第六章④ 赤きドーピング
シアがアリアスにまだ苦戦している頃、もうひとつの戦いも佳境に差し掛かっていた。
ルーファスが呼び出した魔獣たちは、瞬く間にローテ・ヴェヒターの陣形を崩し、反撃をものともせずに暴れ周った。
状況は見るからにルーファスが優勢。
しかし、魔獣の一撃が、いよいよ近衛の数名を捕らえようかというその瞬間。魔獣たちの腕や爪といった攻撃のすべてが、近衛隊員たちの目前で、何かに阻まれるようにピタリと止まり、強く弾き返された。
「これは……」
不満そうに呟いたのは、直前まで余裕たっぷりだったルーファスである。
「……ヴァイス・シルト。姫の加護による盾、ですよ。お忘れか? 我らは、そのような魔獣が跋扈するフロンティアラインを、無傷でオスローまで踏破したのですよ?」
腰から赤い液体の入った小瓶を取り出し、その封を解きながら、イルムガルトが余裕といった感じで答えた。
「加護……なるほど。どうやらこちらも、そちらの姫君を侮っていたようですね。まさか、大司教クラスとは……恐れ入る」
治癒、祝福よりも高位に位置する神聖魔法、加護。これはただの司祭には扱えないため、必然的に導き出されるのは、より上位の称号を持つ使い手、ということである。エルベリアの魔術師であるルーファスだが、その探究心ゆえに、他国の技術、またその序列について、概要は心得ていた。
「あっ、えっと……わたくしは……その……大司教じゃ……」
「大司教以外には、このようなことができるとは思えませんがね」
「……勘違いしていただいては困る。姫は司祭でも司教でもない」
イルムガルドが剣で魔獣を弾き飛ばしてから言った。
「カルディナール。神聖魔法の最高峰を極められた、枢機卿だ」
クラリッサ姫は恥ずかしそうにもじもじしていたが、イルムガルトは、小瓶を持った左手を高々と振り上げた。
「各員、遊びは終わりだ。赤酒構え! 姫っ!」
イルムガルトに習い、ローテ・ヴェヒターの全員が、号令に従って腰から同じ小瓶を取り出し、封を解く。
促されたクラリスは、慌しくうなずいてから、胸の前で両手を組んだ。
「……え、えと、朱を纏いし子らに与えるは、さらなる紅。……汝ら、力を求むるならば、その信仰を、……示せ」
「プロージット!」
「「「「プロージット!」」」」
クラリスの呼びかけに応えるように、ローテ・ヴェヒターは一斉に小瓶の中身を飲み干すと、空き瓶を地面に投げて割った。
「……其の名は夕暮れ、終わりを告げる黄昏の奇蹟。アーベント・ロート!」
唱えたクラリスがぼんやりと赤い光を帯び始め、その光が飛び散る。まるで伝染するかのように、赤酒を飲んだローテ・ヴェヒターに光が宿る。
「……我らの力、とくと見せつけよ!」
イルムガルトが剣を振るうと、ローテ・ヴェヒターたちが素早く行動を開始。数人ひと組となって魔獣へと斬りかかる。
全員が、まるでキルトやシアのように、人とは思えない身体能力を発揮して、赤い光を残像のようになびかせ、目にも止まらぬ速さで躍動する。
そこには言葉も合図も何もない。赤き光に包まれたローテ・ヴェヒターの全員が、まるで互いの考えをすべて理解しているかのように、一切の無駄なく連携し、魔獣たちに刃を突き立てる。
ローテ・ヴェヒターの得物はただの剣であったはずだが、赤き光を受けた数多の一閃は、岩の肌を持つ魔獣でさえも、紙のごとく切り裂いた。
魔獣たちがつぎつぎと、痛みと苦しみによる咆哮をあげる。
「くっ、……戻りなさい! 交代です!」
僕たちの危機を察し、ルーファスが懐から新たな魔石をいくつも投げて指を鳴らす。
と、今度は小爆発と共に、殻と羽を持つ巨大な虫の魔獣が現れた。同時にすでにいた魔獣が、出現時同様に小爆発して魔石に戻り、ルーファスの手の中へと帰っていく。
しかし、ローテ・ヴェヒターの猛攻は止まらない。彼女たちはまるでマーチングバンドを早送りして見ているかのように、華麗に陣形を変え、現れた新たな魔獣にも、瞬く間に深い傷を与えていく。
抵抗する魔獣の一撃がローテ・ヴェヒターの隊員を捕らえたかに見えても、彼女たちへの攻撃はすべて、クラリスの加護による見えない盾によって阻まれた。
これにより、戦況が一気に傾く。
奇蹟によって、終焉へと向かっていく。
「……ならば……、行きなさい!」
ルーファスがさらに魔石を投げると、今度は小型、翼を持つ犬のような魔獣が二体、左右に駆け出した。
それすらも、ローテ・ヴェヒターは機敏に対応し、瞬く間に斬り伏せる。
「かかりましたね。元を叩けば……!」
ローテ・ヴェヒターが分散するその瞬間に、ルーファスが自身の手の平から、巨大な炎弾を、クラリスめがけて発射した。
しかし、その射線には、赤い光をなびかせたイルムガルトが割って入る。
そのイルムガルトが優雅に赤き一閃を振るうと、炎弾は爆発もせず、真っ二つに割られて、粒子となって霧散した。
「ご本人は、それほどでもないようですね」
「くっ、アリアスは……」
今持つすべての手を防がれてしまったルーファスは、一縷の希望に縋るように仲間を探す。
しかし、彼が首を振り向けたその瞬間、まさにシアの切り札によって、アリアスは光に飲み込まれるところだった。
天井を突き破る轟音に、ローテ・ヴェヒターの包囲網によって胴体を分断された魔獣たちの咆哮が混ざる。
「チェックメイト、です」
ルーファスの目の前まで瞬時に接近したイルムガルトが、まるで踊るように、流麗な動作で剣をふた振りする。と、ルーファスの両手の手袋が切り裂かれ、そこに埋まっていた魔石が、宙で真っ二つに割れた。
「頼みのあちらも、終わりのようですよ?」
ルーファスの喉元に剣を突きつけながら、イルムガルトはシアの勝利を確認する。
「くっ……」
眉をひそめたルーファスが、敗北を悟り、がっくりと膝を落とした。
ローテ・ヴェヒターの圧勝である。
「では、シュバルツ殿のところまで、案内していただきま……」
「イルマちゃん!」
と、いきなりクラリッサ姫が叫んだ。
決着と誰もが思ったその直後、急転直下、大広間に爆音が響き渡る。
壁の破片が大量に飛び交い、そのうちの大きいひとつに巻き込まれる格好で、ルーファスが壁まで吹き飛ばされ、意識を失って崩れ落ちる。
勝利の余韻をぶち壊されたイムルガルトは、腕で破片を叩き落しながら、何事かと音のした方を振り向いた。
その目に映ったのは、壁を打ち抜く巨大な氷塊とともに、大広間に飛び込んで……いや、吹き飛ばされてくるメイドの姿だった。




