002 風の住人2
買い物を全部済ませた三人が外に出ると、やはり夏の陽射しは強いままで、エアコンで存分に冷やされたショッピングモールから出たばかりにこれは些か暑すぎた。然し、真白は手に生鮮物の入った買い物袋を持っているのだからして、速やかに帰宅せねばモノが傷んでしまう。そうなっては唯の金の無駄遣いに時間を費したことになるので、三人はとりあえず真白の帰路を歩くとにした。女性に重いものを持たせたままにするのは無粋だ、と三三が荷物持ちの役割を買って出たが、真白はそのか細い体を見て、丁重に断りを入れた。
「ねぇねぇ、秋山さん近くに居るけどホントに会えるの?」
「大丈夫だ、俺の『予知』に間違いは有り得ない」
「でもでも、近いっていっても反対の方だし」
「心配すんな。『予知』で見たのはこの先のバス停だから」
三四は未だ秋山乗務員との邂逅に懐疑的であり、その事で心がちっとも休まらないので、何時まで経っても三三にしつこく、ずぅっと話しかけていた。ちょっと歩いては「ホントに会えるのか」、ちょっと考えては「もうちょっとしたら会えるかな」などと、流石の三三も鬱陶しくなって答える言葉尻に棘が生えてきた。徐々にイラつきを隠さなくなってきた三三を見た真白が宥めるも、三四の心配による口撃は止まない。三四の方も宥めにかかるが、あっちに行ってはこっちに切り返しとキリがない。三三も余計にカリカリしてくる。体も大きいのだから、心配せずにもうちょっとだけドッシリ構えていればいいのに、とは真白の思う所である。
「あ、待って。凄い勢いでこっちに曲がってきた!」
「言った通りだろ? 絶対会えるって」
「うんうん! 流石三兄ちゃん!」
「でも凄い勢いってどういうこと?」
真白は、三三の発言に疑問を口にした。詳しく三四に聞くに、凡そ人の走る速度ではなく、恐らくバイクか何かに乗っているのだろうとの推測が出てきた。そうでもないとこの速度は有り得ない、と。唯不思議なのは、時折減速して、また暫くすると最高速度まで加速し始めると言うのだ。因みに三四はバイクと自転車の違いをよく分かっていない。安宅真白はこの答えを聞いて、どうにも嫌な予感に首を傾げた。
「もしかしたら自転車?っていう乗り物? トレーニング……かな?」
「暑いのにご苦労だな、心の疲れを体力に変換しようってか! ガーハーハー!」
「それを笑うのはあんまりだと思いますよ?」
「あぁ、いや、済まん済まん!」
不謹慎を指摘され、いつもの豪快な笑いで詫びを入れるも、三三の視線は三四の見つめる先に向いていた。二人の能力からして、その方向から待ち人が来るのは間違いようがない。三三の悪びれなさそうな態度に可愛いらしい悪態を吐きながらも、真白もまた同じ方向を見て、三四が待ち望む秋山乗務員が来るその時を待った。
…
…
三人が同じ方向に向き直って直ちに、待ち人、来る。
三人が見つめる先の十字路、電信棒があって人や車の往来が分かりにくい左角から、自転車に乗った背広姿の秋山乗務員が颯爽と現れた。
「ほれ来た」
「わぁ! 秋山さんだ!」
「…ん?」
其れなりの速度で、キリっとしたカーブを描いて現れた秋山乗務員。その後ろに着いて走る、三体の黒い人影を真白は認めた。
「おぉ…ん! 待て、ゴラァ…!」
「―――やらしい、走り方、しよっ…て」
「ゴェッ♡ オ゛ォッ♡ ま、…待、って……♡」
豪雨に降られたかのような大汗を滴らせ、学生服を着た厳つい三人が息も絶え絶えに、何とか自転車の速度に食いついて走ってきた。走ってきた、と言うよりも、その動きは最早水に溺れている様な、実に支離滅裂な体の動かし方であった。
さて、秋山乗務員が減速と加速を繰り返し自転車を操っていた理由、それはひとえにこの不良三人が関わっていた事に他ならない。秋山乗務員は不良三人を煽り怒らせ、わざと追ってくるように仕向け、追いつかれそうなら加速し、三人が諦めそうなら減速し、捕まえられそうで捕まえられない、非常に厭らしい方法を以て三人を引き連れ回していたのだ。何を思ってそうしているのかは全く理解が及ぶところではないが、可哀そうに、この男に付き合わされた不良三人は、それが汗か涙か鼻水か分からなくなるほどの液体に顔を濡らし、煙草にやられた肺を精一杯稼働・酷使し、その体力尽きるまで走らされる結果に至った。
そんな傍迷惑な事をしていても、秋山乗務員の顔は涼やかなまま変わることなく、その双眸も晴れ渡る青空の様に澄みに澄んでいた。真白はそれを見ると強烈な既視感に目を顰めて、ハッと思い出した。
あの瞳は、狂人のそれと全く同じだったのだ。あの日、安宅真白を追いかけ回し、三四郎のデコピンによって亜空間送りにされた瘋癲の男……彼奴と同じ目だったのだ。その恐怖に染め上げられた出来事を、屈辱の限りを生み出した出来事を、思い出してしまった。
事態が分かると真白は小さな悲鳴を上げ、買い物袋をガサっと落とすと恐怖に固まってしまった。だと言うのに、残りの化物二体はにこやかに彼を歓迎しており、呑気にも会話までも繰り広げている。
「秋山さん、元気そうで良かったよ~」
「まさか学生の運動の手伝いをしていたとはな! 未来ある青少年たちの鍛錬を共に応援するとは何と立派な大人だ! 大したものじゃないか、ガーハーハー!」
「ちがっ、違う違う! あれっ、ほらっ!」
恐怖に言葉も決まらぬまま、迫る脅威を報せようと齷齪する真白であったが、その状態では伝わるものも伝わらぬ事は無理のない話だった。秋山乗務員はもう後ろの三人など微塵も気にすることなく、真白たちの近いところまで疾走し始めている。
「ブルンブルンブルルーーーーーン!!」
「おぉ、バイクだ、バイクになり切っている! あくまで自分は子らを育てる機械であって、そこに甘えを許すなどという考えは全くなく、ただ青少年たちを鍛える事だけをインプットされた非情なる存在。青少年たちに恨まれようと、その後彼らが堅強に逞しく成長してくれれば良し。その後、呪われ疎んじられ、例え不条理な仕打ちを受けるハメになろうとも、その一切が構わない……、正に将来の時と国を支える子供たちを宝として、然し確かな存在に育て上げる。そう言った高潔で尊い自己犠牲の念がこっちにまで伝わってくるようだ。そして、ある時フとした拍子に彼らは気付くんだ。『あぁ、俺たちは愛されていたんだ』って。……グゥっ…美しきかな師弟愛……これだから人間はヤメられねぇ…」
「秋山さん、会社を辞めた理由にはこういう訳があったんだね…」
「違ぁーーう! あれはっ! 準化物っ!!」
頓珍漢な感傷を口にする無知蒙昧なる化物共に、端的な一喝を投じる真白。余談が多くなってしまい申し訳ないが、『準化物』という言葉をそのまま発音すると非常に長ったらしくなる。それを嫌った三四郎が「部分的」を意味する「セミ(semi)」を代わりとして使う事を提案し、特に反対もなかったためこう呼ぶようになったのだ。
真白の一括を耳にすると、化物二体は顔を見合わせ、次に、迫り来る秋山乗務員の目を見つめ、「あっ」と同時に声を出した。二体もその目と自信に漲る相貌を見て、ほんの数日前に思い当たる出来事があったことを思い出した。そして二体が気付いた時には、自転車は風音とともに通り過ぎ、遅れて三人の不良がゼェゼェと倒れ伏したところだった。
「あかん……おぉ…ん、もう、…あかん」
「―――ヒュッ、ヒュッ」
「オ゛ッ♡ ア゛ッ、ガ…♡」
「げっ、学校の不良たち……」
「さ、三兄ちゃん!」
「おぉ、厄介になると堪んねぇから、ちょっくら追いかけてくるわ」
判断は迅速だった。
三三は、そう言い残すと直ぐ様砂埃を残し、驚異的な初速のまま疾風の如く秋山乗務員を追い駆けて行った。その舞い踊る砂埃が止めとなり、不良三個一は呼吸を妨げられ、仲良く沈没した。
――――――――――
「おいおい、そんな急いで何処行くんだ?」
「ブゥンッ!?」
暑い日差しに、田舎特有の人気少ない長大で真っすぐな道。己の速度に平然と追い付き語り掛けてくる化物に、秋山乗務員は排気音のまま驚嘆した。その化物は酷く痩せぎすで、サーファーのようなパンツを履いてはいるが、不健康で枯れ枝のような体からどうしてその速度が出せるのか分からなかった。それなのに、何の感情も無くそれが当たり前の様に隣で並走している。
彼は偉大なる自然の一つ、風になったのだ、街を疾走する速き風だったのだ。だから、余計に心底驚いていた。
「君は、見た感じで申し訳ないですがブゥン、ピカタさん家の関係者ですか? ブンブン」
「応! 俺は長男坊で、三四郎と三四の兄貴、三三だ! 呼ぶ人はジョージとも呼ぶ」
「そうですか、私は秋山です。ブゥゥウン! 以前働いていた会社の縁で、三四郎くんと三四ちゃんとは顔見知りの関係なんです。お二人、と表現していいのでしょうか…。兎も角、お二人は元気でやっていますか?」
「二人とも元気だぞ! それはそれとして、合間にブンブン言うのヤメてくれないかな?」
「それはブンブンブーーーン、無理な話ですよ。私は風であり、ブン今はブンブン風のように走るバイクなんですから」
「頭が痛ぇなぁ…、ちょっと止まれねぇか?」
「無っ理でぇえーーーっす! ブンブクブンブンブーーーーーーーーン!!」
秋山乗務員は徐に脚の速度を上げ、その驚異的な加速で以て、三三を振り切ろうとした。自分と同じ速度で走る相手に、気分が悪くなったのだ。自分が一番速くあり、化物相手であろうが風である自分が負けるわけには行かない。そう強く思う気持ちが脚に力を呼び、不良相手には出さなかった最高速を超えた速度を発揮させるのだ。
「諦めろって」
「ブブブンッ!??」
あっさりと追いつき、また横に並ぶ三三。余裕にも腕まで組んで、したり顔(に見えるかは判断のしようもないが)。秋山乗務員は頬に冷や汗を一筋、それに気付くと何も気取っていない様な表情を取り直し、実に冷静に言葉を紡いだ。
「なかなかブン速いですね。人の身を超えた風の速度にブン追い付いてくるなんて」
「あぁ、俺はお前ら人間の十六倍の速さで動くことが出来るからな! ガーハーハー!」
「さすが化物です。人の身なぞとうに及ばない境地におられるのですね、ブンブンブン!」
「そういうことだ!」
「そういう話であれば、ブゥゥン、私は更なる最高速をもって」
「無理だよ」
「ブンっ?」
準化物の話を遮るように、三三が否定の言葉を被せる。
「俺は、お前が人間の速度平均を上げれば上げただけ、その十六倍で動く。大人しく止まるんだな」




