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ただただ駄々を並べた駄文

作者: 春乃和音

 死とは一種のエンターテイメントコンテンツなのではないか。

嫌なことが続いてしまうと、常にそう考えてしまう。

「人なんていつ死んでもおかしくない。 だからいつ死んでも構わない」

そう言われたことがある。

生理的嫌悪感がある台詞だが、それが最も死という概念を余りなく捉えているのではないかと思う。




 条件はあるが、死というのは人の感情を揺さぶる。

それは現実でも創作でも変わらない。

つまり、死は生命の停止以上に価値を持つ。

仲のいい友人や、恋人、家族などの身近な人間が死んだとき。

いじめなど明確な理由がある自殺。

想像するだけで悲しくなるものだ。

人によっては、亡くなった翌日くらいにはマスコミに取り上げられるに違いない。




 では、いまにも死にそうな人は?

精神的に辛い人。

必死に生きている人。

そういう人に価値はあるのだろうか。

仮に自分が絶望を感じていると仮定する。

そのときに、身近な人は手を差し伸べてくれるだろうか。

私はそこで生きている自分の価値がわかると思っている。




 死にそうだった人を助けたことがある。

現状を打破することを手伝い、その人は生への意欲を見出すほどになった。

なにか嬉しいことがあるごとに、小さなことでも報告してきた。

最近、その人に私から助けを求めた。

それ以降連絡が取れなくなった。

そういうことなんだろうと思った。

私の現状は変わらなかった。

見返りを求めて助けたつもりじゃなかったが、いざ背中を向けられると悲しくなった。

自分自身が卑しい人間だと思った。

行き場のない悲しみや怒りは、全て自分にぶつけるしかない。





 そんな駄々をこねるために、大それたテーマで文章を書いてしまった。

やはり私は価値のない卑しい人間に違いなかった。

あと少しだ。

あと少しで全てを終えるから。

そのときに、周りに人達が私をどう評価するのか。

確かめられないにしても、楽しみで仕方がない。

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