抗体獲得
女は一週間経っても来なかった。
来ない気はしていた。キスは明らかにやりすぎた。
あまりにもタイプだったから早まってしまった。冷静に考えたら、院長の孫娘に二回目の接種をしに行く時にもチャンスはあるわけで、もっとゆっくり事を進めたって良かった。
まあ、過ぎたしくじりを悔やんだって仕方がない。どうせ手に入れたところで続かなかっただろうし、訴えられなかっただけマシだ。
一人の女と長続きしたことがない。一度抱いたらどうでもよくなる。追いかけられたりなんかした日には、心底その女が嫌いになる。
最低な人間だと自覚しているけど、女は次から次に寄ってくるから、特に困ってはいない。
女に『今週は夜八時以降は家にいる』と伝えたのが月曜日だったから、一応、日曜日の今日まではまっすぐ家に帰ってきたけど、どうせ今日も来ないだろう。そう思って、テレビにエロ動画を映して一人で処理しようとしていた。
インターホンが鳴ったのは、そんな時だった。
「来ないかと思ってたよ」
下半身の熱を鎮めることに全神経を注ぎながら、女を家に上げた。
注射セットが入った鞄を寝室に取りに行った俺は、女がリビングで固まっているのを見て、エロ動画を映しっぱなしなのに気づいた。
「ごめんごめん、こんなことさせる気ないから心配すんな」
そう宥めながら、女優の雰囲気がこの女に少し似ているという理由で選んだ動画を消した。
「わ、私、帰ります。すみません、あの、邪魔しちゃいましたよね」
遠慮がちに俺の股間のあたりを何となく指してくる。だいぶ目立たなくなっていると思うけど、バレちまったか。
「そういう知識はあるのか。一応確認しとくが、未成年じゃないよな?」
動揺させたくてそう訊いたけど、女の目がぐるぐるしているのを見て、すぐに反省した。
「落ち着け。注射するだけなんだから答えなくていい。あんたが何歳だろうが今日は手ぇ出さねえよ」
「わ、私……」
ジリジリと後ずさっていくのを、帰る気かと思いながら見ていると、女はキッチンに置きっぱなしにしていた飲みかけの缶ビールを手に取った。
「あ、おい」
止める間も無く、女はそれをゴクゴクと飲み干してしまった。
「先月、ハタチになりました」
目が完全に座っている。
キャパオーバーを起こして壊れたか。面白いけど心配になるな。
「おいおい、酒入ってるやつには打てねーぞ」
「何をですか?」
「ワクチンに決まってるだろ。何しに来たんだ」
「何って、先生にお礼を言いに……」
呂律が怪しくなったかと思ったら、女はいきなり崩れ落ちるように倒れこんだ。
「すげえ熱じゃねえかよ」
彼女を抱きとめて、その熱さに驚く。
自分の下半身に気を取られて女の顔をまともに見ていなかったけど、確かに顔が赤いし、呼吸も荒い。
ソファーに座らせて心音などを調べた。特に異常はない。おそらく風邪だろう。
俺が『今週』と言ったから、今日までに来ないとダメだと思ったのだろうか。こんなことなら連絡先も教えといてやればよかった。
「あんた、家はどこだ」
俺のジャンパーを羽織らせながら尋ねたけど、女はぐったりして答えない。
ここに泊めたりなんかしたら、さすがにヤバいよな。
「悪いけど鞄見るぞ」
そう断って、中から財布を取り出した。
保険証発見。
『相川莉音』
これがこの女の名前らしい。裏返すと、綺麗な字できちんと住所が書いてあった。ここから五キロほど離れた場所だ。
「そういや、飲んじまったな、俺」
車で送るわけにはいかない。
そもそも、こいつはどうやってここまで来たのだろう。財布の中を探したけど、運転免許証は見つからなかった。
「おい、家に誰かいるか?」
女の肩を揺すって問いかけると、
「母と妹が……」
と、ふにゃふにゃの口調で返ってきた。
安心した。一人暮らしだったら、放っておけなくてズルズルと手を出してしまいかねないところだった。
さっき女の鞄から財布を取り出した時に、『高等学校卒業程度認定試験』と書かれた紙が入っているのが見えた。通称、高卒認定試験。俺とは住む世界が違う人間なのだ。俺なんかが汚していい女じゃない。
女が住むアパートの前までタクシーで行って、女を抱き上げて三階まで上がった。
出てきた母親らしき人は、俺が勤務先の病院とともに名乗ると、なぜか俺のことを睨みつけて、娘を引き取るや否や、礼も言わずにドアを閉めた。
待たせていたタクシーで家に帰る途中、とても大きな魚を逃したような喪失感が、頭から全然消えてくれなかった。