001 林檎おじさん
「真白ちゃ~ん」
「三四ちゃんおはよう」
夏服眩しい、大小の美少女。片方は巨大だが見た目に分かりやすく、片方は慎ましやかに、実に見目麗しかった。
「夏休み楽しかったね~、変な事もあったけど」
「うん、そうだね」
久しぶりの登校、今日は新学期初の行事だ。前髪の際どい校長の退屈で長ったらしい説教を聞き午後からは解放される、休み惚けから立ち直るスロースタートの初日である。
「えっ、あのコーヒー屋さんのマスター準化物になっちゃったの?!」
「そうみたい。四兄ちゃんから聞いたんだ! コーヒーもパワーアップしてるって!」
「うぅん」
何故こうも直ぐに頭の痛い話が出てくるのだろうか、新学期が始まる折角の清々しい空気が吹き飛ばされてしまい、真白は思わず唸ってしまった。
「でも一応、害は無いって言ってたよ」
「そうなんだ…良かったぁ」
「それでね、ハードパンチャーが現れてね」
「ちょっと待って」
嫌な名前が聞こえて咄嗟に話を遮ってしまった。真白の記憶に蘇る忌まわしい存在。意味不明な言葉で街中を追い回され、変な屈辱を味わうことになった元凶。既に頭痛がしているのにそんな奴の名前を聞いたら耐えられる訳がない。もうさっさと教室に行ってしまおう、そうしたら変な話も聞く必要もなくなるだろう。そう思い立ち、真白は三四を急がせて足早に下駄箱へ向かった。
学校の久々の喧騒に新学期が遂に始まる空気を感じながら、真白は下ろしたての上履きに足を収めると三四の方を振り返った。本当に何の気も無い大した理由でもなかったが、何となく沢山の視線を感じたのだ。三四を見るもそれに気付いている風はなく、ニコニコと真白の頭より大きい上履きを履こうと上体を前屈させていた。そしてその手が上履きを整えているその時、三四の後ろに複数の影が見えた。
「こら、何見てるの!」
「やっべ」
真白は得心した。真白の友人である三四は、その丈実に約九尺を誇る超身長の化物だ。然も中々に凹凸豊かでいて、長く流れるブロンドの髪は透き通る羽衣の如くその恵体を包み込み、まるで神話の女神が絵画から抜け出してきたかのような非現実的な美しさと妖艶さを放出していた。その美麗なる容姿は、いつも隣にいて見慣れている真白であっても時折見惚れてしまう程に完璧と言わざるを得なかった。
そんな美少女を思春期の男子たちが見逃すはずもない。彼らは例え対象が三四でなくとも、女子に針の穴程の隙があれば鋭い嗅覚でそれを察知してその眼光を研ぎ澄ますのだ。そして、心の内に獣を飼う彼らの頭の高さには三四の動きに合わせてじゃれるスカートがあり、そこからは潤いと張りを携えた健康的な太腿が二本、伸びているのだ。布を押し上げる若い臀部、際どい影をチラつかせる肉の躍動、季節がら少し汗ばんでいる。そんな刺激的な光景、無論、彼らが仕損じる事はない。その獣心は粘つく光を瞳に宿し、偶然訪れた好機を確実に脳裏へ焼き付けんと血の限りを込めて睨めつけていたのだ。
真白の注意にバラバラと走り散っていく男子たち。全員が全員、蒸気した頬に長い鼻下を振り回して逃げていく様は不愉快以外のなにものでもなかった。真白はもう誰も盗み見する不届き者がいない事を確認すると、未だ状況を理解せず首を傾げる三四へ向き合い様注意を飛ばした。
「三四ちゃん、身長高いんだから気をつけないとダメだよ」
「? 何で?」
「ただでさえ普通の人の頭の位置に腰があるんだから、その、色々見えちゃうから」
「なんで見えちゃダメなの?」
真白はこめかみに亀裂が走る音を聞いた。折角の注意喚起が意味を為さない。人間の常識と言うか羞恥とか言うか、そう言ったものがこの化物には一切ない。余りにも幼く純粋な三四の問い返しに、自分が気を張るしかないのだ、と真白はもうそれ以上何も言う事はなかった。
…………………………
階段を二階三階と上がっていくにつれて、懐かしい声達とその喧騒が届くようになってきた。小さな一悶着はあったが、とりあえず目的の三階、教室の前まで辿り着く事が出来た。
「教室も久しぶりだね~、みんな元気かな?」
「うん、どうだろ……ん?」
扉を引いて開けると、何やら人だかりが出来ている。クラスメイトの男子二人と、茶色のピシリとした背広を羽織った男の外国人が中心となっているようだ。然し、真白はその外国人に見覚えが無い。教師陣にはいないはずの顔だった。
「新学期早々、喧嘩とは何事だ!」
「えっ、あんた誰?」
「俺はこの学校に新しく赴任してきた英語教師だ」
「ほぉ~、日本語めっちゃ上手いやん」
「そんな事はどうだっていいんだ、俺がここの新しい英語教師だと今知ったとて、それは後でも分かる事。問題なのはお前たちが神聖な学び舎の、それも新しい学期が始まる今日ここでいきなり喧嘩をし始めた事だ」
自身を英語教師と名乗る男は、もっともらしい説教で男子生徒二人を叱責していた。周囲の生徒たちはその様子を見守ってはいたが、新しい先生と聞くに俄かに騒めき始めた。
「えー、新しい先生やって!」
「渋いおっさんやん、嫌やわぁ」
「あのスーツ結構高いんやないか?」
「背ぇ高っか」
夏休みを挟んでの新しい人物の登場に、教室中はあれやこれやと夫々の感想を垂れ、何やかんやで歓迎している雰囲気を醸し出していた。真白もその一人で一瞬何事かとは思ったが、唯の喧嘩に教師が仲裁に入ってるだけだと分かると安心して教室に足を踏み入れた。が、異変は直ぐに露見した。
「お前達、これを見ろ」
「ん?」
「林檎やん」
英語教師は徐に懐から真っ赤な林檎を取り出した。何の変哲もない、見た目に瑞々しい素晴らしい果実だった。
「ふんッ」
唐突に、その林檎に額を打ち下ろし、真っ二つに砕く英語教師。
「お前たちは、元々一つの林檎だった。今まで仲睦まじく、一つの価値観を共有していた」
「「?」」
「然し、今のお前たちはこの林檎の様に互いの意見に割れ、醜くもその断面を晒し合っている」
「「??」」
理路整然としている様に言い放つが、全くその意図の読めない説教だ。英語教師は唖然とする二人を置き去りにして、二つに割れた林檎の断面を手でそっと合わせると、それを見せつけ再び口を開いた。
「そんな不毛な争いは止せ。お前たちは手を取り合って、またこの林檎のように一つなって歩んで行きたいと、そう思っているんじゃないのか!」
「「????」」
まだ全員が揃っていないとは言え、総勢二十人前後の生徒たちは突然の状況の変わり様に、誰も追い付けていなかった。何故、林檎を額で割ったのか。何故、その林檎を使って説教を始めるのか。唯一人、真白だけは嫌な予感に眉を顰めていた。
「でもそんな事はさせない。ふんッ」
英語教師はフっと微笑みに表情を変えると、またもや懐から林檎を取り出し、そして額で割った。よく見ればスーツのあらゆる箇所が丸形に凸凹としている。まさか、あれは全て林檎なのではないか? 真白はそう思った。そしてそれは恐ろしくも的中していた。
「例えお前たちが再び一つの林檎になったとしても、ふんッ。俺がまたこのように二つに割る、ふんッ。俺は林檎を額で割る男、ふんッ。と言うかそもそも割れた林檎は一つに戻らない、ふんッ」
取り出しては額を擲ち、取り出しては林檎を砕き、英語教師は一気に四つ割ったところで、赤にくすんだ色の混じった、恐らくは痛んでいるであろう汚く萎んだ林檎を取り出した。
「見ろ。お前たちは瑞々しく、爽やかな甘味香る林檎ではない。この痛んでグズグズになった林檎のように腐れたさもしい心を持った人間達だ。これを割るとどうなるか、ふんッ」
英語教師は躊躇なく額を振り下ろすと、林檎を爆散せしめた。今までの林檎の様に綺麗に砕かれることはなく、ベシャッと汚い汁を飛び散らせながら無様に潰れる林檎。その腐臭立つ汚汁は英語教師の額を浸し、二人の生徒たちにもその被害は及んだ。
「え、くっさ」
「めっちゃベトベトするやんけ、きっしょ」
「分かったか? 日本には腐った蜜柑という言葉があるが、それは林檎も同じこと。お前たちは、その浅ましい性根で周囲を巻き込み、汚染し、組織を内側から瓦解させる悪の傀儡なのだ」
謂れのない過ぎた言葉を放った後、英語教師は一際赤く大きな林檎を取り出して、矢張り額でそれを割り…
「次はお前たちを"こう"する。お前達の頭を割る」
「ちょっとグパック(George Pitman - "Apple Crusher")先生! 何してるんですか」
恐ろしい言葉を吐いたところで、別の教師が教室に乱入してきた。先刻、城下町少年が職員室に行って喧嘩の仲裁を頼んだのがその教師で、事態を聞くや否や直ぐに飛んできたのだ。
「むっ、体育のオバケゴリラ!」
「誰がオバケゴリラですか! 小竹憲也ですよ! 生徒たちが喧嘩してると聞いて走って来たのに、何ですかこの林檎の残骸は! 変な名前してると思ったらホントに林檎なんか割って!」
「それは俺が林檎を額で割る男だからして…何をする! 放せ!」
「うわ臭っさ! 林檎腐ってたんですか?!」
体育教師をしているだけあってその腕力は凄まじく、暴れる英語教師は呆気なく取り押さえられ引き摺られて行ってしまった。
「放せぇー! 俺はあいつらをこの林檎のようにしてやるんだぁ!」
「バカな事言ってないで式の準備してください!」
物騒な言葉が遠くなっていき、騒ぎは落ち着いたものの怒涛に押し寄せた謎の展開に教室は静まり返っていた。皆、初めての珍事に放心し何が起こったか頭の整理に忙しかったのだ。
真白はもう、ぶっ倒れそうだった。あれは完全に準化物だ。とうとう学校にまで現れ、事もあろうにそれが新しく赴任した教師だったのだ。これから巻き起こっていくであろう事件の予感に、長期休暇に癒えたはずの真白の心労は一気にその勢いを取り戻すことになった。
「なんかエラい先生来てもうたな」
「おぉ…喧嘩しとる場合とちゃうかもな…」
酷い嵐に見舞われた男子生徒二人は、奇妙極まる英語教師の登場に荒ぶる感情を沈め、事冷静に言い合っていた。もう喧嘩をぶり返す素振りもなく、いつもの仲の良い友人同士であった。事態が終息し、それから合間を空けずに再度階段を昇ってきた城下町少年が顔を覗かせ、不思議な空気に静まる教室を見て真白に声を掛けた。
「あれ? さっきすれ違った外国人なんやったん? 喧嘩は?」
「……」
げんなりした顔で無言のまま城下町少年に眼垂れる真白、端正な顔立ちが台無しだ。一方でいつも通り、ニコやかに首を傾げている三四。城下町少年は何が何だか分からぬまま、ずっと不思議そうな顔で二人の様子を往復していた。




