番外編 正妃オリヴィアの愛慕4
私は18歳になり、ラディス殿下は5日に一度は部屋を訪れるようになった。
そろそろ世継ぎを、と考えているのかもしれない。
けれどラディス殿下は上の空のことが多かった。
「殿下、お疲れでございますか。安眠効果のある香などいかがですか」
「いや、いい」
「失礼いたしました」
「オリヴィアは本を読むか?」
「はい。最近は本よりも資料を読むことの方が多いのですが」
領地のことや水害対策の資料、干ばつにおける対応と結果をまとめた資料など。
国について知らねばならぬことは一通り読むようにしている。
「栞は何を使っている」
「栞、でございますか。金細工で出来たものを、幼少時よりずっと大切に使っております」
私はデスクの引き出しを開けて、細長く婉曲した栞を見せる。その細いカーブには丁寧な彫りが入れられている。
「これだけか?」
「はい。昔父にもらったもので、古いものですが」
「すまぬ、変なことを聞いた」
「いいえ。どうかなさいましたか」
「いや、何でもない」
殿下は溜息をついた。
「殿下が気にしてらっしゃる『栞』とは何なのでしょう」
翌朝、私は女官長を呼びつけて聞いた。
ラディス殿下がわざわざ口にしたのだ。何でもないはずがない。
その「栞」とやらに、殿下に溜息をつかせる何かがあるのならば早急に対処せねばなるまい。
「お調べいたします」
「内密に」
「承知しております」
数日後、女官長は私の部屋を訪れ、人払いをした。
「人払いをせねばならないようなことでしたか」
「念のためでございます」
「報告を」
「殿下が読みかけで放置した本に、栞を挟んで片付けをする者がおりました」
それは秘密裏に殿下に近づこうとする女がいるということだろうか。
「どのような女ですか」
「ご心配には及びません。ただの洗濯係にございます」
「洗濯係ですか。人柄は?」
「オリヴィア様がお気にされるような身分の者ではございません」
「身分はよい。人柄を聞いています」
ただの親切のつもりなのか、それとも殿下に取り入るつもりなのか。
「早くに両親を亡くし、若い頃から王宮務めをしている苦労人でございます。実家に爵位はありませんが、勤務態度は大変真面目でよく気が付き、周囲からの評価は高いです。穏やかですが、利発で学はあるようです」
「そうですか。会えるよう取り計らってください。偶然、という形で」
「せ、洗濯係とですか?」
洗濯係は通常、王族の前に姿を現すなんてことはない。
「二度は言いません」
「わかりました。本日のリネンを彼女に運ばせましょう」
ノックの音がする。
「洗濯係のマーガレットと申します。女官長様より、オリヴィア様のお部屋にリネンを運ぶよう仰せつかりました」
「入りなさい」
「失礼いたします」
苦労人と言っていたのは本当だろう。
若く見える割にとても落ち着いている。所作だってきちんとしているし、どこかの令嬢が社会勉強に働きに出ているように見えなくもない。
「ありがとう」
「使用人にそのようなお言葉、もったいのうございます」
「女官長からあなたの働きぶりは聞いているわ。ちょうどお茶をいただくところなの、あなたも座りなさい」
「オリヴィア様と席を共にするなど、滅相もございません」
「よいと言っている。座りなさい」
「は、はい。失礼いたします」
どうだろうか。
少なくともマーガレットからは、側妃カシーミアのようないやらしさは感じない。
杞憂だっただろうか。
私がお茶をすすっていると、侍女たちが続きの間で何やら話している声が聞こえた。
お茶を入れ終わって雑談タイムのつもりでいるのだろう。
「側妃のカシーミア様は『権力と結婚した』なんて言われているらしいわよ」
「まぁ、恥ずかしいこと。それに対してオリヴィア様は『国と結婚した』だなんて言われるくらい、将来の国母としてのご自覚がおありだわ」
王宮の女たちの楽しみなんて噂話くらい。
それも権力争いに絡む話は大好物。
仕える主人でマウントを取り合うなんて、本当に下世話でうんざりする。
「あの、オリヴィア様。少し失礼いたします」
そう言うと、マーガレットはすたすたと続きの間へと歩いて行った。
「な、何? 洗濯係が私たちに何の用?」
「聞こえておりますよ」
「な、何が」
「そのような噂話、されるべきではございません。もし私がその話を洗濯室で触れ回り、別の者の口を通って側妃様のお耳に入ったらどうするおつもりですか」
「なっ、そ、それは」
「側妃様のお怒りはオリヴィア様に向くのです。主人のお立場を悪くするのが侍女の務めですか」
「マーガレット、もうよい」
「ひっ、オリヴィア様! 私たちは決して、オリヴィア様を貶めるつもりは」
「そうです。オリヴィア様がいかに素晴らしいかを話していただけなのです」
くだらない侍女を持ったものだ。
この洗濯係の方が、主人に仕えるということはどういうことか、よく心得ている。
「仕事に戻りなさい。興が逸れました、マーガレットも持ち場へ」
「出過ぎた真似をして申し訳ございません。決して口外いたしません」
マーガレットは本当に口外しなかった。
ひと月経っても私室は静かなままだった。
そしてちょうどその頃私の懐妊が発覚した。
私は女官長を呼んだ。
「異動を命じます。このリストに載っている者には暇を出しなさい」
「この者たちはオリヴィア様付の侍女ではありませんか。それもオリヴィア様がいらした時からの」
「そうですね。古参の者たちでしたが、それゆえ緩みが出たようです」
「それは申し訳ございません。侍女の教育を徹底いたします」
「それから、マーガレットを私の侍女に召し上げなさい」
女官長は心底驚いた顔をした。
「例の洗濯係をですか」
「仕事の評価はいいのでしょう? 使ってみたくなりました。これから人手もいるのです」
「ですが、栞の件もありますし。この部屋付きということは、ラディス殿下とも接点が生まれる可能性がございます」
「見えないところで何かが起こるより、近くにおいておく方がよいでしょう」
「承知いたしました」
私の前で見せた振る舞いがマーガレットの本質なのだとしたら、洗濯係にしておくには惜しい。
それにマーガレットが殿下の御心を慰められるのだとしたら、それはそれでいい。
殿下はいつも気を張って、いつだって次期国王であろうとする。
その重荷は正妃である私には下ろすことが出来ないし、権力に執着している側妃にはもっと出来ぬこと。
もしマーガレットがその役割を担えたら、それは引いては国の、次期国王陛下のためになる。
なんて都合が良すぎるだろうか。




