006 ハードパンチャー終
粗方鍋を片付けて、皆ぼぉっとしている所に三三が切り出した。
「親父、俺はしばらくこっちに住むぞ」
「どうした? 旅は良いのか?」
「いや、昼に三四郎がボソっと言ったろ、俺も気付いたけれども。……『化物因子』。仮に俺たちからも出てたとして、今まで行っちまった所はこの際目を瞑ってもらってもよ、あんまり色んな所へ行くのは危険だな、と」
「ふぅむ、確かにな」
「そうだな、態々(わざわざ)ばら撒きに行くような事をする必要もないだろう」
「じゃあ三兄ちゃん、これから一緒にいるの?」
「いいか? 親父」
「……血の繋がらぬ人外と言えど我らは皆家族! 一つ屋根の下、共に食べ共に寝る。…これは当たり前の事で拒絶などするべくもない」
三一はそう言うと立ち上がり、自室へと歩いていった。
「わーい、やったー!!」
三四の喜びに、家が物理的な共鳴に震える。すぐ隣に座っていた三四郎は……多くは語るまでもない。衝撃にジーンとして、変わらぬ顔のまま微かに細やかに震えていた。
「それだったら、置きっぱなしのベッドをちゃんと掃除しないとね。お洗濯は今日はもう遅いから明日にするわね。今夜はお布団で我慢して頂戴」
「悪いなお袋。明日は何か手伝いを任してくれ」
「三兄ちゃん、居間にお布団敷く? 今日は私もお布団敷いて三兄ちゃんと一緒に寝る!」
「寝相悪くしてくれるなよ? お前の体で乗っ掛かられると潰れっちまう! ガーハーハー!」
三三の揶揄に「もう!」と拗ねてじゃれる三四。痩せぎすの三三に超身長の三四がじゃれるのだから、何も知らない人間からするとライオンが鼠に襲い掛かっているような構図にしか見えない。その様にしか見えないが、化物たちの笑みは実に穏やかだ。化物たちの住処に訪れたこの祝福すべき時間は、幸福な人間の家族が作り出すそれと何ら変わりなく、団欒の笑顔に溢れその声も絶えぬ化物たちの求める所の「楽しい」に満ち足りていた。
…
…
三三と三四が一頻り遊んだところで、三一が昼間吞みそびれた酒瓶を片手に戻ってきた。表情は分からぬが、恐らく笑みを浮かべているのだろう。足取りからして間違いあるまい。
「今日は三三が帰ってきた愉快な日だ。愉快な日は酒に限る。酒は良いぞ、人間でない我々でも『酔い』というものを楽しめるのだからな。それに、これはちょっとだけ良い焼酎であるからして、『酔い』もまたちょっとだけ良いんだ。ちゃんと氷を入れて冷やしたグラスで呑もう」
「焼酎は初めてだな。いっつもビールばかりだから呑めるか分らん」
「まぁ、そう言わずに付き合いなさい。ちょっとだけ良い酒だから」
三三の停留が殊の外嬉しく、御機嫌の三一。折角だからと、三四郎も交えて男(?)三人で呑むことになった。日本でオーソドックスな簡素な乾き物を幾つか。冷蔵庫に保存してあった鶏皮を湯引きしたものにポン酢と昆布出汁を掛け、少量の輪切りされた唐辛子、箸先分くらいの大蒜・生姜とで和えたもの、別皿で水にさらした葱を卓上に用意。後は、三一がこっそり隠していたチーズの練り込まれた魚肉ソーセージを加えて準備完了。喜びに落ち着かない三一がグラスを用意し、酒を注ぎ始めようとした時だった。
「パァァァアアアンチ!!」
唐突にも空間から飛び出した剛拳に、三一が持つ酒瓶が横殴りに叩き割られる。散る硝子、舞う焼酎、ヌルリとまろび出るハードパンチャー。息子たちと楽しもうとしていた酒瓶の爆散に状況を呑み込めず、「え?」という素っ頓狂な声を発したが最後、三一は呆け顔のまま固定され、動かなくなってしまった。
「ハードパンチャー?!」
「何でだ三四郎、早すぎるだろ!」
「無知な化物共め、俺はハードパンチャー……故に不思議な空間に閉じ込めるなど何の意味も持たない。ハードパンチャーとして脱出に少し時間が掛かったことは認めよう、然しハードパンチャーの中でも一段上のハードパンチャーである俺のハードパンチを以てすれば無理矢理に叩き割り元の次元に帰還するなど造作もないことだ。抜かったなぁ!」
卓上に立ち上がりせせら嗤う狂人。せっせと用意したつまみたちは無残にも散乱し、闖入者の出現に宴は中止せざるを得ない状況に追いやられた。
「バカ野郎、説明になってねぇぞ! 俺の亜空間の中で何しやがった! こんな早いこと出てこれるはずがない!」
「抵抗」
「あ゛あ゛あ゛!!!」
壮健な拳を示して張るが、やはり脱出に体力を割き過ぎたのだろう。昼下がりの事を思い出した三四郎が発狂しながら組み付に走ると、あっさり捕まり抵抗も見せなかった。よく見てみると弾む呼吸に肩を上下させ、明らかな衰弱に額を汗が伝っている。だと言うのに、テキトーな講釈を瞬時に垂れる胆力は大したものである。
「…拍子抜けだ。息も絶え絶えじゃないか。簡単に抑えられたぞ」
「ふふ、ハードパンチャーだからといって脳味噌までハードパンチャーで一杯な訳がないだろう。俺だって反省はしてるんだ」
「何だって?」
「その証拠に抵抗はしない。確かに俺はハードパンチャーだ。誰に恥じる事無い極上のハードパンチを持ったハードパンチャーだ。何にも揺るがす事のできない、孤高の存在であることはお前らも重々認める所だろう。そんなハードパンチャーの脳味噌が他をかなぐり捨ててまでもハードパンチャーの事だけで満たされてる、そんなはずがない! ハードパンチとは所詮他者と比較した際のパンチの強度を讃える言葉でしかない。では何がハードパンチャーである俺をハードパンチャー足らしめているのか…。それは絶対的なパンチの強さと共に、ハードパンチャーとして己のハードパンチへの理解を示しそして躊躇なくそれを実行に移す心意気と実直な誠意、これがハードパンチャーとしての絶対条件。ハードパンチャーは己の善と知を以てハードパンチャーとして初めて名乗りを上げる事が出来る。そんな尊いハードパンチャーである俺だからこそ、己のハードパンチに飽かせて矢鱈目鱈一人の少女を追い回した今回の事態はやり過ぎたと反省しているんだ」
「脳みそハードパンチャーで一杯じゃねぇか、何なんだお前」
ドタバタ騒ぎに別室に居たミ一と三四も駆けつける。三四郎に締め付けられる狂人の姿を改めると、二人とも驚きに目を見開き言葉も発せずにいた。
「で、大人しく三四郎に捕まったハードパンチャーさん。反省したお前は亜空間ブチ破って出てきて何するってんだ」
「まあ取り合えず離せよ。謝罪の一つも出来ないじゃないか」
「……三四郎」
三三と暫く目で会話をすると三四郎は力みを解き、クラッチする腕を離した。狂人はそれでも尚大人しく、直ぐに逃げ出す気配はない。締め付けによる衣服の乱れを直し直し、毅然とした態度も崩さない。油断した三四郎の顔面に力いっぱい一発食らわした。
「これはお前に危害を加えていない俺を締め付けた分だ」
殴られた三四郎は痛みに痺れる顔面も余所に、考える事を諦めた。確かに心の折れる音を聞いた。考えると頭が煮え付く感覚を嫌い、「もう勘弁してくれ」という心地に心が一杯になってしまったのだ。「ジョージ、俺、もう」と言うと、言ったっきり口を噤んだ。そうして二体目の動かない化物は生成された。
「てめェ、やっぱり反省してないじゃないか」
「反省はしている。紛れもない事実、このハードパンチに賭けてもだ」
三四郎を殴った右拳に息を吹きかけると、悪びれも無く答える。是には三三も参った。どうやっても会話が上手く行かない。それを差し置いたとしても、行動にも突飛が見られて次の予想の着けようが無い。『化物因子』とは人間をこれ程までに厄介に作り変えてしまうのかと呆れるしかなかった。
「少女には謝罪と、そしてこれだけは伝えておいてくれ。『俺は俺のハードパンチャーを貫く』、と。これが一番大事だ。最悪謝罪は忘れて貰って構わない」
遂に三三も訳が分からなくなって、思考を放棄した。肩の力が抜ける、気力も霧消してしまった。もう是以上はいい、と。ピカタ家の男共はこれで全員、動かなくなった。
「婦人たちも、迷惑を掛けた。これはお前達へのせめてもの餞別だ、受け取ってくれ」
唖然としているミ一に向けて何かを放る。手の上に落ちてきたのはくしゃくしゃに丸められた一枚の小さな紙で、開けてみると電話番号が記してあった。三四が見下ろし様に首を傾げ、ミ一が怪訝に顔を上げると、口角上がる変わらぬ狂人の自信顔。
「俺の番号だ。ハードパンチが必要になったら早朝、深夜問わず何時でもそこに掛けてくれて良い。俺のハードパンチはお前たちを歓迎している」
そう言うと呆気に取られる二人を置いて、狂人は荒れた机を少しだけ片づけて玄関を出て行った。
正に嵐の如き時間だった。一人の人間が嵐になり、一様に破壊し、暴れるだけ暴れて、勝手に過ぎ去った。
「儂の……子供たちとの酒が…団欒の時が……」
――――――――――
――――――――――
盛る夏の夜。夕食過ぎに現れた人間は、一人化物退治の偉業を成し拳高らかに夜闇へ消え去った。後に残るは、物言わぬ三体の化物、立ち尽くす女二人、荒れた食卓。
これはまだホンの序盤の、一寸した話の起こりに過ぎない。以降、世界に漂い在り続ける『化物因子』は、人心に障る事で化物を造り上げ、それらによって惹起される珍事は溢れ、化物たちの生活は怱怱たる対応に動きを余儀なくされる。
今回の騒動で、三四郎はじめピカタ一家は事の重大さを十二分に思い知る事となった。然し、依然解決策は出ぬままでその糸口すら明らかにされていない。他の人に害を及ぼさぬ類であれば多少の放置は、まだ許されるであろうが、確かな攻撃性の意思を孕んで闊歩する準化物が現れないとは誰も断言できず、この状況では見かける度、呼ばれる都度、化物たちが一々処理に奔走する他対応策がない。
化物は甚だ遺憾であった。
己の思い焦がれる生活が脅かされている。誰の意思かも分からん、唯の超自然的発生かも知らん、然し脅威はずっと隣に居て静かに臭い立つ吐息で挑発を繰り返し、何時どういった形で牙を露に襲い掛かってくるか知れん。これが無くならぬ限り何時までも影を気遣わねばならず、求める快楽の時は何処までも遠く眺めるだけに終わる。何を以てしても食い止めねばならぬ、根源を打ち潰し屠らねばならぬ。然し、とは言え……。
「今日は疲れた。今日と言わず、この件に関しては明日以降も考えたくない」
そういった思料で頭が埋め尽くされると、化物は朝の内に荒れたままの部屋で、泥に帰って行くかの様に本来必要の無い微睡の腹ん中へと沈没していくのであった。




