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番外編 リースとお茶会3

 診療所に来て次の日の夜、私は雨音で目が覚めた。雨音だけではなく、風が強く窓を叩いていた。

 少し不安になった私は水を飲んで気持ちを落ち着けようと水差しに手を伸ばす。


 ガシャーン!


 握力が足りず水差しが手からこぼれ落ちた。そしてそれは水溜りを作って割れた。


「リース様?! 大丈夫ですか?!」


 寝癖をつけたサフレット様が慌てた様子で飛び込んできた。


「すみません、水を飲もうとしたのですが。手が滑って割ってしまいました」

「怪我はありませんか?!」

「え? あの、私は大丈夫ですが、水差しが……」

「あぁよかった。すぐに片付けて温かいお茶をお持ちしましょう」

「いえ、そんなことをしていただくわけには」


 サフレット様は子爵家の三男。貴族なのだ。

 そんな殿方に床の掃除をさせ、さらにお茶を入れさせるなどもってのほか。


「さぁ、もう少し横になっていてください。お茶は何がお好きですか? 夜ですから、リラックス効果のあるものにしましょうか」

「ほ、本当に、お構いなく」


 サフレットはモップで床を掃除したあと、丁寧に布で拭き上げた。


「これで大丈夫です。ではお茶を淹れてきますね」

「あの、もう結構です。お休み中だったのでは? もうお休みになってくださいませ」


 きっと夜もかなり遅い。

 サフレット様の寝癖がそれを物語っている。


「僕が飲みたいのです。よければ一杯だけ付き合ってください」


 サフレット様はスマートにそう言った。








 サフレット様は私に蜂蜜湯を、自身には濃い紅茶を淹れて戻ってきた。


「座りますか?」


 サフレット様は穏やかに言い、優しく私の手をとった。私はゆっくり身体を起こし、ベッドに腰掛ける。


「ありがとうございます」


 私は蜂蜜湯を一口飲んだ。

 ほんのり甘くて温かい気持ちになる。


「長い雨ですね。お一人で心細くはないですか?」


 サフレット様は優しい瞳で語りかける。その澄んだブラウンには裏表がなくて、いかにも誠実そうな感じがした。


「大丈夫です。ご心配ありがとうございます」


 小さな診療所の迷惑にならないよう、使用人は近くのタットル子爵家に身を寄せていた。

 私はここで一人、サフレット様に看病されていた。


「リース様は謙虚な方ですね」

「? そうでしょうか」

「公爵令嬢である貴女が、子爵家の三男にそれほど丁寧に接する必要はありませんよ」

「身分は関係ありません、サフレット様は私の恩人です。昨日いただいた煎じ薬もとてもよく効きました」

「それはよかった」

「嫁ぎ先の近くにこのような診療所があるなんて、とても安心です」

「ご結婚されるのですか。リース様、おめでとうございます」


 おめでとう、なのだろうか。

 リースとして嫁ぐのではない。私はサーシャ様としてお嫁に行くのだ。

 何だか胸がもやもやする。


「私が受け取って良い言葉なのでしょうか」

「リース様のご結婚の話では?」

「そう、なのですが。そうでないようでもあって」


 決めたのだから疑問を持ってはだめ。

 私はグルジ公爵家に嫁入りし両親を安心させる。グルジ公爵も紳士的で良い人だった。

 この結婚に何の問題もない。


 なのに何かが胸につかえたような不快感があった。


「話を聞きましょうか? 医者には守秘義務がありますから、今夜の話はここだけの話にしましょう」


 きっと今話さなければ、この胸のもやもやは一生誰にも話すことがないのだろう。


「あの、私。グルジ公爵家へ、亡きサーシャ様として嫁ぐのです」


 不意に涙が一筋こぼれ落ちた。









 神妙な顔つきで話を聞いていたサフレット様は、言葉を選びながら言った。


「公爵家同士の結婚ともなれば、そのようなことも起こりうるのでしょうか。ですが僕はリース様に幸せになってほしい」

「幸せ、ですか?」


 きっとグルジ公爵は私を大切にしてくれる。最愛のサーシャとして。それは幸せ?


「今僕が貴女を治療しているのは、涙を流すような未来に歩ませるためでは決してありません。貴女はとても美しい。この先の人生、泣き顔よりも笑っていてほしい」


 リースとして笑う人生は、きっともうない。


「僕は早く貴女に良くなってほしい。ですがここを出て行った先に、そのような未来があるのなら!」


 サフレット様な悔しそうに拳を膝につく。


「サフレット様?」

「いえ、すみません。僕は医者として、リース様をきちんと治療します。ですが、リース様の人生はーー。マドリン=リース様、それは貴女のものだと、僕は思います」


 頭がいっぱいになってしまった。

 覚悟を決めたと思っていたけれど、私は私を惜しくなったのだろうか。








 翌朝、グルジ公爵の声で目が覚めた。

 診療所の外で大きな声を出している。


「サーシャ! 大事はないか? 顔を見せておくれ」


 昨夜話し込んだせいでまだ頭が重い。でも行かなくては。

 グルジ公爵はサーシャ様を亡くし、さらに私まで診療所で療養しているなど、きっと気が気ではないはず。


 私は無理を押して身体を起こす。


「サーシャ、聞こえているか? ん、君はここの医者か。サーシャの部屋に案内してくれ!」


 階下で声が聞こえる。 サフレット様が玄関で対応しているようだ。


「ここにそのような患者はいません」

「マドリン家の娘だ。名前は、えっと。リ、リースと言ったか! マドリンの使いに聞いて来たのだ。さぁ通してくれ!」


 あぁ、グルジ公爵にとって、私はもうリースではない。サーシャ様なのだ。

 私はさっと髪を整え衣服を正す。


「いけません! 患者に障ります!」

「顔を見るたけだ。彼女は私と結婚するのだ」


 大きな声がここまで響く。


「彼女は僕の患者だ!」


 すごい剣幕のサフレット様の声に、胸が締め付けられる。


「ここは診療所、公爵と言えども一歩も立ち入ることは許しません。お引取りください」

「ならばせめてこれを渡してくれ。サーシャの好きな本だ」







 しばらくして馬車の去る音がし、階段を登る足音がした。


「起こしてしまいましたね」


 気まずそうに笑うサフレット様。


「グルジ公爵からの差し入れです。お好きですか?」


 サフレットが手にしていたのは海の画集だった。


「私、海を見たことありません」


 見たことがないのに好きも何もない。

 私は両手で顔を覆って泣いた。







 半月程して、診療所を出ることになった。


「お世話になりました」

「仕事ですから。処方した薬の説明や、治療の経過などをご両親に説明したいのですが、よろしいですか」

「はい。よろしくお願いいたします」


 私は馬車で待つように言われ、両親は診療所に入った。

 程なくして二人は出てきて、一緒に半日かかる帰路についた。

 屋敷に着くと父が重い口を開いた。


「リース、グルジ公爵の件だが、今ならまだーー」

「まだ、何でしょうか」

「断ることもできる」


 父のそんな顔は初めて見た。厳格で、決意を秘めた目。

 でも縁談を反故にするなんて、そんなこと父にさせられない。これまで散々迷惑をかけてきたのに。


「お父様、最後に残った縁談がこれだけなのです。お受けする以外にありますか?」

「もっと、年の近い。ほら、サフレットも良い青年だったな?」


 その名前を聞くと胸が潰れそう。


「お父様、少し休んでもよろしいでしょうか」

「あ、あぁ。そうだな。まだ病み上がりだ」


 私は部屋に鍵をかけベッドに突っ伏した。







 数日後、私は決意が鈍らないうちに父に返事をした。


「私、グルジ公爵家に嫁ぎます」

「そうか。では明日馬車を出そう。正式な返事をしに行く」

「はい」


 そうして翌日私は両親と馬車に乗った。





 数刻過ぎて外を見ると、診療所の近くだった。近くにサフレット様がいる。

 心臓がバクバクと鳴る。呼吸が浅くなる。


「リース? どうしたの?」

「お母様、何だか少し動悸がいたします」

「顔も赤いわ。ねぇ、あなた」

「あぁ」


 父と母は顔を見合わせた。


「行き先をこの先の診療所へ」

「お父様、大丈夫です。もう少しで公爵家ですから」

「リース、お前をグルジ公爵と結婚させるわけにはいかないよ」

「え?」


 お母様は優しく私の背中をさする。


「リース、貴女の胸の高鳴りはきっと恋よ」

「恋?」

「会って確かめてごらんなさい」


 馬車は診療所の前で止まった。


「マドリン公爵夫妻、リース様。お久しゅうございます」


 馬車を降りるとサフレット様が跪いて出迎えた。

 胸が熱くなる。また会えた。それだけで涙が出そうになる。


「サフレット。先日言ったことに二言はないか?」

「はい。リース様を妻に迎えたく存じます。公爵家のご令嬢を娶るなど、恐れ多いことは承知しております。僕が差し出せるものは医療だけですが、出来る事は何でもいたします」


 私が、サフレット様の妻に?


「幸せに出来るか?」

「必ず幸せにしてみせます。ともに笑顔で歩める人生を、必ず」


「よろしく頼む」


 父は私の背中を軽く押した。

 私はサフレット様の元へ一歩踏み出す。


「リース様。貴女の人生を、貴女らしく生きる手伝いをさせてください。もっと元気になって、色んな場所に行きましょう。貴女の好きなものを見つけましょう」

「サフレット様……」

「愛しています、リース」


 私は涙でぐずぐずの顔でサフレット様の手をとった。




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