閑話休題 箙瀬と城下町3
中一日を置いて、城下町少年は漸くパソコンの前に向き合った。だが、それは再度文章の構成に臨んだわけではなく、ファイルを開くとさっさと印刷ボタンを押した。
昨日、終日考えて、考えた結果が今の行動だった。城下町少年は印刷した用紙を手に取ると、簡単な鞄に突っ込んでズカズカと表へ繰り出した。
…………………………
「おぉん! 出来たか!」
行き先は仕事を振ってきた箙瀬の家だった。当の箙瀬は待ってましたと意気込み、城下町少年を部屋へ上げた。
「早よ見せてくれ!」
客人であり、添削の先生でもある城下町少年の来訪に、箙瀬は冷えたジンジャーエールの缶をグイと渡すと原稿を急かした。城下町少年が鞄からそれを取り出す間もソワソワとして落ち着きがない。正座で肩を揺らし、今か今かとその登場を待った。
「これや」
「なんや、一枚だけか。そんなんじゃ俺の熱い思いは…」
「言葉に凝縮した。読んでみ」
渡した原稿の量を想像していた箙瀬は、たったの一枚だけの完成品を見て訝しげに言った。ともあれ、まずはその内容を改めない事には難癖の付けようもないので、城下町少年に促されるまま原稿に目を落とし、すぐに頭を上げた。
「おぉん、城下町」
「……っなんや」
「長い、読み聞かせてくれ」
「…」
妹と同じ反応をされた城下町少年は目の下あたりをピクリと動かしたが、文章に慣れない人間に無理を言ってもどうしようもない。妹の時と同様、甘んじて読んで聞かせた。そして、その内容とは一度目に作ったものと何一つ変わらぬものだった。
「おぉん、なんで『貴方を呪います』って言葉があんねん」
「それはおまんの強烈な感情を凝縮した表現方法で、そうすると相手の目にも頭にも強く印象が残ると思わんか?」
「おぉん、言われてみればそんな気もする…」
妹との違い、それは箙瀬がりんごを遥かに上回る馬鹿だったことに他ならない。自分は勉学に縁のない人間だ、と思う負の自負心が追い風となり、箙瀬は難なく騙され納得してしまった。再度用紙を受け取ると、箙瀬はじぃっとそれと格闘し何とか自分でも内容を噛み砕こうと、時間はかかったが遂に最後まで読了した。
「おぉん、やっぱし文字はキツいな。知らん単語もようけあったわ」
その言葉に思わず「嘘やろ」とツッコミそうになった城下町少年だったが、未だ香る記憶に臆病風が吹き、思い切った発言を押し留めた。弱みを握ったとはいえ、怖いもの怖いのでそうそう克服できそうにない。箙瀬の前では城下町少年はまだまだ臆病だった。
「ほんでも感謝するわ。今までの事はほんまに悪かった。何も言い訳はせん。男、箙瀬、二言はない。お前の好きな事で俺をいたぶってスッキリしてくれ」
「…いや」
そんなことを言われても、と城下町少年は弱気にボソボソと答えた。神前に構えるが如く物静かに回答を待つ箙瀬だったが、城下町少年は未だに箙瀬の目を見返す事ができず、入口の引戸の隅の方にずっと視線を逃がしているのだ。痛めつけられてきた過去に弱弱しくなった性格の所為でもあったが、それよりも妹にすら非難された内容を改竄もせずに放り投げた事に引け目を感じていたのだ。繊細にも、熱に浮かれる人の子を騙す度胸は持ち合わせていなかったのだ。
「ほ、ほんまにそれで大丈夫なんか? 変なところはないか?」
「おぉん。と言うより、俺には分からんからお前を信用するだけや」
心臓を締め付けられるような痛みだ、言葉を聞くや胸が苦しくなる。奴は俺を殴り、けたぐり、血を吐かせてきた憎き人間だ。滲む涙も地を汚す吐瀉物も奴にとっては一笑いのイベントでしかなかったのだ。制止や懇願など聞いてくれた試しなぞなかったではないか。何故、そんなにも事ここにあって純粋なのだ。何故そんなお前の口から感謝を聞かねばならんのだ。城下町少年は半分気が狂いそうだった。
城下町少年がそんな葛藤に顔の面を引き攣らせている中、箙瀬はその内容を自分の字で出来るだけ丁寧に原稿用紙に落とすと、予め宛名を書いた大きな茶封筒を用意して、どこで仕入れたのか押したベゴニアを一緒に同封した。そして、箙瀬は惜しみない感謝を掛け、城下町少年はその度に気分が悪くなり、程なくして解散の運びとなった。
箙瀬は城下町少年を見送ると、少年が帰るその逆の方角にあるポストまで歩いて、神妙な顔で、時間をかけて封筒を投函した。投函してからも暫くは俯いたままで何か思いに耽っていたが、キッと切り返して家に向かって歩き始めた。然し、砂利を踏みしめる音が聞こえる中、家が近くなってきて、その時には口がキュウと窄まり、食いしばった目からは光る雫が筋を作って頬を滑り落ちていた。これが、もう彼女を見る事の無い悲しみのためなのか、彼女の横に立つ夢を失くした悔しさのためなのか、或いは両方なのか。当の本人である箙瀬には見当が付かず、その涙の意味は永遠に誰にも知られることは無く畦道に沁みた。
この日、箙瀬は一つの別れを得て自分の思いに区切りをつけることになり、とは言え夜には「たまっち」こと大和屋たま嬢のCDを古いものから順にかけて流し、最後の思い出に浸りながらまた存分に泣いた。一方で城下町少年は後味の悪い思いをして、夏休みの最後の最後にとんでもない事に巻き込まれたものだと、帰宅してからも顔の歪みが取れる事はなかった。妹からそれを揶揄われるも、返す気力なぞとうに無い。その日は直ぐに寝た。こうして、各々は各々の心情のまま残り僅かな夏休みを過ごし新学期が始まるのであった。
――――――――――
「え、なにこれ」
「どうしたんだい、たまっち」
「たまっち」こと大和屋たま嬢が所属している事務所に、一通の茶封筒が届けられた。ファンからの最後の便りだ、と楽しみに封を開けた大和屋たま嬢だったが、その顔は直ぐに凍り付いた。不思議に思ったマネージャーらしき男は、箙瀬というあまり見ない苗字を見て、「あぁ、ファンクラブの」と理解した。凡そ、その封筒の大きさからして最後のファンレターをプレゼントと一緒に送って来たのだろうと、そう和やかに思っていた。
「なんか怖いんだけど…」
「なに? 脅迫文か何かだったか?」
男は箙瀬と話したことがあったが、挨拶もしっかりと返し会話も成り立つので少なくとも彼女に害を与えるような人間でないと思っていた。然し人の心など案外すぐ変わるもので、もしかしたら此度の引退を受けて厄介な存在へと様変わりしてしまったのではないかと考え直し、大和屋たま嬢から手紙を手渡されると、見てゾッとした。
その手紙は何かの液体に湿り、書かれた字が滲み崩れていた。手紙の最後の段落であろう塊の中には「呪い」という言葉が見え、そして同封されていた物体は鮮やかな色の上に黒々としたシミが覆っており、何か儀式にでも使用されそうな冒涜的な呪物のように見えた。まさかこんな恨みを込めたような手紙が届くとはさすがに考えておらず、男は封筒事それらをゴミ箱に投げ捨てた。警察に相談しようかとも迷ったがこれから幸せな人生を歩む彼女の事を鑑み、大事だけは避けてやりたいと考え、顔見知りでもあるので後日勇敢にも送り主である箙瀬の家へ単独で突撃し、あの手紙の理由を直接聞いた。
突然の、久しぶりの邂逅に箙瀬は喜び、そして大和屋たま嬢の事を聞きたかったがどうも様子がおかしい。何か少し怒っているような雰囲気があるので話を聞いてみると、大変な事になりかけていると分かり、一通り謝罪に頭を下げた。
「いや、それはスンマセンっした。何が悪かったんやろか」
「結構な水分量でしたよ、何か溢しましたか? それに表現方法として確かに強烈だけど、手紙には『呪い』は使わないように。勘違いされても文句言えないよ」
無事誤解が解けたことで会話に花を咲かせる。詳細は言えないが、大和屋たま嬢はこれから社会人となって再来年には身を固めるという事を聞くと、箙瀬は少し寂しそうに視線を俯けたがすぐに取り直してその門出を改めて祝った。暫く大和屋たま嬢と自身の事を言い交し、一時間もしないうちにマネージャーは帰って行った。
さて、あの手紙に何が起こったのか。
内容もマズいと言えばマズいが、答えは簡単で、箙瀬が馬鹿だったことに理由はないのだが…。実は箙瀬、手紙を書く際に特性をしっかり理解していない水性ペンを、他に見つからなかったという理由で用いてたのだ。然も悪い事に、その水性ペンは先が馬鹿になっており通常よりも多くのインクが滲むようになっていた。それで書いた文字が乾かぬ内に封筒へ押し込み、それを大事そうにしっかり抱えてポストに向かったために必要以上に紙を湿らせていたインクは暴れ滲み、折角同封した押し花はその余波を受けグロテスクな毒花にすっかり姿を変えてしまったのだ。受け取った方は堪らない、世にも恐ろしい怨念の賜物と見間違えるのも無理ないだろう。
斯くして箙瀬の最後の激励は変な形で終息し、それから数日後、大和屋たま嬢は事務所から無事引いた。突如送り付けられた呪物によって小さな騒ぎを起こしかけた箙瀬は、然しそんな事由も理解できぬまま、今日もまた入道雲立つ夏空に大和屋たま嬢を浮辺ては「達者でやっているかな」などとすっきりとした顔をしているのであった。




