる程の蜜が差すように品種改良を行うことを目標にした。
まずは蜜入り林檎の研究からだった。既に市場に回っている林檎の苗で商売することは、それまで自身の林檎を研究し改良してきたグパック青年の僅かながらに残った矜持が許さなかった。
グパック青年は日本から評価の高い蜜入り林檎を幾つか仕入れて、見た目、色、甘味、酸味、香りなどを事細かく記録に取り、中身を割って蜜の量を確かめた。そしてグパック青年の舌と鼻が許す範囲で最も参考にしたいと思った林檎を選定すると、その林檎を大量に仕入れて個体別に記録を取った。
また林檎に蜜が差す要因となるソルビトールという物質についても調べ上げた。光合成により葉で作られたソルビトールは実へ送られ果糖やショ糖に変化。上手く光合成をさせる事で実へ糖分が蓄積されて行き、やがて糖分が飽和状態になると細胞間に水分として染み出す、これが蜜の正体だと分かった。品種によって蜜の入りやすさには違いがあったが、幸いにもグパック青年の果樹園の品種は適性があった。そうして時間を費やして年が明けた。
研究と理論の構築は何とか果樹の剪定時期に間に合った。グパック青年は、甘い蜜となるソルビトールが多く合成されるよう、今までに蓄えた知識を存分に活かして白銀の雪景色の中剪定作業を行い、春を待った。
春が訪れるまでに、更なる勉強を積んだ。理論を補強する知識を学ぶことに精力を惜しまなかった。そして草刈りや農薬の散布などに気を遣い、今までは手を出していなかった恐ろしく慎重で細かい作業を懇々とやり続けた。特に受粉作業に至っては、丁度手伝いに来た支持者があまりの精密作業の疲労に逃げ出す程徹底されていた。
そして夏の香りが漂って来た時期、実を大きくするために不要な未熟な林檎を除き、それから鮮やかな赤色が宿るよう太陽光に実を満遍なく当てる作業を行った。流石にこれは一人でやっていてはどうしようもないので、とは言っても手伝いは望めそうになかったので自分で道具を作り、それらを駆使して何とかこの作業をやり切った。
そして、十月。とうとう収穫が始まった。
グパック青年が育て上げた林檎は、色鮮やかで大振りで薫り高いという特徴を残したまま、その実の中に蜜を内包することに成功した。今までの特徴は蜜の内包を優先するためにあえて抑えようと思っていたので、この想定外は非常に嬉しかった。
念のため二個三個と割って行ったが、そのどれもが見事な黄色の蜜が存分に染み出していた。問題の味だったが、何の文句も付けようがなかった。ソルビトールによる甘味は下品ではなく、寧ろ爽やかだった。この爽やかさが元々あった特徴の薫りと良く合っていて、その美味さは倍どころではない。とんでもない傑作を生みだしたに違いないと、グパック青年は拳を握って勝利を確信した。
グパック青年は早速この最高傑作を持って、今は政界に身を置く、嘗て大学在学中に出来た友人の下へ向かった。彼はグパック青年の住む町の政治に強く関わっており、その彼の手を借りてこの林檎を大宣伝して貰おうと考えていたのだ。
グパック青年は久しぶりの邂逅もそこそこに、林檎の説明と自身の考えを彼に披露した。その日は自身の気合を高めるために、自分の体型に合うようオーダーした茶色いピシリとした一張羅で臨んでいた。意気揚々と説明を終えると実食に移った。
「美味い。僕は君のとこの林檎が大好きで、妻にはいつも君のとこの林檎だけしか買ってこないように頼んでいたんだ。それがどうだ、今までのはまだ完成には至っていなかったんだ。これは凄いよ。間違いなく最高傑作だ。蜜の甘さと昔からのこの薫りが堪らない。勿論手伝わせてもらうよ。あまり大々的には出来ないから全て君の望み通りとは行かないけど、きっとこの林檎の美味しさを広げるよ」
その言葉通り、グパック青年の最高傑作達は飛ぶように売れて売上は順調に回復していった。値段は据え置きで、然しその内容がすっかり洗練された林檎はメディアでも注目され、噂が噂を呼び、遠方から買い求める人が後を絶たない程人気の商品になった。政治家の男はグパック青年との約束をしっかりと果たした。彼は何も悪くなかった。
グパック青年は勿論こんな事態は想像していなかった。味や薫りは抜群、値段はその相応であり決してふっかけていた訳ではなく、そればかりか少し赤が出るのも覚悟の上だった。政治家まで動かして広めた最高傑作は、呆気なくその絶頂期を終え、一方で安価で味も薫りも劣る林檎の方が売行きが芳しくなっていった。
グパック青年は酷く混乱した。消費者達からの評価は好意的なものばかりで、躓く事など一切考えられなかった。実際固定のファンは付いたようで、全く売れていないという事ではなかったが、努力の甲斐に比べるとその差はグパック青年を狂わせるには十分な衝撃であった。
グパック青年は、再度安価な林檎を大量に購入して中身を改める作業を血走った目で行っていた。衝動のままに買った林檎の数は軽トラックの荷台を半分以上占領し、その一個一個を割って改めるにはどんな時間の無駄か分からなかったが、その時のグパック青年に正論は通じなかった。
一つ割って蜜の量を確認し、一つ割って蜜の味を精査する。丁寧にナイフを使っていたが、これでは効率が悪いと木製の机や椅子の角にぶつけて割り始めた。然し、木製の家具に糖分の多い果汁が染みていくのは気分の良い物ではなく、他に身近で具合の良い物がないか探して、遂に自分の額で割ることを思いついた。拳や手刀でも試してみたが、立ち上がったりして時間がかかるし、何より林檎を破壊するに至る出力などずっと続けられる訳もなかった。それからすると硬い額で割れば座りながらでも出来るし、姿勢も変えなくて良い。割って直ぐ中身を視認出来るのも良かったし、何より自身の体の硬い所を使う事でその硬度も確認することが出来た。初めは林檎の硬さに、打ち付けた額がグワングワンと意識を揺らしたが次第に慣れて行った。
割って、割って、割って。
何度見ても何度口に含んでも、最高傑作には程遠く劣悪な出来栄え。ただ安価というだけで消費者達に支持されているのは俄かに信じられなかった。それ程、グパック青年の物との差があった。
失敗なのであればもう一回挑戦すればいい。グパック青年はまた一年を研究に費やし、更なる改良に成功し、また宣伝して、そして負けて。その次の一年も研究に明け暮れた。その次の年も、またその次の年も、幾度も繰り返されるグパック青年の敗退劇に、彼を見守っていた地元住民たちの目は憐憫にその色を変えていた。そして価格競争に追いつけなかった数々の会社が潰れ、それに伴って寂れていく片田舎でグパックは三十三歳の誕生日を迎え壮年となっていた。
失敗に次ぐ失敗。いや、成功はしていたのだがその度に常識を覆される。消費者たちの多くは味ではなく、値段で食を決めていたことを痛感した数年間だった。
もう資金が無かった。自身の生活を顧みない研究に狂うその長年の暴挙は、当然の如く彼の生活環境を脅かし、食事を取るにも三日に一度申し訳程度の塩をかけたパスタが限界の究極的な状況に追い込まれていた。そんな状況でまとまな林檎を作る環境を整えられるはずもなく、嘗て色鮮やかな果実を実らせていたグパック青年の果樹園には影が射し、グパック青年も遂に体を壊してしまい決断せざるを得なかった。
「ようやく潰れたか。なかなかしぶとかったじゃないか」
ギラついた眼をした、中年の男の営業マンだった。
彼はグパック青年の果樹園整理と破産の噂を聞きつけ、憎らしいにやけ顔を携えて駆けつけたのだ。




