第一章② 世話焼きメリル
「……また忘れてるんでしょ? 最近、新聞記者とか、そういう類の人に会った? 取材されたりした?」
「どうだったかな……」
メリルに問われたキルトは、気まずくてそっぽを向いた。
「これ、キーくんに命を助けられたっていう人が記事書いたみたいなんだけど、キーくんが戦ったのって、ここ最近だと一回しかないと思うの」
キルトは記憶を失う以前、何かそういうことをしていたのか、常人離れして身体能力が高い。武器の使いかたなどは軒並み忘れているが、どういうわけか武器を手にして見たり、使っているところを見ると、体か頭が使い方を思い出すようだった。
最初は街を襲った魔獣を倒すときにメリルを守って偶然わかったこの能力だったが、以来、警備隊の面々からよく頼られ、入隊を勧められていた。
だが当のキルトは街を守るとか戦うとかに興味はなく、すべて断っていたのだが、あるとき気まぐれで、一回だけ手伝ってしまったのが運の尽き。それからというもの頼られまくって、ちょっとしたご当地英雄みたいになってしまっていた。
しかし、それは大きな誤解である。キルトは決して英雄などではない。自分勝手、いっそ悪人と言ってもいいのではないかと、自分で常々思っていた。
そもそも独立都市をこんな辺鄙な場所に立ち上げた警備隊は、自分たちの力だけで十分に街の平和を守れるのである。
警備隊の総隊長であり、街の議会も牛耳っているルーファスから『どうしても』という言葉が出てきて、あれこれ遠まわしに言いくるめられるまでは、基本的に動かない。
おかげで、現場に行けばいつも出遅れ状態。その被害が拡大する。魔獣に襲われる人々にとっては危機になる。そこにいつもいつも妙にタイミングよく駆けつけてしまうばかりに、英雄扱いされているだけなのである。
こんな事実を知ったら人々はキルトを責めるだろうが、面倒は嫌いなのだ。ただちょっと、たまに気まぐれを起こすだけ。それだけ。
この間の時だって……。
「えいっ」
「おふっ」
などと考えていたら、メリルに軽くデコピンされた。
「ハイ、思い出して。あの日、戦いのあと、何かいつもと違ったこと、なかった?」
「う~ん。う~ん、まあ、あったといえば……あったような?」
キルトがツナギの胸ポケットを探ると、くしゃくしゃに丸められた紙が出てきた。
破れないように広げてみると、何やら文字が書いてあった。
「エー・ベー通信社、ロス・バジェット?」
「……この記事書いたのその人だよ。ほら」
メリルがページの文末を指差すと、そこには確かに同じ文字が並んでいた。
「おお、これだったか。しかし、名前くらいしか話さなかったと思うんだが」
きっかけを得て、記憶が芋づる式で徐々に繋がっていく。
よくわからないことをあれこれ聞かれたが、全部覚えていないしわからないことだから答えられずにいたら、妙に落ち込んだので、とりあえず今自分がわかっていることを話した……ということで合っているはずだ。
こんな記事になるほど大した取材など、受けてはいなかったように思う。
「やっぱり捏造?」
「……ねえキーくん、その材料の出所は? それ、ゴールドだよね? そんなお金どこにあったの?」
と、メリルが突然失敗作のリングを見て、再びジト目になって言った。
「これか、これは通りすがりの人にもらったんだ。金の値段を見ていたら話しかけられたんだが、最初はウザくて無視してたんだ。そしたらなぜか好意で何でも欲しいの買ってくれるって話になってさ。タダでもらうのは悪いって言ったら、お話して、記念写真撮るだけでいいって言うんだぜ? おいしいだろ? いい一期一会だった」
「どう考えてもその人だよ!」
「……え、そうなの?」
「今キーくんが言ったこと、そのまんまここに書いてあるもん!」
と、いうことらしい。真実がわかってちょっとスッキリした。
「もー、どうするのよ。これでキーくんがここにいること、大陸中に知れ渡っちゃったじゃない!」
「別にいいだろそれくらい。何があるってわけでもないし」
「はぁ……。ねえキーくん、なんで記憶なくなっちゃったの?」
メリルがあからさまに呆れて言った。また何か怒らせるようなことを言ったかと思ったが、思い当たらないからいつもどおりに答える。
「さあ、なんでだろうな」
「キーくん傷だらけで倒れてたんだよ? ボクが見つけなかったら死んでたんだよ? 戦闘の跡だってあったんだよ? つまり、キーくん誰かに殺されそうになったんだよ? でもギリギリで助かったの。その犯人がこれ見たら、どう思うかな?」
「殺したと思った相手が生きてました。だからもう一回……ああ、なるほど」
メリルの心配がやっとわかった。確かにそれはありえる話である。
しかし、今更考えても仕方ないのないことには変わりない。
時間は戻らない。やらかしたことはやり直せないのだ。
「まあそんときは仕方ないから戦うさ。さすがに自分のケツは拭かなきゃだし。運がよけりゃ、過去のこともわかるかも?」
「そういう問題じゃなくて! あーもう、軽率すぎだよぉ……」
メリルが両手で頭を抱えてうずくまり、しょんぼりする。そんなに大変な問題には思えないキルトは、言い訳とばかりに、大仰にそれっぽく、金の魅力を説いてみる。
「いいか? 金、ゴールドってのは細工師にとって夢にまで見る憧れの金属なんだ。希少すぎる。高すぎる。だがその美しさは極まっている。命の次に大事と言ってもいい」
「ゴールドのために命を危険に晒すの?」
相変わらず痛いところを突いてくるメリルのジト目に、思わずたじろぐ。
「……いや、そもそも俺が狙われてるなんて可能性、あるかないかわからんだろ。こっちは何も覚えてないんだし。記憶を消すのが目的だったかもしれないじゃないか。なら、せっかく金をくれるってんだから、もらったって……」
「ボクの気も知らないで!」
と、メリルが背を向けてうつむき、続けて何やらブツブツ呟き出した。
「どうしてそうお気楽なの? キーくんを見つけたときボクがどれだけ心配したと思ってるの? 最近やっと落ち着いてきたのに、どうしてトラブルをわざわざ呼び込んじゃうかなぁ。みんなもキーくんに頼まなくたっていいのに、変な気ばっかり回しちゃって……ああもう……眼鏡め……ハゲめ……」
小声でよく聞こえないが、何かに怒っているらしく、徐々にメリルの肩が震え始める。
「あー……、ま、しょうがないだろ。これというのも、ルーファスやアリアスが恩賞くれないのが悪い」
いつかこちらに爆発するんじゃないかと思い、キルトはお茶を濁した。
ちなみにアリアスというのは、言葉遣いが変な荒くれハゲのこと。一応腕利きで一、二を争う実力を持つ幹部の警備隊員だ。
キルトは言った通り英雄扱いされる反面、完全なタダ働きである。これを聞けば少しは、キルトが面倒になる理由もわかってもらえるのではないだろうか。
正当な対価というのはあって然るべきで、それがあればちゃんと自分で金を買えて、今回のような問題など起こらなかったはずなのである。
「……ちゃんとくれてるよ?」
と、メリルが不思議そうな顔で言った。
「……え、じゃあどこにあるんだ?」
「ここ」
メリルがスカートのポケットから、かわいらしいネコの顔の財布を取り出した。
「……なんでそこにあるんだ? 俺が働かされたんだ。俺がもらうべきだろう」
「ねえキーくん。この話するの、これで何回目だと思う?」
わざわざ言われるということは、例によってまた忘れているということだ。キルトは怒られるような気がして、恐る恐る聞いてみるが……。
「……えっと、三回目、くらい?」
「十八回目だよ」
即答された上にまさかの六倍だった。やはり当てずっぽうは良くない。
「……悪い、覚えてない」
キルトは先手を打って素直に謝った。さっきからの会話だけでも、言い逃れをすると最終的に追い詰められる気しかしない。
人は学習する生き物なのだ。
「もういいよ。キーくんにお財布任せといたら、高い材料ばっかり買って一日ですかんぴんになっちゃう。だからボクが生活費を管理してる。ついでに言うと、ここはボクの家で、キーくんはそこに間借りしてて、ご飯も洗濯も掃除も全部ボクが面倒見てる。ボクみたいなデキる幼馴染がいて良かったね。おっけー?」
「え? あ……お、おーけー……」
そうだった。飯をメリルが作ってくれているのは覚えていたが、残りは言われて思い出してしまった。
最近は洗濯物が自動的に洗われてくるので、どこかの国の文明の利器かと思っていたくらいだが、危ない落とし穴だった。
このメリル。見た目はこんなだが、家事全般においては自他共に認める、非常にデキる女なのである。警備隊の連中に言わせるとそのギャップがたまらないらしいが、そんなもんだろうか。
そういえばそれでいつか礼をしなければと思っていたこともあったか。
すっかり忘れていたが、わざわざ説明してくれたことで、またも芋づる式で記憶復活である。記憶喪失の前の記憶だけはどうやっても出てこないが。
「……はぁ。それで、話戻すけど、キーくんの命を狙ってくる人がいるかもしれないんだから、しばらくは用心してね。キーくん強いから大丈夫だと思うけど、危なかったらすぐ警備隊を頼ること。ひとりで危ないことはしないこと。ボクとの約束を忘れてるなら、いまここでもう一回約束。いい?」
キルトはそれほど気にする事でもないと思うが、とりあえず頷いておくと、メリルがキルトの手を取り、小指と小指を絡めて指切りさせた。
「ん。約束だからね。破っちゃやだよ?」
重ねて言われたのだから、いくら物忘れしがちなこの頭でも、しばらくは忘れないだろう。
おそらく。多分。保証はしない。
「この雑誌の発行元はオウランだから、発行からオスローに届くまでは二週間くらい。それだけあれば、動く人は動くよ」
「わかったわかった。だがまあ、こういうことは前向きに考えようぜ。案外、俺の過去を知る人が訪ねてきて、記憶を戻してくれるかもしれない」
「またそんなこと言って……あっ」
と、そこで突然軽快な音楽が鳴った。
メリルが長い袖ですっかり隠れている手首のブレスレットを、もそもそと取り出す。
「んもう……誰……?」
それは離れた相手と会話できる、通信魔法の一種だった。以前に何度か見ているので、キルトも覚えている。
メリルは魔導国家エルベリアの出身で、それなりに魔術が使えるのである。
ちなみに、エルベリアの魔術は戦闘用のもののほか、日常生活に溶け込む便利ツールとしても多数ある。キルトが使っていた工作手袋然り、ブレスレットの通信然り。魔石を加工した明かりのほか、調理用の火を出せるグッズなんかもあり、バラエティは豊富だ。
とくにオスローには魔術師が多いため、生活の中核を担っているものも多いのだった。
「はいはいは~い、何~?」
メリルがブレスレットの小さな魔石に手を当てると、その上に半透明のスクリーンが表示され、若い警備隊員が映し出された。
【お嬢、お嬢! あれなんですか!】
ちなみにメリルは、英雄扱いされているキルトと住んでいるからか、警備隊の連中からお嬢と呼ばれ、慕われている。
キルトにとってメリルは妹のようなものなので、その気持ちはよくわからないが、奴らの入れ込みようといったら相当なもの。おかげで、メリルはもはや警備隊のアイドルと言ってもいいくらいの存在だった。
「……え、何のこと?」
【あ、まだ見てませんか。じゃあじゃあ……って、あ、ちょっ、隊長!?】
と、スクリーンの向こうで警備隊員が驚いていた。
何かと思ったら、直後にスクリーンの映像が乱れ、いきなり別の人物が現れる。
オールバックにしたレンガ色の髪に丸眼鏡。外見だけでクールそうな感じの警備隊長、ルーファスである。
【嬢、すぐに外を見てください。それでわかります。では】
ルーファスは一瞬スクリーン越しに、メリルの脇にいたキルトを見たようだったが、短く言って通信を一方的に切ってしまった。
ちなみに、アイドルの病気は警備隊長もばっちり感染していることは明記しておく。
奴らは一歩間違えば……いや、すでに幼女好きの変態以外の何者でもないことに気づいているんだろうか。
ルーファスあたりはどう見ても常識人に見えるのに……。
「キーくん、窓開けていい?」
頷くとメリルが窓際に歩み寄り、閉め切られていたキルトの部屋の窓を開けた。
そして身を乗り出して外を見て……。
「え……何、あれ?」
何やら驚いた様子で、目を丸くしたのだった。