レオンの手
「レオンとはいつ話せるのでしょうか」
朝方ウルルを連れて帰ってきたレオンは、昼食時にも戻らなかった。
部屋で待っていても落ち着かないので、私は以前お義母様が住んでいた離れの前にある庭園に来ていた。
夏らしい大ぶりの花々がふっくらとした蕾をつけている。その生命力に思わず気圧されてしまいそう。
「午後は図書館を見たいとウルル様がおっしゃっていたそうですよ。行けばよろしいのでは?」
何だかクロエも少しピリピリしているような気がする。
「行けませんわ。嫉妬深い女のようではありませんか」
大きな白い蕾を手のひらに乗せてみる。しっとりと水分を含んだ花弁がぎゅっと縮こまり、咲くときを待っている。
ウルル様の白いワンピースが脳裏に浮かぶ。若くてエネルギーに満ちた少女の姿が重なった。
「でもお話しされたいのでしょう?」
「私はウルル様より少しだけ大人です。いい大人が子どもの楽しみを邪魔してはいけないでしょう? きっと初めての場所が楽しくて仕方ないのよ」
「物分りの良い振りをなさるのはいいですが、それなら湿っぽくされるのはお止めください。花たちも心配いたしますよ」
「うーん、そんなつもりないのだけれど。確かにここは眩しすぎるわね」
この花たちの中で私はきっと異質なんだろう。
じめじめしていて、覇気がなくてーー正直落ち込んでいる。
「お嬢様にぴったりな場所へご案内いたしましょう」
「私にぴったり?」
「薄暗くて静かな場所です」
「何それ、倉庫? そんなところで落ち込めと?」
「まぁそんなところでございます」
鬼め。
私は先導するクロエにとぼとぼついていった。
「ってここ! 図書館じゃない!」
私は天井までいっぱいの本を見上げ、小声で言った。
「書庫も立派な倉庫でございましょう」
「い、行かないと言ったでしょう!」
「もう来てしまいました。話が出来るまで出てこないでくださいませ。私もさすがに焦れったいのですよ」
クロエはそう言ったかと思うと、さっと扉から出た。
ゴトン。
おそらく外の閂を落とされました。
「こちらでお待ちしております。日中は暑いので、あまり遅くまで待たせないでくださいませね」
クロエの無慈悲な言葉が扉の向こうから聞こえた。
「クロエ、スパルタすぎない?」
「主人に決断力がないと使用人は苦労いたしますね」
「言うじゃない」
この私が「決断力がない」ですって? いいえ、そんなことございません。
今までどれだけ大きな商談を纏めてきたと思っているのですが!
「ちなみにわかっておいでかと存じますが夫婦の会話をなさいませね。商談などとはゆめゆめ思われませんように」
「ぐっ! い、いってきます」
「はい」
私は広い図書館をぐるりと見渡す。
とりあえず本棚をひとつひとつ回っていけば見つかるかしら。ウルル様の甲高い声でもすればすぐに見つかりそうなものですが。
私はウルルが興味なさそうな、歴史や軍記の棚とは反対の方向に向かった。
大衆向けの雑誌や恋愛小説、スイーツやファッションのコーナーを巡る。
「いませんね」
外は暑いのに、図書館の中は少しひんやりしていた。
(2階に行ってみましょうか)
その時、階段の影に身を隠すようにしゃがみ込んでいるレオンがいた。
(え?)
側まで近づくと、レオンは一瞬びくっとした。私はそのままレオンの正面に腰を下ろした。
「あぁ、エレノアですか」
レオンはふっと顔をほころばせると、私に手を伸ばす。
その長い指が頬に触れそうになる。
ずっと待っていた。長かった。声を聞くだけでも胸が熱くなる。でも今は触れられる距離にいる。
私は目をつむった。
しかしその手は一向に私に触れなかった。
そっと目を開けると、レオンは腕を下ろして目を伏せていた。そしてそのままこちらを見ずに言った。
「どうしてここに?」
「レオンと話をしに」
「何の用でしょうか」
「用がなければ話をしに来てはいけませんか?」
言いたいことも聞きたいこともたくさんあったはずだけど、レオンを目の前にしたら全部吹っ飛んでしまった。
今ここにいるレオンの声をずっと聞いていたい、それだけ。
なのにレオンにその気はないようだった。
「そうですか。しかし少し疲れているのです。一人にしてください」
明確な拒絶だった。
「私のことが、嫌いになったのですか?」
「その方があなたには都合がいいでしょう。一方的に好意を押し付けられるのは疲れると知りました」
それはウルル様のことを言っているのだろうか。
「あぁ! 話し声がすると思ったら、旦那様ったらこんなところにいたー!」
姿を見なくてもウルルが来たのだとわかる。
「あぁ、すみません」
レオンは気怠げに立ち上がる。
「あら? 派手好きのお姉さまではございませんか。成金の家の出身だそうですわね」
「ウルル様、言葉が過ぎますよ。エレノアです」
レオンはそっとたしなめる。
「エレノア様、何の御用ですか? 私と旦那様は今忙しいの。もしかして私たちに嫉妬していらっしゃったんですかぁ?」
「ウルル様。エレノアが嫉妬などするわけありませんよ。僕たちの婚約は契約の上に成り立っているだけですから」
「ふぅん? ではエレノア様、失礼いたしますね」
ウルルはレオンの手を取った。さっき私に触れようとして触れてくれなかった、そのレオンの手。
ウルルは通りすがりに振り向くと、レオンには見えないようにこちらを見て笑った。
その勝ち誇ったような笑顔に少女の面影はなかった。




