006 風の住人 終
不気味で不味いコーヒーが自慢の魔女の店で、興奮露に身を乗り出したのは何を隠そう、秋山乗務員その人であった。
「そ…それは、速さの師であるジョージさんの御家族の下に住まわせて頂ける…身に余る名誉を与えてくださるという事ですか?!」
「誰がお前の師匠になったんだ! それに姉ちゃんの言う説が正しいかどうかもまだ」
「何もかもが不明瞭のまま置いておくより、合ってる合ってないを議論して時間を潰すより、一つ一つ説を潰していく方が健全じゃないでしょうか、違いますか?」
「いやいや、待て待て」
真白の言い分に否を唱える三三。然し、待て待て言うばかりで具体的な反論を示すわけではない。防具無しで防戦一方の三三を殴りつけるような真白の攻撃は続く。ここを逃がしてはならぬ、と小さい体に熱が宿る。
「人の少ないところで、人に対処が難しい準化物を管理するなんて、ジョージさんやジョージさんの家族がいる山の奥の家以外あり得ないです。ここしか条件が合わないんです。それに『化物因子』がジョージさんたちから出てるかもしれないってことは、『化物因子』に感染した人間から同じ因子が出てるなんて事もあり得るわけです。絶対に出ていないってどうやって証明するんですか? そもそも『化物因子』がジョージさんたちから出てるかどうかすらも分かっていないなら、これだって証明の手立てがあるはずないですよね? だったら人に害が出るリスクがある事をまず潰すべきなんじゃないでしょうか? そうですよね? 人の多いところに放置しない、人と接触させない。これが今できる最善だと思うんです。例え、何かが原因でまた暴れ出す事があっても、ジョージさんとその家族だったら、不意を突かれない限り抑え込むことは可能だと思うんですよ。実際、さっきも秋山さんをジョージさん一人で抑え込んでたじゃないですか。あのスピードで動く人を捕まえることだって、私達普通の人間には出来ないんです。ジョージさんの、ピカタ一家でこれは管理すべきなんですよ。これ以上放置したら、あの不良三人みたいな痛い思いをする人も出てくるかもしれないですし、何より私の身が持たないんですよ! 三四ちゃんは優しい子で、私の大切な友達だから言わせて貰いますけど、私の拙い論説に反撃もできないようじゃ三四ちゃんにだって被害が出るのをただ指を咥えて眺めるだけになっちゃいますよ? 私も友達として守ってあげたいですけど、私じゃ何も出来ないんです。人の力でどうにもならない事からは、三四ちゃんのお兄さんで家族のジョージさんたちが守ってあげなきゃいけないんですよ。いいですか? 仮に私の説を実行して、それが間違ってたなら説を一つ潰す事が出来たんですから、消去法で他の方法をまた考えるんですよ。何も分からないなら分からないままに放っておくなんて馬鹿な話ありませんよ。何も分からないなら一つ一つ体当たりで探っていくしかないんですよ! そうやって人間の歴史は作られてきたんです。ジョージさんが無責任にも案を出さないっていうなら、私が案を出していくんで、それに従って動いてもらうしかないですよ、今のままじゃ。それとも別の良い案がありますか? 画期的で即効性のある妙案を出す事ができますか? あるなら出してください。私の案とどちらが優先させるに値するか、建設的に真面目に話し合いましょうよ、ほら、どうですか? 出ますか? 出ませんか? 出ませんよね?」
「わ、ぁ…」
「真白ちゃん…凄ーい…」
一気に畳みかける少女の気迫に、枯れ枝のような化物はすっかり恐縮してしまって返す言葉も思いつかなんだ。
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「と言う訳でありまして、いきなりの挨拶になる事を何卒御容赦下さい。お手伝い出来る事などありましたら、不肖この秋山、全身全霊で細事から大役まで担い任される所存です。遠慮なく、気軽にお申しつけ下さい。師の令堂へ身を置かせて頂けるのです、雑用なりグチなり、何なりと。どうか皆さん、宜しくお願い致します」
夕方、化物集うピカタ家。予想だにしない突然の状況に、化物一家は一気に騒がしくなった。一家の大黒柱三一は情けなくも狼狽し、美しき母ミ一は困ったわねぇばかり、化物家の長女だけは喜びに破顔していた。此度の件を最も厭忌したのは三四郎で激しく三三を非難するも、三三曰く「少女の獣の如き迫力と散弾銃の如き口数に気負けし、少女の言う通りに沿わなねばならぬ状況になった。少女は天女の様に可憐であり、鬼の様に怖かった」との事。糸屑の様な目に小さな水玉を滲ませながら頭を下げた。
「師よ、どうか頭を上げてください。私は何があっても、皆様から認めれ、役に立つ意気込みと自信があります」
「どっかやってくれ、その自信…」
「まっ、まぁしかしだな!」
まだ狼狽の見える態度で、三一が事態の収拾を買って出る。「ゴホン」と一つ咳払いをすると、一見は落ち着いた様子で喋り始めた。
「真白さんの言う事も最も。何も分からぬ状況では、一つまた一つと説と案を潰していくことが最良だと、儂も思う。であるからして、我が家にこうして新しい人が来るのは、やっ…喜ばしいことであり…」
「でもどうしようかしら。お布団の用意がないのよね」
「じゃあ私の部屋に引き取る~」
「ダメだぁ! こんなどこの馬の骨とも知れんスピードバカと同衾するなぞ俺が許さん! というか家に上げる事も俺は反対だ! なんでそう、みんな肯定的なんだ!」
ぎゃあぎゃあ、やあやあ。実に賑やかだ。
結局、秋山乗務員を連れ帰ってきた三三が責任を持って自室で飼うことになり、落着とは言えぬものの、三四郎の怒りも治める事が出来たので何とか収拾は着いた。「秋山さんお話面白いから一緒に暮らせて嬉しい」とニコニコする三四の言葉が、また混沌とした雰囲気に一役買っていて……ともあれ、化物たちと秋山乗務員の奇妙な生活が幕を開ける事となった。
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箙瀬たちが意識を取り戻す頃には、陽はすっかり落ちて鈴虫の声が響いていた。
『魔女のコーヒー屋さん』として大人気の蔦這う喫茶店、店内、最初に起きたのは箙瀬だった。五つの椅子が立て並び、そこに寝かされていた箙瀬は体を起こすと痛む頬を気にしつつ、キョロキョロと辺りを確認する。すると、鬢櫛と勢理客も倒れていた。鬢櫛は首に湿布をぐるぐると巻き付けるように張られていて、勢理客は口の中に薬品の臭い香る大量の脱脂綿をぶち込まれていて、不可思議だった。
異様な光景に、二人を揺り動かす。反応があり、生きていることを確認できた箙瀬は即座に声をかけ、二人を覚醒に導いた。
「―――ぐっ、何があった…?」
「ゴヘェッ♡! 何やこれ、消毒液か…♡? くっさ…♡」
鬢櫛は首を摩り、勢理客は脱脂綿を吐き出しての起床だ。気分の良い訳もない。然も、灯りが消された不気味な店内。閉店を報せるためにカーテンは全て閉じられていて、月明りも入ってきておらず、異様に暗澹としていた。
「おぉん、どうもあの野郎にしばかれて……そっからどうなったか知らんけど、誰か手当してくれたみたいやな」
「やからって、口はアカンやろ♡ ぺっ♡ どないなっとんねん♡」
「―――首が痛ェ」
互いの安否を確認しながら三人は立ち上がり、玄関へ歩いていこうとしたその時、突如不気味な音を立てて開く扉にギクリと目を遣った。
しとどと水に全身濡れる全裸の女だった。よもや床にまで届きそうな黒く長い髪で顔が覆われており、その髪を揺さぶり、女は何かを発した。
「……ち、………の?」
「ヘェッ♡?! 血ィ♡?!」
この世のものではあり得ないような、深く枯れた声だった。喉よりも腹の方から響き聞こえてくる、そんな奇妙な音だった。それが、水滴をポタポタとさせながら、ゆっくり、ずるずる近づいてくる。
「…かっ………。ふふ…」
「お、お、お、何や! 何笑てんねん!!」
何を言っているのか聞き取れない。こちらに来る理由も分からなければ、水に濡れているのもとんと分からぬ。ただ恨めしそうに、僅かな横揺れを見せながら何かの呪詛を呟いているようにしか見えなかった。
「―――おっぱいが大きくて、少し、エロい」
「バカッ! 要らん事言うて刺激でも…」
「…………」
鬢櫛がその女の見た目に場違いな感想を漏らすと、矢庭に長髪が止まり、
「……~~――――――ーーーーァァァァァア゛ア゛ア゛ア゛」
「ぎゃぁ! お化けや! おおん! あぎゃぎゃッ!」
「―――ドア! ドアッ!」
「開かんっ♡! 開かんねやッ♡!!」
三人一斉に玄関に飛びのいて、勢理客が急いでノブを回すが、ガチャガチャ言うだけで一向に開かない。閉店のため、鍵が丁寧に掛けられていたのだ。
三人の混乱様は、それはもう、教科書にも載りそうなお手本のような大混乱で。女とドアを忙しなく交互に何度も見遣る箙瀬、半狂乱にドアを殴りつける鬢櫛、何度やっても無駄なのにまだノブを回しては戻しする勢理客。店内は愉快な阿鼻叫喚に大賑わいだ。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
「おおおおぉおおおおんん!!」
「―――どけっ勢理客!」
「おっ♡?!」
ようやく頭を働かせた鬢櫛が強引に勢理客を払い除けると、近場にあった椅子を振りかぶり、その巨体に違わぬ怪力で目一杯ドアをブチ壊した。漸く現れた希望の穴に、三人はもう無我夢中で飛び込んだ。動物の穴に食らいつくカンディルの様に激しく体を捩らせ、その姿は普段のキッとした彼らからは遠く離れて、浅ましく情けなかった。そして無事、小さな穴を広げて外に出られると、彼らは腰の座らない動きでどうしてその速さが出るのか、脱兎の如く遁走していった。
…………………………
読者諸君は既に分かり切っているだろう事だが、長い髪をそのままに全身を濡らした女の正体は、『魔女のコーヒー屋さん』女マスター守山稲枝であった。実はこの店、居抜きであり、開店前に三つの広いリビングを打ち抜いてカウンターと少しの客席を作ったのだ。もともと趣ある立派な個人邸だったのだが、このリフォームを行った結果、女マスターが何も考えず広間を作った結果、トイレに行くにも風呂場にいくにも、何処へ行くにしても店内を経由せねばならないポンコツになってしまったのだ。
普段運動せぬ稲枝は、三個一の治療に体力を労費し過ぎ、それで声は枯れ、歩みもじりじりとしたものになっていた。真夏であったので、汗もかいた。三人も起きないようだし、シャワーですっきりしよう。そうして修理費が払えぬばかりに水しか出なくなったシャワーを浴び、その内に眠ってしまったのだ。
店内からの物音に気付き目を覚ますも、寝ぼけながらに三人が起きたのだ、様子を見ねば、と風呂場にいた事も忘れドアを開けた。驚く三人、稲枝は何故か分からず冷水を浴び続けた疲労に音も遠いので、労りの声をかけながら遅くなった脚をずるずると動かす。
「―――おっぱいが大きくて、少し、エロい」
ふと認識できた声。ちょっと考えて、自分がシャワーを浴びていたことを思い出す。
後は語る必要もないだろうが、少しだけ。
自分が裸であることに気付いた稲枝は、その恥ずかしさから大声をあげ、直ぐにでも手でそれらを隠そうとした。隠そうとしたのだが、介護に疲労した腕は上がらず、歩いてきたことで体力に限界が来たのか大殿筋がひきつけを起こして激痛が走る。あまりの痛みに体が硬直した結果、棒立ちのまま獣宛らの叫び声を上げる事しか叶わず、明かりの無い不気味な店内では、それはそれはもう、心臓が飛び跳ねるほどの恐怖を三人に与えた。
鬢櫛が扉を破壊した音に驚いて、漸く床に座り込むことが出来た稲枝。心配と恥ずかしさと痛みで暫くは頭が動かなかった。落ち着いてから崩れた扉を見つめ、「修繕費どうしよう」と一人、稲枝は泣いた。




