001 共同生活
「何やってるんだ? 秋山さん」
「畑を耕しているのです、三四郎くん」
夏休みは終盤に差し掛かった八月下旬、炎天下にせっせと黒い土に向き合い汗をかく秋山がいた。
「そうじゃなくて、何でいきなり畑の土ひっくり返してるんだ。埃まみれだぞ、環境汚染だ」
「貴方のお父様に頼まれたのですよ。家庭菜園をやってみたいが畑の作り方が分からないから任されてよいか、と」
「嘘だろ…」
居候の身となってからの秋山乗務員の躍進は、目を見張るものがあった。一社会人として親元を離れ、意外にも炊事洗濯家事全般を器用にこなしていた秋山乗務員は、ピカタ家でもその力を余すことなく発揮していたのだ。風呂掃除をさせても、アイロン掛けをさせても、文句を付けるどころか感心に溜息が出てしまうような清らかな仕上がり。新品の整然さとはまた違った、プロの手並みのそれは、誰もが予想だにしていなかった。
この恩恵を主に受けていたのがミ一で、彼女に言わすと家事の負担が料理だけになり楽をさせて貰っているとのこと。その手際の良さを認められ、今では三四郎と三三を除く家族からあれやこれやと細事を任せられ、どんなものでもあっさりと遣って退けてしまうのだ。三三と共に帰宅した日に見せた自信は、誰に恥じないその実力の裏返しであったのだ。
「私の『滑走』を以てすればこれくらい朝飯前です」
「ジョージがやればもっと速いだろう、何であんたが…」
「師匠はやることがあるらしく、何処かへ行ってしまわれました」
「ジョージ…」
「何も心配する必要はありません、師匠の居ない穴は弟子である私が埋め合わせるのです。それが弟子としての仕事であり、喜びであり、何より次の段階へ至るための大切な試練であるのです。………ふぅ、しかしこの体力仕事も偶にはやるものですね。毎日やるには私は貧弱が過ぎてしまいますが、偶にやる分には自然と一緒に汗がかける、この喜びは中々爽快なものです」
「おかしいな、おかしいね。なんで喋ってる途中に脚をバタバタさせる必要があるんだ? 煙と一緒に土虫が飛び散ってるんだ、落ち着け」
「三四郎くん、私は風であり、バイクでもありました。然し、今日はカチッ耕運機カッとしカッて師匠カカカカのお父様のカカカカカ役に立ガガッつのガボーですボボボボボボボ!」
「止めろ、止めてくれ。ミミズとか見たことない虫がいっぱい顔に付いてる」
無論、容易に止まるはずもない。一度暴れ始めたら叩きのめされるまで止まらない、それが秋山乗務員の準化物たる要因の大部分なのだから。
余談であるが、こうイラつきをだべっている三四郎、仕事はどうなったのか? 嫌気が差してサボっている訳ではない。三四郎は無事タクシー替わりの任から解放されていたのだ。
実は三四郎、このタクシー替わりに利用される日々にかなりのストレスが溜まっていた。少年たちが長期休暇に入ったのに、全く遊ぶ時間を作れない。毎日毎日村民の送迎ばかりで、それはまだ良いとしても、街ではまた準化物が出現し、それがかつて自分たちを送迎していた秋山乗務員で、何をどう間違ったのか、いつの間にか自分たちと生活を共にする話が出てきた。自分の与り知らぬところで事が起き、勝手にモノが進む。これが一番堪えていた。
そうして我慢の限界が来たあくる祝日の午後に、三四郎は一人士気高らかに村民を集め、緊急会議を開催。お題は、「三四郎にせめてもの休日を」。村民の病院に買い物、将又生活に関係ない旅行などで、一切の休みを貰えていなかった三四郎にとっては当たり前の主張であった。亜空間による移動の幇助は飽くまで善意でやっていること。特に反対なぞ起きるとは夢にも思っていなかった。
「ふざけるな! 儂らの生活はどうなるんや!」
「人でなし!」
「儂らは毎日働いとるんや! おまんも働かんで誰が納得する! えぇ!?」
鬼、悪魔、化物と、非難轟轟の現実に三四郎は虚を突かれ、ほとんど上手く対処できなかった。二、三、反論の言葉を返すも多勢に無勢。よく分からない理由で押し返されてしまう。然し三四郎の決意も固く、ここは譲れんと週に一回の休日を感情のまま必死に懇願し続けた。
討論白熱、三時間。落としどころは、休日は認められないものの、日曜祝日に限り普段の倍の利用料を支払うこと。落としどころと言っても、三四郎の懇願はほぼ無視されたといっていい。村に関わって二度目の空しい健闘、三四郎は肩を落とし、帰宅する羽目になった。
その夜、三四郎は考えに考えた。仕事による疲労もそっちのけで、一晩中考えた。そして、直談判しかないと思い立ち、タクシー会社の社長宅へ乗り込んだのだ。少し腹の丸さの目立つ社長を前に、現状と自身の苛立ちなどを意外と整理して懇々と説明。然し結局は、自分が未知の化物であることを有利に活かした恫喝で勝利を捥ぎ取った。タクシー会社の社長も人手不足や売上の減少を盾として、十色の弁論で立ち向かったが、相手は訳の分からぬ筋骨隆々の化物、手を出されては敵わんと戦略的撤退を余儀なくされた。今はもう、新しい運転手が毎日せっせかと送迎に山を登ってきている。三四郎の亜空間移動が大変便利且つ破格の値段だったことを良い事に、村民たちが支払額の値下げに蜂起したことはまた別の話である。
必死で勝ち取った勝利、自由な時間。なのに、目の前には化物とも人間とも言えぬ者が居候として家中を闊歩する、あろうことか畑を耕している。悪い夢でも見ているかのような気分に、三四郎は眩暈を覚えた。
「おぉ、もうこんなに掘り返してくれたのか。いや、どうして中々器用なお人だ」
「お褒めに預かり光栄です。然し、これくらい私には朝飯前なのです。他にも御用があれば何也とお申し付けください。何と言っても師匠のお父様なのですから」
「頼もしいことだ、ミ一もいつも助かってると言っているぞ。では、ついでにこの種たちも撒いてくれないか?」
「任されました」
父、三一は現状を受け入れており、何なら上手く活用している。それを見ると、三四郎は何となく悔しいような、例えると難しいが、背中がピリピリと痒くなるような小さな苛立ちに駆られるのだ。
「タクシーで運んでもらってた縁はあるが、俺はお前がこのまま居座り続ける事には反対なんだからな。親父も気に入ってるみたいだが、あんまり使ってると手放すときに困るぞ」
「そこまで邪見にする必要もないだろう、こんなにも大きく役立っているのだ」
「そうですよ、見てください三四郎くん。この目にも止まらぬ種蒔きを!ボボボボボボボボボボ!」
悔し紛れに一言放つも、既に供託しているかのような返しに癇癪を起しそうになったが、三四郎は是を何とか耐えた。何と言っても、今日は久々に少年たちに会うため街へ降りるのだ。その楽しみをこんな下らない感情で台無しにされては、何のために勝ち取った勝利か分からない。三四郎は、飲み込むにも手を焼く罵詈雑言の数々をいなすと、「俺も街に用があるから、今日はもう畑で動いとけ」と捨て台詞を残し、亜空間に姿を消した。
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城下町少年は、最近買った小説にのめり込んでいた。偶には試し読みで判断するのではなく、題名だけで無作為に選んでみようと思い立ったのが殊の外当たりだったのだ。題名に惹かれて買った、名も知らぬ新人の文庫本。内容はミステリー物であったが、次の文を早く読みたくなるような展開に、巧妙に造り上げられたトリックの数々。登場人物の心情や風景の細かき事を文章に落とし込み、それを読者に鮮明に伝えることの出来る優れた才能。これは将来、きっと大物になるだろう。そう思いながら、三四郎と落ち合うあの『魔女のコーヒー屋さん』へ向かう途中も、ずっと本の中に入り込んでいた。暑い事も、流れる汗も、時折車にクラクションを鳴らされながら、いずれも全く気付かずにいられる程の没入様。だから、その大きな変化にも全く気付かなかった。
「いらっしゃ~い」
店内に入ると、甘ったるくも華麗に通る女性の声。場の雰囲気を整えるジャズ調の音楽に、明るくも穏やかさを感じられる照明の絶妙さ、賑わう客席。うむ、今日も大盛況だ。
そう思った違和感に、焦って顔を上げる少年。店を間違えたか、とも思ったが良く見知った店内だった。ただ、普段は自分一人いるくらいで精々だった客席を埋めるに至る数の、サラリーマンや学生と思わしき若い男女。皆、銃撃に苦しむ顔をしているのが気になったが…。振り返って、驚きに外の方を見遣るとそもそも扉が設置されておらず、ドア枠から覗く枯れる草木に覆われていた駐車場は、色取り取りに植えられた美しき花々たちの社交場となっていた。
それと、何よりも、全くいつもの様子と違ってしまっている女マスター。飲食店に有るまじき長髪で顔の正面を隠し、ジャージ姿で洒落っ気なんぞ一体どこに見え様ものか。それが、体のラインを見せつけるかのような、しかし上品さも窺える白黒の女中服に身を包み、髪は後ろ手に軽く結い表情は明るい。声も良く、いや、言ってしまえば少し艶めかしい感じもする。かつては、言葉の頭と尻しか聞き取れない痩せた声だったはずだ。それがどうだ、この耳にハッキリと然し甘く響く声。何もかもが真逆に変わってしまっていた。
「あら! いつも来てくれる学生さん、今日も来てくれたのね嬉しいわ」
「えっ…え?」
「筋肉の方や大きなお嬢ちゃんたちとは一緒じゃないの?」
「あ、筋肉は、後で…来ます…」
「そうなのね」と、花も見劣りするような笑顔で答えると、稲枝は少年の手を引いてまだ空いている客席まで誘導した。椅子を引かれたので、おずおずと座り、と言うよりはまんまと座らされたと言った方が適当か。少年はまだ事の状況に考えが散らばったままで、間抜けな呆け顔を晒していた。
「お水持ってくるから、メニュー見て待っててね」
「あ、はい…」
恐ろしき商品の数々が記載されたメニューを手渡し、稲枝はカウンターへ一時去って行く。その後ろ姿を見て、少年はまだ夢見心地だった。普段のジャージからは全く分からなかったが、かなりのナイスバディと言って間違いないだろう。同じ縮尺であれば、三四よりも豊かな肢体。長髪も相俟って、現実とは程遠い漫画の世界にでも飛び込んでしまったかの如く、その光景は信じられなんだ。
然し、城下町も立派な男。現実であろうが妄想であろうが、兎に角その見事な容姿をじぃっと見るに鼻の下を伸ばし切り、これが程良く気持ちが悪い。眉も目も外側から溶けるように垂れ、下唇も同様、人の顔とは思いたくもない。真白などに是を見られでもすれば、暫くは距離を置かれることは間違いないだろう。




