閑話休題 箙瀬と城下町
夏休み終盤、不良箙瀬は途方に暮れていた。
彼は人に言えない秘密を持っていた。人に知れれば自分の立場は崩壊し、好奇の目と嘲笑に晒され、とてもじゃないが不良なんてやっていられたものではない。そんな秘密だ。然し、今やそんな事などこの心情にすれば些細な事で、自分はこれから何をどうするべきか。箙瀬はそれだけ考えていた。
箙瀬の人に言えない秘密、それは地下アイドル大和屋たま嬢の追っかけ。その熱の入り様は凄まじく、彼女が出すグッズに購入していないものはなく、CDなんて物は当たり前で限定販売の小物や彼女が一度でも語った好きな本などは片っ端から手を出し、彼女のSNSに投稿があれば漏れなくコメントを、一つ夢への段を上がると手紙を認め、尚且つファンクラブを結成しその長を担い……等々、例を挙げればキリがない。
今日も、彼女のライブだった。
いつものポンパドールはせずに、髪は自由にさせている。彼女は地下の狭いスタジオの明るい照明の下、大勢とは言えぬ客数を前に明るい笑顔を、くすぐったくも艶やかな声をステージ上に咲かせ、時代遅れな鉢巻で額を覆った箙瀬は、手にペンライト、腰には『たまっち♡』と可愛く書かれた団扇を携え、他の客よりも大きな声と動きでライブを盛り上げていた。客席の熱気と湿気に包まれる中、一番人気『流転嬰児』の演奏が止むと拍手喝采、その時はやってきた。
「リーダー! 今日もたまっち絶好調ですよ!」
「おぉん、たまっちは何時やって輝いてるんや。今日だけやない、次も、その次もステージに立つたまっちは誰よりも可愛くて綺麗なんや。ほれ、MC始まんで」
『みんなぁーー! ありがとーーー!!』
再度の拍手喝采、口笛も交じる。箙瀬は彼女の事も、彼女の歌も好きだったが、この曲と曲の合間にあるMCもまた大好きだった。実は箙瀬、このMCにおける大和屋たま嬢の一言一句を記憶し、自身のブログに起こして感想と賛美、それから無意味な推考を添えてネットの海へ流すことを今生の遣り甲斐にしており、この時を今か今かと待ち望んでいたのだ。
『今日は、みんなにお知らせがあります』
「おぉん、何やいつもと雰囲気ちゃうやんけ」
「ちょっと嫌な予感がしますよ、リーダー」
マイク越しに聞こえるアニメ声に、箙瀬とファンクラブ組合員の男は怪訝に眉を突き合わせる。然し、それも一瞬、すぐに彼女の方に向き直り次の言葉を静かに待った。
『みんな驚かないで聞いてください。実は、今日のライブを最後に私、大和屋たまは、アイドルを卒業します!』
それを聞いた箙瀬の表情と言ったら、なんと表現したら良いことやら…何とも間抜けだった。下瞼と、鼻の下と、下唇が自制を失い重力のままに、それによって出来る顔の皺で一気に妙齢に見える様に変わり果てた。
『私、明日から普通の女の子になります! しばらくの間はお手紙の受付とか、SNSとかは開けたままにしたいと思います! 最後に、みんな色んなことを思って私に話しかけてくれたら嬉しいなって…。私を応援して、毎回見てくれるみんな、色んな所に駆けつけてくれたみんな……みんな覚えてるよ! だからみんなにも、笑顔で見送って欲しい、私の最後の晴れ舞台……。湿っぽいのは、私好きじゃないんだ。だから、みんな、みんなっ…いくよっ…『回向☆行脚』!』
豪華にもドラムのカウントでギター、ベース諸々の楽器陣が演奏を開始し、ステージは荒れ狂うスポットライトに実に煌びやかだった。その客席の中央、箙瀬は肩を揺さぶられていた。
『貴方の~考えなしの~』
「リーダー! たまっちは明日もステージで歌うんじゃないんですか?!」
「……」
『頭~の真ン中~』
「俺たちのたまっちは、明日も輝くんじゃないんですか?! リーダー!!」
「……」
『「コツン♪」とやっても良・い・のっかな~』
その後、箙瀬の意識は定かでなく、ステージ上で歌い踊る彼女を見ているのか見ていないのか、少なくとも顔だけはそちらに向けて地面に刺さったかのように自分からは微動だにしなかった。リーダー、リーダーとずっと肩を揺さぶる組合員。二人以外の観客は、それは少ない数だったけれども、彼女の最後のステージに踊り、狂いながら彼女の旅立ちを激励していた。彼女への入れ込みの一位二位を争っていた二人だけが、ずっと正気を失っていた。
その衝撃から、二日、三日と経っても箙瀬の消沈は回復することなく、夏休みをいいことにいつもの恰好はせず、トボトボと街を徘徊する幽鬼の様に成り果てていた。陽射しに焼かれようと、アスファルトから立ち上る熱気に茹だされようと、一切の汗もかかず、顔は青いまま、今自分は何をすべきか考えていた。それが彼女の為なのか、傷心する己のためのものなのかも判断できず、考えているのか或いは何も考えていないのか、そんな時間だけが経過していった。
「え?」
不意に、小さな少年が目の前に現れた。その少年は、前髪で弱弱しい目を隠した痩せた体で、何かに気付いたのか少しの怯えが見える。口を両手で隠して縮こまった城下町少年だった。少年に気付くと、箙瀬はハッと妙案を思いつき、ピエロになることを決心した。
…………………………
城下町少年は、しまった、と思わずにいられなかった。
読書のお供に、とジュースを買いに行く道中、陽炎に紛れて対面から歩いてくる幽鬼のような男に気付いた。夏真っ盛り、だと言うのに汗もかいていない、髪がボサボサしていてちょっとだけ長い、顔は青く茫然自失。迷いなく不審者だと思った。何か危害を加えられたら堪ったもんじゃないと嫌悪を少し、左に避けるように進路を整えると、幽鬼の男の様子を見遣りながらに平穏のまま通り過ぎようとした時だった。
前髪から覗く、見知った目。城下町少年の危機察知能力により、しっかりと脳内に刻み込まれた忌まわしき存在。いつもの髪型でもなく、ボンタンも履いていないが、紛れもなく不良三個一の一人、箙瀬だった。
「え?」
思わず声が出てしまった。少年は慌てて口を塞ぎにかかるが、箙瀬はこちらに視線を遣っていて既に手遅れだった。瞬き一つ分のほんの一寸の間、それだけの合間だけ沈黙が漂ったが、箙瀬の動きは速く、しっかりと少年の両肩を握り止めると、一言。
「男、箙瀬、一生のお願いや」
――――――――――
小さな畦道、小さな集落。その一つに箙瀬家はあり、不良と少年はそこに場所を移していた。「内密にしたい」という箙瀬の懇願に、少年は恐怖を感じながらもただならぬ必死の形相なものだから、まんまと付いてきてしまっていた。
箙瀬の一軒家は、風情ある、趣ある、歴史もありそうな、和風の、…ボロッちいものだった。玄関を入り、二階へ。廊下を渡り切った右手側に不良の部屋はあった。通される。自身の部屋と比べると思ったより小綺麗にされていた不良の部屋に、少年は何か思い改めねばいけないような感じがして、早速来たことを後悔していた。壁には、今や日本に名高いプロレスラーの叫ぶポスター、CDコンポに多少の漫画が雑に置かれた本棚、至って普通の男の部屋だった。
「俺は、今からお前に、誰にも話しとらん秘密を見せる」
「え、な、何でや…」
「……」
実のところ、箙瀬のその行動と理由は、明確な確信の下に釘打ちされたものではなかった。然し、彼との遊びに興じる際に、少年は必ず本を片手に持っていた。初めて拳を振り下ろした時も、転がせてサッカーボールにしていた時も、城下町少年はずっと本を持っていた。ある時、その本を拾い上げて中身を見てみると、普段漫画ばかりで長い文章なぞ見たくもなかった箙瀬はその古めかしい言い回しだとか、変に遠まわしで無駄に意味を持たせた文に気分が悪くなり、二度と興味を持つことはなかった。そんな事を思い出して、彼はハッとしたのだ。
こういった文に触れてきている少年だ、そういった文を書くにも少しは心得があるのではないかと。無学な不良はそう思い立って、本に慣れ親しむ事と精緻に整えられた文章の生成に因果関係がない事も分からず、少年を衝動のままに捕まえたのだ。それ程、今の箙瀬には助け先の選択を精査する余裕がなく、それが例え、嘗て暇潰しの遊び道具にしていた少年であっても、彼は自分の弱みを見せる事を思い留まらなかった。
そんな衝動に動いた箙瀬だったが、城下町少年はそれどころではなかった。かつての宿敵との遭遇に体が強張り、過去とは違う別の気迫を前に逃げる事も叶わず、ここまで連れてこられてしまったが、さて、これから何が始まるのかと気が気でなかった。彼ら不良との関りで得た暴力に対する雰囲気の察知能力は、事ここにおいても静かに正座したままでそういった心配がないとは思うものの、やはりそれまでの経験が城下町少年を臆病にしていた。
「これを見い」
ベッドのすぐ横、襖を開くと押し入れだった。季節毎に変えるようの布団だとか、普段使わぬものだとかを入れておく、人によっては洋服ダンス代わりなどにする押し入れだったが、その様相は全く持って異質だった。
フリル満天に飾られた衣装に身を包む若い女のポスター、それからその女のものであろうCDの山、男がなかなか着ける事の無い装飾品の数々、ペンライトに『たまっち』と書かれた団扇…。
「は?」
「俺は、大和屋たまちゃんの一番のファンで、ファンクラブのリーダーで」
「え、誰?」
「…アイドルや、世界で一番輝いていた、俺の一番星や」
顎を上げ、遠い思い出を憂うように涙を一筋流す箙瀬。拳は胸元で固く握られており、その思い入れの深さが城下町少年にも分かった。それはいいのだが、全くに予想していなかった趣味の曝露に変な度肝の抜かれ方をして、城下町少年は怪訝に目を細くした。確かに内密にしたい気持ちが、これを見て納得した。然し、余りにも彼が不良であることと、この趣味の関係性に因果が見えないために、元々混乱に陥りそうだった城下町少年は、余計に訳が分からなくなってきた。
「その一番星が、輝く俺の星が、この前アイドル辞める言うたんや」
「…はぁ」
「俺は今までたまっちのライブに行って、テイッターなんかでもずっとコメントして、偶には手紙を書いて、ずっと応援してたんや」
「そ、そうなんや」
城下町少年はもう直ぐにでも帰りたくなってきた。煙草臭い部屋に、大量のアイドルのグッズが見えた時からの気持ちは、帰宅への願望に結実していた。今まで自分に手を出し足を出ししていた輩が、こんな趣味に腑抜けていたとは、何やら非常に気分が良くなかった。未だに思い出せる暴力の痛みを受けていた最中でも、この男は一人の女に惚けて粛々とその活動を続けていたのだ。目にも言い知れない怒りが、遣る瀬無さが宿り始め、然しその瞬間にはまたも両肩を掴まれていた。
「この事は、内密に。今までの事は土下座でも靴を舐めるでも街を全裸で走るでも、何でもやって謝る。礼も、勿論する。頼む、一生のお願いや、俺を手伝ってくれ」
真剣に、いつもの口癖も聞こえず、箙瀬は視線を地に向けたまま絞り出すような懇願をした。




