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第 〇 話 虚

 私は、十二年前の地獄を知らない。


 闇の中、狂ったように踊る炎が、建物ごと閉じ込めた人を蒸すように焼き焦がしたことも。巨大な岩のような何かが、意思を持つすりこぎのようにただ人を潰していったことも。砕け散った残骸の中で、生き残った人間が、暗い呪いのような視線を放っていたことも。

 資料と伝文でしか、私は知らない。


 だから私は、この目の前で繰り広げられる光景が、あの時の地獄と同じものか知らない。


 だが、これはきっと、それと同じものなのだ。





監正かんせい!」


 後ろから、叫びにも似た声がした。


 薄暗い、ろうそくの明かりだけが照らす細く長い廊下を、鉄の笠を抱いた女が全力で走っていた。


「いまだ、避難が完了したとの連絡が来ておりません」

「間に合わないならば、それで結構」


 監正と呼ばれた小柄な女が、にじり寄る女の手から鉄の笠を手に取った。円錐形の鉄をかぶり、紐をしめる。無骨な、暗い鉄の色が鈍く光った。手に持った真っ黒な法衣を羽織り、後ろから続く手甲をつけた男たちと共に狭い廊下を抜けた。


 抜けた先、月のない夜の闇だった。


 開けた広場の奥、権威に満ちた宮中の建物の群れは、積み木が薙ぎ払われたかのように砕け散っていた。


 花火が打ちあがる音がした。四方から、熱を持つ光の球が空へ登っていく。照明弾だ。はるか先、空の上で弾け、周囲を焼き焦がしながら落ちる光の球。雲一つない闇を昼に変える、人工の太陽。


 弾けた光から、一点、照らされないものがあった。蹂躙された建物の中、光を飲み込むように、ただ一点の巨大な黒い何かがうごめいていた。


 真っ黒な、巨大なナメクジだった。すべての建物を超える高さの、這いずり回る真っ黒な流動体。ひだのような裾野から、無数の黒い触手が伸びていた。


 甲高い、金切り声のような音が大気に響いた。勢いよく燃えるかがり火が、音に反応するようにその炎を揺らし一瞬で消えた。


 光の消えた中、真っ黒なナメクジが小刻みに震えた。裾へ広がるそのひだで、踊る衣のようにただ周りの建物を薙ぎ、砕いていく。散った建物の中、逃げ遅れた赤黒い肉の塊の群れを、黒いひだが吸い込むように飲み込んでいった。


 監正が大きく手を上げた。


「結界を放て! この位置より一歩も動かしてはならぬ!」


 地面を、青白い光が走った。宮中を囲む、あまりにも巨大な青白い光の環。幾重にも走ったその青白い光が、ゆっくりと地面から離れ、浮かび上がるかのように宙を昇っていった。


 —— なぜ、今になってまた再び現れたのだ。しかもこの都に。狙いすましたようにうろが。


 胸の前で組んだ監正の手が、青白い光を放っていた。


 —— 今は考えても無駄だ。

 —— 私は、この地獄にふたをしなければならない。それが私の役目だからだ。


 視線の先、遠く、ゆっくりと這いまわる黒い山の先端で、何か白いものが浮いているのが見えた。


 真っ白な、法衣を着た何かだった。腰を曲げ、宙に浮いている。顔と思しき個所に垂れ下がる白い布。青白く照らされた闇の中で、鈍く、虹色の光を放っていた。


 監正が胸の前で手を結んだ。


 遠く、放たれた青白い光の環が、真っ黒なナメクジを取り囲むように収縮していった。


 なぜか、目が合った。気がした。この距離で、見えるわけがなかった。だが確信していた。


 真っ黒な虚の先端、白い法衣を着た何かが、口の端を上げかすかに笑ったのを監正は見た。

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