春呼ぶ人
「エレノア、相手が相手だ。断ることは出来ん」
お父様らしくない歯切れの悪さはこういうことだったのね。王族からの縁談を伯爵家が断れるはずもない。
一人娘の気持ちを慮ってのことだろう。
私は指先を重ねて、今一度姿勢を正した。
「何を暗い顔をする必要がございますの?こちらにとって利しかないではありませんか」
王国献上品の専売はもとより、王族との婚姻によって我が家の信頼は確固としたものとなる。
これ以上ない程の利益が転がり込むのは明白。
逆に王族ともあろう身分のお方が、なぜ伯爵家の令嬢を娶ろうと考えたのかは疑問ではあるけれど。
「しかし、エレノアがこんな風に嫁に行くとは。心から愛した男と添い遂げる人生があってもよかったろう」
「あいにく生まれてこの方殿方にときめくことはありませんでした。それよりも今日の売れ行きを思うと胸は高鳴り居ても立っても居られませんの。ですので大丈夫ですわ」
愛のない結婚なんて珍しくもない。しかし商売の拡大と成功を同時に提示されることなんて、人生何度繰り返したってそうそう転がり込む話ではない。
「謹んでお受けいたします。では私はそろそろ城下へ」
「はは、エレノアは商売人だな。わかった、陛下と殿下にはそう伝えよう。だがな、エレノア」
「何ですの?済んだことを後からあれこれ言うものではありませんわ」
お父様はにっと笑って背もたれに大きくもたれた。
(あ、これは豪商としてのし上がった商売人の目だわ)
「これは同業者として忠告しておこう。春になったからといって春の商品を並べているようでは遅いぞ。春は待つものではない、呼ぶものだ」
その通りだった。
城下には既に春物のドレスを来た女性がちらほら見えた。
似たような淡い色のネックレスをつけた令嬢を多く見かける。私はその一人に声をかけた。
「ごきげんよう。そのネックレス素敵ですわね。まるで花が今咲いたばかりのようなきらめき。どちらのものかしら?」
「エレノア様!ごきげんよう!エレノア様に褒めていただくなんて恐縮ですわ。こちら、リリィ宝飾店のものですの」
リリィ宝飾店。
使っている宝石自体は安価ではあるが、若い職人のデザイン性が優れていると評判の店。
「ありがとう。失礼するわ」
デザイナーのリリィは、父が北方の国より招いたと聞いている。私はリリィ宝飾店の扉を開けた。
「驚きましたわ」
春を讃えたピンクや黄色のアクセサリーは奥の棚にあった。どれも花をかたどった繊細で美しいものだったが、一部は既に値引きがされていた。
手前の棚には涼し気な水色のイヤリング、オレンジを使った夏の太陽のような大ぶりのネックレス。
夏向けの商品が既にならんでいた。
「いらっしゃいませ。まぁ、お嬢様。こんなところまで足をお運びいただくなんて光栄ですわ」
リリィは夏の新作を身に着けていた。
「もう夏の商品を置いているのですね」
「私も早いとは思ったのですが、旦那様がそのようにと」
「お父様が」
私が感心しているとリリィがすっと跪いた。
「冬の鬱屈した気持ちは春を求める、だが春はまだ来ない。そんな時、身の回りだけでも華やかなものをと商品を買い求める、これが購買欲だエレノアよ」
背後には父が立っていた。
「ですが夏の商品はまだ早いのでは?」
なんだが出し抜かれたようで悔しい。
「一晩でこんなにも暖かくなったのだ。夏もあっという間にきてしまう、早く準備するに越したことはない。そう思わせるのが商売人だ」
「そうでしょうか。私はもっと春を楽しみたいですわ」
「商売とは買ってもらわねば意味がない。さぁ、自分の店に行ってみなさい」
私が直営する店舗はドレス店がひとつ、アクセサリーやバッグなどの雑貨店がふたつ、計3店舗だった。
もちろんどこも令嬢でいっぱいだった。売上はそこそこ。だが客数の割にはイマイチ。
売上が客数に比例していないのだ。
「何かご不満があったでしょうか?」
「いえ、とんでもございませんわ!どれも素敵です。ですが、春用のドレスはついこの前たくさん仕立ててしまって。エレノア様のお父上のお店で」
「このブローチ、とても素敵なのですが、似たようものを既に買ってしまいましたの」
「あら、どちらのお店ですの?」
「エレノア様のお父様のお店ですわ」
完敗だった。
「はぁぁぁぁ」
「そのような溜め息は馬車と寝室だけになさいませ」
私は失意の中、クロエと馬車に揺られていた。
「えぇ、気をつけますわ」
私は気の抜けた顔の筋肉をくっと上げた。
「たくさん売れていたではありませんか」
「そうね、でも悔しいのよ」
「経験の差でございますよ」
「帰ったら美味しい紅茶が飲みたいわ」
「承知いたしました。ですが明日のレオン殿下との対面に備え、お茶は短時間に。お風呂とマッサージを重点的にさせていただきます」
「明日?」
「さようにございます」
クロエはこともなげにそう言った。