番外編 チリオスタの嫉妬3
「レオン、レオン?」
「あぁ、どうしましたかエレノア」
晩餐を囲んでいると言うのに、レオンはウトウトして心ここにあらずだった。
「遠征の疲れがまだ残っているのではないですか?」
「いえ、エレノアの出迎えで、疲れなんて一瞬で吹き飛びましたよ」
そんなわけないでしょう。それなら医者も睡眠もいらぬではありませんか。
というかそんな力があるのなら、すぐにでも王宮内にヒーリングサロンを開いて商売を始めますよ。
「でも随分お疲れのようですが」
「兄上の機嫌がひどく悪くて」
「はぁ」
それは藪をつついたせいではありませんか? 自業自得ですね。
「恐ろしい程の課題の量と、いつも以上に厳しい指導が……」
それは困りました。早く機嫌を直していただかなくてはこちらの業務にも支障をきたします。
レオンに裁可の署名をしてもらわねばいけない書類が、遠征中にしこたま溜まっているのですよ。
「何とかせねばなりませんね。明日フレデリカ様とお話ししてみますわ」
「すみません、不甲斐ない僕のために」
いえ、仕事のためです。と喉まで出掛かって飲み込んだ。
***
「エレノア様。フレデリカ様をお連れいたしました」
「お通ししてちょうだい」
こちらから出向くことは一向に構わないのだが、王宮内の規律を重んじるフレデリカ様は王太子妃である私が行くとひどく恐縮する。なので最近は侍女のクロエに呼んできてもらうことにしている。
今日もフレデリカ様は何の疑いもなく部屋に来て、いつも通り嫌味のない笑顔を浮かべて王太子妃に向かって恭しく礼をした。
「エレノア様、お誘いいただき光栄でございます」
「いつも申し上げておりますが、そういうのは良いのですよ。私は元々伯爵令嬢で、フレデリカ様は生まれた時から王族なのですから」
「そういうわけには参りません。今はエレノア様も王族であり、それに将来の国母でいらっしゃるのですから」
うーん手強い。これは骨が折れそうです。
私はそんなことを思いながらフレデリカ様をバルコニーに誘った。
クロエはバルコニーの白いテーブルセットに手際よくお茶の準備をし、それが終わると静かに室内に戻ってガラス扉を閉めた。こうすればクロエの目が届きながらも、ここでの会話は私とフレデリカ様の二人にしか聞こえない。そういう演出だ。
私たちはしばらく貴族がするような当たり障りのない会話をしながらお茶を飲んだ。まだお茶が温かいうちに、私は話を切り出した。
「先日チリオスタ殿下からご相談を受けたのですが」
フレデリカ様は優雅な所作でティーカップを置いた。動じた様子を見せないところに恐れ入る。
「そうですが。ですがこの件に関して、私は譲るつもりはございません」
おぉ、こんなにも意思を持って話すフレデリカ様、初めて見るかもしれません。さすが王妃となる女性だった方、威厳というか、オーラがすごいです。
「私は『フレデリカ様と打ち解けたい』と殿下より伺ったのですが、フレデリカ様は打ち解けたくはないのですか?」
そう言い返すとフレデリカ様はみるみる顔を赤く染めた。これは私の知っているフレデリカ様ですね。
「す、すみません。早計にものを申しました」
「いいえ、構わないのですが。何があったのです?」
「……打ち解けていないように見えますか? こんなにもお慕い申し上げているのに」
質問を質問で返されてしまいました。
正直お二人の関係性などよく知らないので、何とも答えようがありません。
そう思って黙っていると、フレデリカ様が口を開いた。
「打ち解けていないように見えるのでしょうね。少なくとも殿下にとっては」
その瞳は私に向けられていながらも、私を捉えてはいなかった。
「名前を呼ぶように言われました。エレノア様たちのように、呼び捨てにせよと」
「殿下が良いと仰ったなら呼べば良いのではありませんか?」
「な、なりません! けれど、呼ばなければ口を利かないと仰って……」
フレデリカ様はふっと目を伏せた。
その仕草ひとつとっても、どこにも隙がなく優美で、品があるのだから生粋の王族とは恐ろしいものです。
「それは寂しいですね」
「これが寂しいということなのですね」
フレデリカ様の瞳から、はらりと涙がこぼれ落ちた。
その朝露のような美しい水の粒に、私は思わずぎょっとした。
「私は殿下を愛しております、そして誰よりも尊敬しております。その気持ちが強ければ強い程、敬称をつけずに呼ぶなど出来ないのです。あの方はこの国の第一王子で、私はその妃です。……ですが、二度と殿下に名前を呼んでもらえないかと思うと、寂しい」
生まれたばかりの「寂しさ」と、生まれた時から持ち続けてきた王族としてのプライドの間で苦しんでいるようだった。
「ならばチリオスタ殿下が王子でなかったら呼べたのでしょうか」
「考えたこともございません」
「では仮に、考えてみてくださいませ。レオンに王位を譲るような方です、フレデリカ様に名前を呼ばれるためならと、平民になったとしたら? まぁ合理的な方ですから、レオンに全て叩き込んでからにはなるでしょうが」
「いくらエレノア様でも不敬ですわ!」
はい、もっともです。ですが不敬は織り込み済みなのですよ。
「仮定の話です。広いお庭でフレデリカ様はたくさんのお花を育てていて、そこへ愛する夫が帰ってきて――思わず胸が躍って、愛しい人の名前を呼ぶのです」
フレデリカ様は一瞬考えるような顔をして、ぽつりと言った。
「チリオスタ、おかえりなさい」
私はすっと立ち上がってバルコニーの端まで歩いた。
「お聞きになりましたか?」
「あぁ、聞こえた」
レオンの私室から繋がっているバルコニーから、チリオスタ殿下の声がした。
***
チリオスタ殿下とレオンは寝室の続き扉を通って私の部屋にやってきた。
フレデリカ様は目を見開いて固まっていた。
私はクロエから契約書を受け取り、チリオスタ殿下に差し出した。
「チリオスタ殿下、契約の履行をお願いいたしますね」
「承知した」
昨夜交わした契約書。
『フレデリカにチリオスタの名前を呼ばせることが出来たら、レオンに1週間の休暇を与える』
内容は至って簡素なものだが、そこにチリオスタ殿下、レオン、私の署名が入っていると途端に仰々しいものになる。
「フレデリカ様、騙すようなことをして申し訳ございません。ですが先程のは『空想上の平民の妻』が、『空想上の平民の夫』を呼んだだけでございますからお気になさらず」
私はフレデリカ様を慰めるように言った。
「あ、あの、私は、何てことを」
真っ白な顔をして今にも倒れてしまいそうなフレデリカ様を、チリオスタ殿下はそっと支えた。
「エレノアの言う通りだ。気にすることはない。お前が呼んだのは『空想上の平民のチリオスタ』だ」
「だとしたら、私は殿下を呼んだことにはなりません。それでも良いと仰るのですか」
「構わん。お前と話せないことの方が堪える」
チリオスタ殿下はそっとフレデリカ様の頬に触れた。
恐ろしく美しいお二人が、風にたなびくカーテンの側で見つめ合っている。
ここ、私の部屋なんですが。
「それに思ったより私たちは打ち解けているようだ。私のことで『寂しい』と言い、声を上げて憤り、そんなお前は初めてだ」
「っ!」
「それほどまでに愛情も尊敬も強いのだろう?」
「……はい」
フレデリカ様は恥ずかしさを隠すようにチリオスタ殿下の胸に頭を預けた。
「フレデリカの気持ちが見えず、どこかよそよそしさを感じていたが、お前の気持ちはよくわかった」
「お慕いしております」
「私も愛している」
「兄上、続きは自分の部屋でしていただけますか」
***
その夜、チリオスタとフレデリカは普段ほとんど使うことのない夫婦の寝室にいた。
「そろそろ眠るか」
「はい」
「明日から1週間、公務はあるがレオンに使っていた時間が空いたからな。何をして過ごすか考えておけ」
「一緒に過ごしていただけるのですか?」
「あぁ、打ち解けるのに良い機会だろう」
「ふふ、私の方はもうずっと前から打ち解けておりますよ。でも、そうですね。殿下といられるのでしたら、何でも嬉しゅうございます」
「そうか」
ふわりと笑ったフレデリカの頭を、チリオスタは愛おし気に撫でた。
「あの、殿下。少しお耳をお借りしてもよろしいですか」
「構わんが何だ」
フレデリカがそっとチリオスタの顔を両手で挟んだ。
「おやすみなさいませ、チリオスタ」
「っ!」
そしてその両手をぎゅっとチリオスタの両耳に押し当てた。
「……殿下」
まだ呼べない。
だけど彼にそう聞こえるようにすることは出来る。
フレデリカは顔を真っ赤にしながらチリオスタの耳を塞いでいた。
番外編これにて終了です。ありがとうございました!
レオンは1週間の休みを手に入れ、エレノアとイチャイチャ出来ると思ったら……。
1日目 書類に署名
2日目 遠征に行った場所の特産や経済状況の確認
3日目 さらに今需要があると思われることの炙り出し
4日目 新規事業計画の作成(エレノア主導)
5日目 事業計画の練り上げ(エレノア主導)
6日目 各領主への計画書送付の準備と招聘の手続き
7日目 書類送付と翌日から再開される勉強の予習
と、さっぱり休めなかったのでした。
でもずっとエレノアと一緒にいられたからこれはこれで良い!?




