閑話休題 三三の世界
「速度が十六倍やったか?」
「そうだ」
城下町行きつけの喫茶店。ネットの口コミは不満で大盛況、評価も違わず星一つ光らない。暗い店内は蜘蛛でも這ってそうな不気味さで、窓から差し込む陽光には埃が舞う。最近豆を変えたというコーヒーは、喫茶店を名乗るには目に余る薫りと不味さ。どれもが一級品だ。
そして、特に女マスターの態度が悪い。飲食を提供するには不必要な程伸ばした髪に、ジャージの出で立ち。表情はやる気なさげ、口も回らず不愛想。目が悪いのに矯正の類は付けない。名を守山稲枝と言う。好きなことは作った料理を召し上がるお客様を見守る事、苦手なことは人とのコミュニケーション。結果、客が食べ終わるまで睨みつけ、会計の時は喋らず、退店の時は棒立ち。このレビューが一番多かった。
「なんやパっとせんやん」
「お前達、それは漫画だとかアニメだとかで○○倍に対しての感度が麻痺してるからそう言えるんだ」
三四郎と三三、城下町と真白とで机を囲んで不味いコーヒーを啜る。飲み物の肴はピカタ三三の能力、『超速』について。人間の十六倍で動き回る怒涛の不審者、これについての言及だ。
「実際、かなり面倒臭い能力だぞ。ずっと発動してる訳だから、俺はその速度を無理やりお前らに合わせてるだけで、無闇に解放したら最後、散歩するだけでこの街破壊できるぞ! ガーハーハー!」
「嘘やん、有ろかいそんな話」
初めての人外にドキドキしながら、唯一の客たちを見つめる稲枝。その強烈な視線に気付いた真白は、何か粗相でもやったかと不安になっていた。
折角取り付けてあるのに、回らぬ巨大なシーリングファンの真下で話は続く。
「城下町、百メートルのタイムは?」
「俺け? 自慢やないけんど十六秒ジャストや、走るのは嫌いや」
「くそ遅いが、計算しやすくて助かる。運動はしとけよ」
「『くそ』を付けんなや三四郎」
コーヒーにフレッシュを落とす真白。徐に一口。不味さに拍車がかかっている、恐らくフレッシュまでもが不味いのだろう、不愉快なコクが堪らない。付け合わせに出された豆も不味い、いやに雨でちょっと濡れた草原が脳を掠る。何だこれは。
「お前基準に計算すると、単純にジョージは一秒だ。時速に換算すると三百六十キロ、実際は人間の平均の十六倍だからもっと速い」
「は~」
いきなりの大きな数値に納得の行かない応答をする少年。痺れを切らし、「実際体感した方が速い」と三四郎は三三に我慢せずに喋れと耳打ちした。
「今からジョージが『おはようございます、ピカタ三三です』と言うから聞き取れるか試してみろ」
「なんか長ない?」
「そっちの方が分かりやすい。ジョージ」
「おう。ブーーーー」
「何や? 屁の真似か?」
「ブッ! そんな訳ないだろ! ガーハーハー!」
突然の振動音に放屁と間違える少年、それが面白くて吹き出す三三だがこれ程ややこしいタイミングもない。もう一度、もっと長いやつで、というオーダーに三三はまたやり出した。
「ブーーーーーーーーーーーーーーーー」
「おぉ?」
「ブーーーーーーーーーーーーーーーー」
「…お?」
「ブーーーーーーーーーーーーーーーー」
「……」
細かく振動する口元を見るに、何か喋ってるだろうとは思うのだが、何も聞き取れなかった少年。このように、余りに速い速度であると、音は振動音に代わるのだ。考えても分からない少年は、試しに腕を組みテキトーに答えてはみるものの、三三に「ブー!!」と腕でバツのポーズまで取られて煽られたのでつい頭に血が上ってしまった。
「ナァ、これ冗談ちゃうんけ!」
「ほんまもんだよ~ん!」
「ホンダラそのコーヒーそのスピードで飲んでみい!」
「! 待てジョージ!」
三四郎が止めた時には『時既に遅し』、白いマグカップは天井にぶち当たり弾けた。中身であるコーヒーの大部分は天井よりも低い位置に浮遊していたかと思うと、上半身を乗り出した城下町に重力のまま降り注いだ。追って、マグカップの破片もバラバラと机の上に落ちてくる。三三の右手にはマグカップの取っ手だけ取り残されていた。
「……は?」
「頭冷えたか? 城下町」
いきなり起こった状況に、稲枝はのっそりやってきて「…だ……っす」とよく分からない心配の声をかけにきた。そこで三四郎は謝罪を、三三はコーヒーのお替りを頼んで、稲枝は床掃き用の箒と塵取りで破片を片付け、雑巾でコーヒーを拭き取ってカウンターへ去って行った。その一挙一動に落ち着かない真白は、そろそろ会話を打ち止めて出て行きたい気分だった。
「どうなったんや?」
「ジョージの余りのスピードに、取っ手以外が持ち上げたままの推力で吹き飛んだんだ」
「んなアホな…」
事実に萎える少年。「どうだ?」と自慢げな三三。
「こんな感じで、制御してないとジョージは色んなものを破壊する」
「まぁ、凄いんは分かったけんど、ここで出来ることやとやっぱ地味やなぁ」
最後の抵抗にと口を開くが、再び三三に煽られそのまま会計。更なる実験を外で行うことになった。人数分の支払いを三四郎が済ませ、皆夫々表に出る。
店の外観も壁面をツタが覆い、少しの面積の駐車場は草が枯れまくる状態で近隣の子供たちからは『魔女のコーヒー屋さん』として度々肝試しの場として利用されている女マスターの店。ようやく解放されたと安堵する真白であったが、ちらっと振り返ると稲枝が棒立ちに睨んでいたので思わず肩を緊張させた。
その後、幾つもの三三の驚異的速度を見せつけるも、特に少年を腹落ちさせるような実験があったわけでもなく、その日はそれで解散となった。ただ、そのまた後日、本を買いに行こうと湖岸沿いを歩いていた少年は、はしゃぎながら湖上を滑走する三三を見かける。少年は、あの時これを見せてくれればもう少し納得できたかもしれないとうんざりしながら、クソ暑い中、書店へ向かったのだった。




