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第一章⑤ 妖しき忍

 キルトは夜空を見上げて、ため息をついた。

 散歩に出てからもうずいぶんと経ち、時刻はすでに深夜になっている。

 雲ひとつない空は星と月がとても綺麗で、いつもなら次の細工に想像力のひとつでも働かせたいところだったが、今日ばかりはそうはいかない。


 昼間の騒ぎのあと、とりあえずの保留を決め、ヒンメルライヒの一団とシアには待てとだけ伝えた。

 今後どうするかなど、すぐに決まるはずなどないのだ。だから保留するしかない。

 何も覚えていないのだし、キルトは英雄にも、王族にも、大統領にも、勇者にも、興味なんてないのである。


 面倒は嫌い。平和が一番。


 強いて言えば、今もそれなりに好きな金属細工はできているし、妙な責任なんぞ負わされたくないので、今のままが一番いいくらいだ。

 と、思っていたのだが、家に帰ってからまたブツブツと文句を言い始めたメリルが、しきりにキルトがオスローに留まることを確認してくるようになったので、これまた面倒になって前言撤回。

 大事にしてくれるのは嬉しいが、構われ過ぎるのも問題だ。


 そうしてひとり散歩に出たキルトは、ヒートアップした頭を覚まし、夜空でも見ながら落ち着いて状況を整理するつもりだった。

 のだが……。


「面倒ってのは、続くよな……」


 嫌な予感はしていたのだ。

 キルトは人の気配のない夜の裏路地をひとり歩きながら、またもため息をつく。


 尾行されている。

 相手の姿は見えないが、戦う時のように意識を張れば、それはわかった。


 メリルか、シアか、それともイルムガルトか。まさかクラリッサ姫ということはないだろうが、確実に見られている。


 果たして誰だろうか?


 始めのうちはのんきにそんなことを考えていたキルトだったが、周囲に人の気配がなくなった瞬間、どこからかただならぬ殺気を感じて、考えを改めた。


 警戒心をむき出しにして、何があってもすぐに動き出せるように備える。

 大体、昼間の騒ぎのほうがどうかしていたのだ。メリルも最初に言っていたではないか。用心しろ、と。


 肌を刺すような気配。殺気を放ちながら尾行してくるやつが何をしようとしているかなんて、考えるまでもない。

 だからキルトは、人を巻き込むことがないように裏路地に入り込み、はじめから相手を確認するだけして逃げる気で、わざわざチャンスを作ってやることにしたのだった。

 メリルには危険なことはするなと言われたが、戦うわけではない。逃げるくらいならどうとでもなる。その自信もある。

 少なくとも、尾行者がキルトの記憶を奪った犯人なら、確実にキルトのことを知っている。なら、あわよくば何か手がかりを得られるかもしれないと、むしろ仕掛けられることを期待もしていた。

 していたのだが……。


 その何者かは、本当にいつまで経ってもつかず離れず追ってきて、たまに殺気を放ってくるだけで、一向に手を出してこないものだから、いい加減困ってしまった。


 時間も遅い。むしろそろそろ帰りたい。しかし、物騒な気配の尾行者を家まで連れて帰るのもどうかと思う。

 そうなれば確実にメリルを巻き込む。


「はぁ……。もういいだろ。いい加減出てこいよ。バレてるぞ……」


 キルトは裏路地でふと足を止め、こちらを見ている誰かに向けて言った。

 と、その瞬間に向けられている殺気が突然膨れ上がった。


「うぉっと!」


 前方、しかも上空から殺気を感じたキルトは、咄嗟に足を一歩引っ込める。と、直前までキルトの足があった地面に、何かが突き刺さった。

 十字型の鋭利な鉄塊。独特な形状のそれは、手裏剣。

 手裏剣と言えば……。


「ヒンメルライヒの姫にオウランの勇者ときて、今度は晃国(こうこく)ってわけか……」


 呟いて、今度は軽くバックステップする。直後、上から現れた襲撃者が、地面に膝のバネで着地した。


 やや小柄な襲撃者の姿が、月の光に晒されて浮かび上がる。

 全身真っ黒。黒装束。あからさまに動きやすそうな服は、体にぴったりフィットしている。腕には手甲、足には脛当て。二本の短い角がついた仮面が目元だけを隠し、口元は黒い流線形のマスク。頭部は頭巾に隠されて髪も見えない。


 仮面の隙間から覗くのは感情がなさそうなふたつの瞳。

 手には短刀。背中にはやや短めの直刀を鞘ごとおんぶ。

 つまり、アサシンというやつだ。晃国では確か、"シノビ"とか忍者と呼ばれている……のだったはず。


「……迅斗(じんと)なら、気づくと思った」


 忍者が立ち上がりながら呟いた。

 見た目どおり予想通り、まったく感情がこもっていない声は、若そうではあるが中世的で、体型もスレンダー。おかげで未だに性別すら判断できない。


「人違いだろ。俺はキルトだ」


 迅斗。それもキルトの過去の名前なんだろう。


 シュバルツ、ノア、迅斗。いったい自分はいくつの名前を名乗ったことがあるのか、過去の自分たちに聞いてみたくなる。


「……記憶喪失」


 忍者が答えたのは、キルトの応答からしばらく経ってからだった。いちいち間隔があくので、妙に話しづらい。


「俺の記憶を奪ったのは、アンタか?」

「……何?」


 それは一番疑っていたことだったが、この反応。

 どうやらその線はなさそうだ。


「はいはい、そっちは違うのね。んじゃ、こんなことをする理由ぐらい、教えちゃくれないか?」

「……顔を見られた。掟は、絶対」

「掟ねえ……」


 全部隠しているものだから、忍者の表情の変化はさっぱり読み取れない。そういう職業だから当たり前か。


 と、いきなり忍者が地を蹴る。背の忍刀を抜き放ち、猛スピードで飛び込んでくる。

 キルトは攻撃されると思い、咄嗟に大きく後方に下がる。が、予想に反して、忍者はいきなり足を止めた。


 あれ? おちょくられてる?


「……超反応は、健在」


 言うや否や、忍者は突然、忍刀を背中の鞘に収めてしまった。

 んん? これはつまりどういうことだ?


 キルトの命を狙うなら、丸腰の今をおいてほかにないと思うのだが、さらに忍者は、なんとあっさり踵を返してしまった。


「あれ? (しま)いなのか?」

「……続ける?」

「いや、できれば遠慮したいが、じゃあアンタは何をしにきたんだよ、と」

「……今日は挨拶。戯れは明日から」


 ずいぶん物騒な挨拶もあったものである。

 殺気は本物だと思ったが、暗殺者が挨拶するなんて話は前代未聞で理解に苦しむ。

 つーか戯れって何だ。暗殺って戯れか?


「んじゃ、こっちも挨拶代わりにひとつ。他は巻き込むなよ。面倒だから。殺るなら俺だけにしとけ。ま、殺られないけどな」

「……迅斗以外、どうでもいい」

「迅斗、ね。……忍者さんよ、心当たりってか、こちとら記憶がないんだ。アンタが何者なのか、思い出すヒントくらい、サービスしてくれないか?」


 何でそんなことを聞いたのか、と言われたらなんとなくの冗談である。この忍者の行動があまりに意味不明すぎて、キルトの思考も変な方に傾いたようだった。

 自分で言っておきながら、キルトは思わず心中で笑ってしまう。

 相手は暗殺者である。そんなもの、はいそうですかと教えてくれるわけが……


「……雷華(らいか)。それから、忍者じゃなくて、女はくの(いち)


 と思ったら、名前どころかわざわざ性別まで、あっさり答えられてしまったものだから、余計にわけがわからなくなった。


「もう二度と、忘れないで。またね」


 やたらと間を空けて話していたこのくの一に、キルトは「教えてくれるのかよ!」と突っ込みたくなったが、間髪いれずに追加され、出鼻を挫かれた。


 雷華と言うらしいくの一は、それきり建物の壁を蹴って身軽に……違う……壁に足を貼り付けて垂直に走り、屋根へと上がる。

 それは晃国の念術が可能にする、マナを体に作用させる変則的な動きなのだと、キルトはその光景を見て思い出した。


 屋上のくの一が、一度こちらを振り返ってから踵を返す。数瞬後には、殺気はおろか、気配まで完全に消えていた。


「何なんだありゃ……」


 裏路地にひとり取り残されたキルトは、思わず首を傾げた。

 いっそ素直に命を狙ってくれれば、それなりの対処もできたのに、まったくペースを乱されっぱなしである。


 先の二件と違ってこれは笑い事ではなさそうなのだが、果たしてこの出来事は、メリルたちにどう説明するべきなのだろうか。

 言ったところで「何それ意味わかんない」とか言われて、なぜかキルトが理不尽に非難される気しかしない。それは激しく面倒だ。


 キルトはとりあえず、もう少し詳しい事がわかるまで、雷華のことは伏せておいたほうがいいと思った。


 またね、と言っていた以上、彼女はきっとまた現れるだろう。


「……様子見、かねぇ」


 話すなら、ちゃんとわかってから話したほうが良い。本気で襲われるにしても、黙ってやられるつもりはないわけだし、逃げるくらいどうってことはない。


 ない記憶を掘ったところで、何も出てはこない。わからないものはわからない。なら、細かいことは、次のアクションがあってから考えればいいのである。

 ともあれ、これで来訪者は三カ国目。


「一体何人来るんだか……」


 キルトはふと夜空を見上げた。

 あまりにも……あまりにも騒がしい一日だった。


「これで終わりでありますように……」


 キルトはこれで寝て起きたら、また来訪者が増えているのではないかと、少しばかり心配になった。

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