001 誕生
化物は甚だ遺憾であった。
日本国内有数の森林のその最奥、人気は無論獣ですら立ち寄らない地獄の秘境とも呼べる場所にある、命あるものであらばその腐り饐えた臭いで昏倒してしまうような、粘性を帯びた泥と溶けた鉛・銅等の煮えたぎる沼よりその化物は発生した。
化物は己の名をピカタ三四郎ということを知っていて、己の立った世界の知識もある程度持ち合わせていた。
何色とも取れぬ沼の岸で、化物は暫くの間立ち尽くし、やがて自分の見た目や出来る事等を確認し始めた。その肉体は正に巨木というに相応しく、浅黒く焼けた肌、柱のように聳える足腰、岩石を詰込んだ様相の腹部、しめ縄を幾本も束ねたかの如く高密度で筋走る腕、強風をも薙ぎ倒す威風堂々たる肩肉、大鷲が翼を見せつけるかのような背中、超立体と言って申し分ない胸板、そしてその頑強な骨肉から生える極太の首筋……。
然しながら、その肉体は物理的な破壊力を一切有しておらず、そこらに散らかるちょっとした岩を担ぎ上げるにも豪雨のような汗水を垂らし、荒ぶる肺器官は重く巨大な肩を上下に、軽やかに揺らすのだ。
三四郎は、これには不思議を感じながらもまだ精神の安寧を保つことができた。強靭な躰に精強な神通力が宿らぬことなど特段珍しいものでもなく、寧ろ肉体と対比的な儚さに一種の芸術をも覚えた。それに、三四郎には体に見合った力が無くとも、別に特殊奇怪な能力を有していたので、己の非力など気にする必要もなかった。それよりも、三四郎が問題としていたのは頭部、及び顔の面にあった。
名も知らぬ創造主の気紛れにより、何の天命も与えられぬままおふざけに放り出されたにも関わらず、その頭部は背の低い直方体で濁り無き完全なる白色。瞳は黒い糸屑を雑に丸めたようで、鼻は無く、口は逆三角形を申し訳程度に貼り付けられ、それぞれの部品は面の中央寄りに集められている。これ程に繊細にデザインされた肉体に反し、その顔は目に余るやっつけのそれであった。
「俺を作った奴は、顔を上手に描けない才の乏しい駆け出しだ、そうだ」
そう自分を宥めても、俄かに沸き立つ腹底の煮えはクツクツとしたまま、解決も難しそうなのでこれも余計に気分を害する原因となった。
そうは言っても、苛立ちはあるも、折角生を受けたのであるからには、すっかり人間達に混ざり面白可笑しく生活を謳歌せねば何のことやら分からぬと、心機一転とはいかないものの三四郎は人里へ向かうことを決めた。幸い、シモには何やら伸縮性のある丈の短い召し物が装着されており、足先は淡い桜色のスニーカーに包まれていたので、三四郎は自分の知識にある「服」という概念とそう乖離はしていないと判断し、そのまま暗い林を進んだ。
「待っていろ、人間達よ。俺が行くからには、きっと楽しい所なのだろう? 俺も楽しませろ!」
血気盛ん、意気軒昴に大股で歩く化物の背中を、森は閑散のまま見送った。三四郎が発生した沼は粘りある怪臭の呼気で激励した。三四郎はこれからの事を思い、間延びした笑い声で応答した。そうして、化物の姿が見えなくなると辺りはすっかり静かになった。