第二章③ デートコースは
「えと、あの……それでですね……今日は……」
クラリッサ姫は続けて、腰につけていたポーチを開き、淀みない動作でするりと細い手を差し込んだ。イルムガルドも高貴っぽい動きではあるが、やはり本物の姫のまえでは霞もうというもの。こんな街娘のような格好をしていても、隠し切れない気品をあふれさせてポーチから何かを取り……取り出……取り出さない? おや?
「……あう……なんで? ……えっ? ない? ふぇええっ?」
前言を撤回する。台無しである。
何かを探すようにポーチの中をまさぐり始め、覗き込み、中身を出して逆さまにまでして慌て始めたこの人は、本当に直前まで優雅だった人なんだろうか。
「よ……予定……メモが……」
察するに、今日の予定をあらかじめ決めておいたのだが、書いておいたメモを忘れてきた、とでもいったところか。
物静かな大人と思いきや、やたらとシャイ。優雅さを見せたかと思えば案外ドジ。このクラリッサ姫、おそよ王族らしくないところも多分に持ち合わせているようだった。
「……はぁ。じゃあとりあえず、そのあたりを歩きながら決めましょう」
またクラリッサ姫がひとりで泣き出しそうになってしまったので、キルトはフォローに入ることにする。というか、入らなければずっとこのままな気すらした。
それで落ち着いたようだが、キルトがクラリッサ姫が動き出すのを待っていると、今度は今度で時々チラチラとこちらを見て、目が合ってはそらすだけで、まったく動こうとしない。おかげでだんだん気まずくなってくる。
と、クラリッサ姫の背後で茂みが不自然にガサガサッと揺れた。
再び目を向ければ、イルムガルドの手だけが茂みから飛び出し、一番ゆるやかで、花畑が綺麗な散歩コースのほうをツンツンと指差していた。
正直気に入らないヤツではあるが、ちょうど困っていたところなので、ここはその案に乗っておくことにした。
「一応、散歩にも最適な自然公園なわけですから、じゃあ、あれで……」
散歩コースを指差すと、クラリッサ姫がコクコクとうなずく。しかしやはり動かない。
再び茂みを見ると、明らかに怒っているイルムガルドの顔が出てきた。叫ぶように、しかし音は出さず、口がパクパクと動く。
き、で、ん、が、り、い、ど、し、ろ、こ、の、……ああ、そういうこと。
イルムガルドはまだ口パクを続けているが、続きは罵詈雑言になるとしか思えないので無視した。
キルトが先行して歩き出すと、クラリッサ姫はトテトテと、キルトのあとをついてくる。
とりあえずキルトはそのまま散歩コースに入ったが、そのあとまた困ったことになってしまった。
背後の人と歩きながら話すというのは、難しいものなのである。
普通は並んで歩く? そうでしょうとも。だからキルトは話をするために歩調を緩めて、並んで歩こうとしたのだが、キルトが下がると、クラリッサ姫も下がってしまうのである。キルトが立ち止まると、これまたクラリッサ姫も止まる。
……なにこれ。
ただ歩いているだけで、何ひとつ解決していない。これはもう散歩はダメである。
キルトは散歩コースを半分ほど歩いたところで、あきらめてベンチに座った。
と、姫が立ったままもじもじとキルトを見下ろしている。
座らないのかと思っていると、姫がチラチラとベンチを見ている。
さっきの例もある。おそらく、隣に座ってもいいですか、とでも言いたいのだろうが、こちらから促さなければならないのだろう。
「……どうぞ」
予想通り、クラリッサ姫の表情が明るくなる。と思ったのも束の間、姫はキルトと限界まで間隔をあけて、ベンチの端に腰を下ろした。
かと思えば、またこちらをチラチラと伺う状態が始まってしまった。
「はぁ……クラリッサ姫?」
「ふぁ、ふぁいっ!」
沈黙に耐えかねて声をかけると、クラリッサ姫が一瞬ビクッと体を浮かせた。
「正直、そんなに緊張されると俺としてもどうしていいのか困ります。もう少し気楽に行きませんか?」
「ご、ごめんなさい……」
会話終わり。
こんにちは沈黙。
しばらくそのまま。
キルトはため息をついてから、再度コンタクトを試みる。
「いつもそんな感じなんですか? 昨日もほとんど話しませんでしたけど」
「あっ……あの……わたくし……あがってしまって、その、ダメなんです」
今度は会話が成功した。しかも発展までできる。すばらしい。
「照れ屋さんなんですね」
「……はい」
言い終えると、姫はうつむいて、また黙り込んだ。
会話終わり。おかえり沈黙。……あれ?
「えぇぇ……?」
キルトが目元に手を当てて小声で呟いた。
……これはきつい。なんと面倒なのか。
さきほどからずっと、ほとんど音も経てずに茂みの偽装ごと追尾してきたイルムガルドが、こちらに話題を振れジェスチャーをしているが、もう見飽きている。
自分が自分の意思で踏み込んでしまった面倒であるため、何とかしなければという意識を働かせてがんばってみたが、いよいよもってキルトは限界だった。
出会い頭の会話といい、最初からこんなではなかったはずなのだ。
なのにこれである。何か間違ったかと本気で自分に問いかけてみるが、さっぱりわからない。
「どうすりゃいいんだよ……」
ベンチに背を預け、天を仰いで呟く。
事態が急変したのは、その直後だった。
「……あ、あのっ!」
突然意を決したように、クラリッサ姫がこちらを向いた。
「敬語……その……、それで……多分……」
「普通に話せば大丈夫ってことですか?」
今日何度目かわからないくらいのコクコクが発生。もうイルムガルドの代わりができるくらいクラリッサ姫の言いたいことがわかるようになったのではなかろうか。
「……まあ、クラリッサ姫がそう言うなら……。わかりまし……あー、いや、わかった」
それで状況が改善されるならと、キルトは普段どおりに口調を変えた。しかし、やはり大国の姫君相手にタメ口は勇気がいる。
「安心、します……」
そんなキルトの気持ちを知ってか知らずか、クラリッサ姫は先ほどまでの緊張など嘘のように、柔らかい微笑みを見せた。