第六章⑤ 狂おしき力
いくつもの壁を貫通する勢いで吹き飛ばされた雷華は、咄嗟に地面に手をついて姿勢を制御しながら周囲を確認し、やっと王女と勇者のもとに出られたことに安堵した。
あの大猿鬼の巣だった空洞を髣髴とさせる、かなりのサイズの大広間。そこであったらしい彼女たちの戦いが、すでに終結していたのも僥倖だ。
「なんだよ、どうしたってんだ! って、おまえ……」
ようやく勢いを殺しきり、痛む体に鞭を打って、しかし表情ひとつ変えずに、立ち上がると、距離の近い勇者の方が寄ってきた。
雷華が明かすまでもなく、顔に嵌めた仮面と、未だその右手に維持されているマナの雷刃を見れば、正体は察しがつくと思われた。
「……気をつけて。あの子は、変」
「あの子って……ちびちゃんか!」
と、大広間の壁にたったいま空いた大穴から、メリルがゆっくりと歩いてきた。
「あれ? あれあれあれ? なにこれ?」
髪を止めていた水晶球……二つの魔石……禁呪が宙に浮き、ばらばらの軌道で髪を下ろしたメリルの周囲を旋回する。
「……もしかして、ハゲも眼鏡もやられちゃってるの? んもう、役立たず。役立たず! 役立たずにはおしおきだね。どんなおしおきがいいかなぁ? あ、でも邪魔者はそろったみたいだし、それほど役立たずでもないのかな? まあいいや。ちょうどいいから、ここで終わりにしちゃお。キーくんがボクを待ってるんだもの。早く終わらせなきゃね。あはっ、待っててねキーくん、もう少しだよ? ボク? ボクは大丈夫だよ。強いもん。でも、心配してくれるのは嬉しいなっ」
脳内妄想でキルトと話してでもいるのか、気味の悪いメリルのひとり芝居が、大広間の空気を緊張させる。
「なんだあれは……くっ、総員!」
異様な雰囲気、いや、狂気に少なからず恐れを抱いたのか、それとも先手必勝の精神か。近衛隊長のそのひとことだけで、全員ぼんやり赤い光を発している近衛隊が、総力を挙げてメリルに斬ってかかる。
「うるさいなぁ。うるさいったら」
しかし、メリルは歩を止めない。赤い光の軌跡を描く近衛隊の剣による、絶え間ない連撃だったが、それはひとつたりとも、メリルに触れることすら適わない。
「邪魔だよ、どいて」
それどころか、メリルに斬りかかった順に、逆に見えない何かに弾き飛ばされていた。
「ああもう、外野は引っ込んでて!」
メリルが叫ぶと、彼女から円形に、ひときわ強い、衝撃すら伴う冷気の波が発生する。
残った近衛隊が一気に弾け飛び、瞬間的に凍り付いていく。
「いけない、姫っ!」
「は、はいっ!」
クラリッサ姫が咄嗟に神聖魔法で防護壁を展開し、間に合わなかった近衛隊以外、勇者と近衛隊長に加え、雷華をも衝撃から守る。が……。
「なっ!?」
「え……きゃうっ!」
「うおおおおおっ!」
「……くっ!」
衝撃と拮抗していた防護壁はしかし、バリンとガラスが割れるような音をたてて、破られる。殺しきれなかった余波で、例外なく皆が吹き飛ばされた。
「……くっ、総員……な……に?」
イルムガルドがよろよろと身を起こし、部下に指示を出そうとするが、それはもう適わなくなっている。
「ふぅ、おとなしく見てればいいのに、外野ごときがしゃしゃるからそういう目に遭うんだよ。どいつもこいつもひどい顔で凍っちゃって、バッカみたい。そのまま死んじゃうまえに出れるといいね。出してあげないけど」
「バカな……我々には奇蹟の加護が……」
想像を絶する光景を目の当たりにして、イルムガルドの言葉が止まった。
大広間には、すでに近衛隊員と同じ数だけの、氷の塊が出来上がっている。近衛隊員たちは氷の中で身動きが取れずにいた。
近衛隊は強力な神聖魔法の庇護下にあったが、禁呪の途方もない力のまえでは無駄だった。
神聖魔法を打ち破るほどの、強力な魔術。
魔石なら確実にオーバーロードしているところ。精霊石ですら耐えられない規模である。しかし、小さな禁呪はまるで何事もなかったかのように、メリルの周囲をくるくると旋回していた。
「ああもう、頭痛くなってきちゃった。やだやだ。ほら、ドブネズミにムッツリ勇者にエロ姫……とオマケ。早くかかってきてよ」
「このっ、……いつまでも好き放題やってんじゃねぇぞ!」
シアが機械剣を振り、ブーメランを飛ばしながら躍り出た。
ブーメランは近衛隊の剣と同じように、瞬間的に作り出される氷の盾によって弾き返される。シアは別のギミックで続けざまに光弾を放つが、それもメリルの眼前で、氷の盾を貫通できずに弾け飛んだ。
「くっ、姫、私も行きます! 援護を」
「は、はいっ!」
その身に赤い光を湛えたイルムガルドも参戦した。シアの攻撃と同じように剣は届かないが、それでも執拗に斬りつける。
そんななか、雷華はふたりを囮にして駆け出していた。
メリルは予想を遥かに越えて強すぎる。ここで雷華が参戦したところで、おそらく状況は変えられないだろう。ならば優先するべきは本来の目的。キルトの救出である。
荷が重いとは思うが、雷華は当初の選択肢のひとつを取らせてもらう。
しかし、それを封じるように、駆け出してすぐに雷華の眼前に、禁呪のひとつが独立した動きで飛び込んで来た。
「ドブネズミはまたどこにいくつもりなの? 逃がすわけないんだから、潔くかかってきてよ。さっきからチョロチョロチョロチョロそればっかりでもう飽き飽き。だから、さ」
遠隔操作で禁呪から放たれた冷気を受けるまえに、咄嗟に地を蹴った……つもりが、雷華はつんのめってしまった。
地面に倒れこみ、ふと足を見て、メリルの狙いに気づく。
雷華の片足が、近衛隊員たちのように凍結させられてしまっていた。これでは、思うように動けない。
その雷華にトドメを刺すように、浮いた禁呪のひとつが発光。衝撃が発生する。
……やられる。
「くっ、ううっ!」
と、雷華が覚悟したその瞬間。思いもよらぬ人物が割って入った。
「……ら、雷華様、なんですよね?」
クラリッサ姫が雷華の前に割り込み、加護の防護壁を展開しながら言った。
雷華が黙ってうなずくと、無理して笑う。
「キルト様をお助けする、のですよね? でしたら、行って下さい。わたくしが、時間を、稼ぎますから……」
「逃げるんじゃなかったんだ……。って、キーくんのとこなんて行かせないもん!」
「いいや、行かせていただく!」
イルムガルドが剣を振るい、独立して動いているもうひとつの禁呪に斬りつける。
メリルは弾き返そうとしたらしいが、近衛隊長は反動を堪えてさらに押し込み、禁呪の動きを止めていた。
「さっさと行きな!」
今度はシアが叫んだ。その手には、弓のような形状へと変形した機械剣がある。
「……恩に着る」
雷華は呟き、すぐさま動き出した。
多少荒療治ではあるが、右手の雷刃を凍結した足にぶつけ、叩き割る。
駆け出したい気持ちが募るが、足は痛みで、いまいち思うように走れなかった。
しかしそれでも、出せるだけの速度で、これまで吹き飛ばされてきた道を戻っていく。
「最後の一発、行くぜええええええ!」
勇者の機械剣、いや弓が、メリルに一矢……ではなく、巨大な光線を放つ。
切り札なのか、あからさまに大量のマナを消費して放たれている光線が、メリルの周囲に残る、禁呪と衝突する。
「悪あがきしてっ!」
長く続く光線を受け止め続ける禁呪が、氷の盾を瞬時かつ無尽蔵に生成し続ける。
力が、拮抗する。
どこか乾いたような、パリパリとした音をたてて、マナの光が鬩ぎ合う。
「こいつぁ防ぎきれねえだろ!」
二つの禁呪のうちのひとつは今、近衛隊長が抑えている。残った禁呪はメリルの眼前にあったが、力が分散していることもあってか、シアの弓光線に徐々に押され始めた。
「そんなこと……え、なにこれ……やだ、ちょっと……あっ……えっ?」
光線は禁呪の防御にそのほとんどが防がれていたが、やがて細い光の筋が数本、ほんのわずかに防御を抜け始める。
そして、シアの巨大な光線がいよいよ終わりを迎えようとしたとき、最後のひと筋が防御を抜け、メリルの胸を貫くように着弾した。
「きゃっ!」
短い悲鳴と共に、メリルの身体が吹き飛ばされた。
この隙に抜け出せる。足を引きずってでも、キルトの部屋までいける。
雷華は重い足を引きずり、逸る気持ちを抑えもせず、懸命に歩を進めた。
しかし、異変は無慈悲に、すぐさまやってきた。
「嘘……嘘だよ……ね……」
メリルが震える声で呟いていた。
上体を起こしている彼女は、胸元のペンダントを掴み、眺めている。
いや、違う。
いくつかの破片にわかれてしまったそれはもう、ペンダントだったもの、だ。
胸を貫いたかに見えた光線は、あのペンダントに直撃していたのである。
「キーくんが、くれたのに……。大切で、何より大切で、だって……そんな……ボクを守って? キーくん……キーくん、キーくん! うああああああああああ!」
さきほどまでの余裕な態度が嘘のようにメリルが取り乱す。まるで大爆発でもしたかのような大量のマナの奔流が、外側に向けて破裂する。
その衝撃で、すでにだいぶメリルから離れていた雷華だけでなく、全員が激しく吹き飛ばされた。
近衛隊を閉じ込めた無数の氷塊も例外なく吹き飛ばされ、大広間の壁に衝突して割れる。中の近衛隊員たちは開放されるが、全員が意識を失っているのか、崩れ落ちたきり起き上がるものはいない。
姫も、勇者も、近衛隊長も、雷華も倒れ伏し、大広間の中央にひとり立っている彼女を見上げる。
その頬に流れている赤い筋は、血の涙。
彼女の周囲に漂うマナが発火し、無数の火柱が立ち上る。瞬間、大広間の温度が一気に上がった。
氷から炎へ。一瞬で、禁呪の力が転換している。
天井から崩れ落ちてきた破片が炎に触れ、一瞬で蒸発した。
「……みんな、灰になっちゃえ」
手を尽くしてもなお、留まるところを知らないメリルの禁呪の力。
雷華は……いや、おそらく雷華だけではなく、その場で意識のある全員がこの時、戦いの終わりを痛感したのだが……
「はぁ、またずいぶん派手にやらかしてるなオイ……」
全てが終わる直前に、その男はやってきた。




