淑女、春に目覚める
冬がようやく終わった。そんな言葉をこぼしそうになるような朝だった。
私も自然と顔がほころぶ。
「さぁ、稼ぎますわよ」
「おはようございます、お嬢様。淑女のお目覚めの第一声がそれでございますか」
「おはよう、クロエ」
侍女のクロエが湯の入った銀の器を持ってくる。顔を拭き、口をすすぐと1日が始まる。
私はクロエが選んだ薄桃色のドレスに袖を通す。
「私だって、今日は暖かいな、春が来たのね、くらい思ったわよ」
「でしたら素直にそうおっしゃれば良いものを」
クロエは私が伯爵家の令嬢として、自覚が足りないと言いたいのだろう。口を開けばすぐに「お金」や「儲け」なんて俗っぽいことばかり。でもそれが豪商の家に生まれたエレノアのあるべき姿だと思っている。
「ドレスだって、今日の陽気に合わせて選んでくれたのでしょう?」
「はい。もう間もなく花が咲くという期待を込めました」
「クロエは本当にセンスがいいわ。そう、その期待こそが購買欲!浮足立つ心と緩くなるお財布の紐!」
「お嬢様……」
「あぁ侍女だなんてもったいない。その感性があればもっと稼げるのに――」
背中の紐をぐっと締め上げられ言葉が止まる。鏡越しで見るクロエの顔はにっこりとしていたが、目は笑っていなかった。
「もったいないお言葉にございます。それ以上のお言葉は恐れ多いですわ」
クロエは黙れとばかりにぎゅうぎゅうと手に力を入れた。
「そ、そんなに締めなくても」
「いいえ。今日は旦那様も朝食にご同席されますのでいつもより磨かせていただきますわ」
「お、お父様が?お帰りなの?」
「さようにございます」
「何か大事なお話かしら。私、今日は出来るだけ店舗を見て回りたいのだけれど」
今までは冬物の隅にお披露目程度に置かれていた春の新作を、一気にメインの棚に置く。店に入った瞬間に目を奪う色とりどりの商品。それを見たお客様の歓声と溜め息。何に視線を送り、何を手に取るのか。市場調査は商売の基本なのだ。
「お嬢様がそうおっしゃると思い、差し出がましいかとは思いましたが朝食時に話されるのが良いのではと旦那様に進言させていただきました」
「さすがクロエ!やっぱりあなたは私の侍女でいてもらわなくてはね」
「光栄にございます」
私が淑女らしくレース編みやダンスに勤しまないことをクロエは苦々しく思ってはいるが、私がしたいことへのフォローは最大限にする。
これがクロエなりの侍女としての仁義なのであろう。クールな態度とは裏腹に、主人への忠誠は誰よりも厚い。
私はクロエに春色の化粧をしてもらい、髪も化粧とドレスに負けないくらい華やかに結ってもらう。
「さ、参りましょう」
私はお父様の待つ食堂へと降りていった。